見出し画像

〈雑記と御礼〉文章から音楽ができるということについて

 はい。こんにちは。
 世の中に自分のための音楽が存在している事実って、気持ちのいいものですね。

 ということで、先日、企画に参加して、僕の書いた記事から曲を作っていただきました。まずは、楽曲の制作者であるジユンペイさんに感謝を申し上げます。


 はい。細かいこと抜きに、企画に参加した記事を貼ります。

 これが僕の応募記事です。



 そしてこれが作っていただいた楽曲です。


 あと、制作に関する記事を書かれていたので、これも貼ります。


 おおーう。すげー。
 とりあえず、すげー! ということで、音楽の知識はとても浅いですが、感想を。

 曲を書くにあたって、僕のむちゃくちゃな文章を読みこんでいただいたみたいで、細かく分析されていましたね。いやあ、書き手としては、正直恥ずかしくなるレベルでしたが、僕の文章を開いて分析されていたことはほぼ僕の意図通りです。

※以下カッコ内は僕の意図です。曲に直接は関係ないので読み飛ばしてOKです。


(「カカシ」の存在は生ではないもの、「君」は生として書いています。更に言うと、どんどん作られる存在であるのがカカシで、カカシにとっての君は一人しか居ないということが僕の中で重要でした。(カカシと君の対比として)。
 この部分は、カカシの量産=文章の量産と読み解かれていましたね。個人的な感覚ですが、この『それは僕じゃないよ』の中で、カカシは文章を量産しており、そのカカシもまた量産されるという状態にあります。カカシがいくら小説を書こうが、それは世界に存在する小説が一つ増えたという事実のみに過ぎません。
 カカシはこの事実を受け入れているし、むしろ文章を書くことを何かの実験のように語っている。生きているのか死んでいるのか、「僕」がカカシなのか、カカシじゃないのか。)

──とまあ、そんな小難しく考えたりもしながら書いていたということです。


 とにかくまあ僕の書いたモノはそんなよく分からないものだったんですが、いや、ほんとに、よくこれに音楽付けましたね!!!

 そしてね、作っていただいた曲は、一つの記事が元なんですが……
 僕の全体を震わせるキーポイントが多分に入っていました。僕は音楽に特別詳しいわけじゃないので、僕のどの部分がぷるぷるしたかを書くことで感想とさせてください。


・鳥の声。
⇒僕が生まれ育ったのはクソ田舎なんでね。まずはとても好きです。鳥の声。鳥だけの声。そして、カカシも鳥の声を聞かなければならない。むしろ、聞かざるを得ないのかもしれない。

・子供の声。
⇒僕がnoteを始めたタイミングは、娘が生まれた直後です。この演出はわざとか!? と思って驚きました。

・心臓の音
⇒僕は心臓に何かこう特別な感情を抱いていて、そして、自分の心臓が拍動する音に対して、とても敏感です。

・イントロ
⇒先に挙げた3点の音から始まって、何かを破壊するような入りからギターイントロ。僕が小説を書こうとしたときの感情かと思いましたよ。僕はそれまでの消費するばかりの僕をぶち壊して、消費されたくて小説を書き始めたんです。その感覚をカカシに乗せてました。
 ギターイントロから前半の主題に入る流れはもう僕の初期の勢いの感覚そのまんまでした。まずは、これまで書いたことがなかった小説というモノの形にするために、日常生活を送りながら出来うる範囲で一気に書きましたから。その感覚に似てます。

・前半パート
⇒繰り返される主題が僕には重要でした。
 いくら小さな小説のような文章を量産したって、それらは総称して小説と呼ぶことが可能なだけで、僕にとっても傍から見ても、「小説を書く」という行為はただ繰り返されることだからです。繰り返されることの意味については、カカシが言っているので、僕は特に言いません。
 てか、めっちゃ、おセンチメンタルっぽいけど真剣な感じがして気持ちいいんですが、これはカカシには当てはまるでしょう。もちろん、僕自身には当てはまりませんよ。そんなにかっこよくないし。


・中盤の曲調転換
⇒ここが一番気持ちよかった。
 僕が小説を書き始めてから、辿り着きたかったのはこの曲調転換のような感覚です。「小説を書くことができます」と僕自身が言えるかどうか、その感覚がこの転換ににています。
 おもしろいおもしろくないは読者が決めることですから、僕は「小説を書くことができます」としか言えませんが、この言葉を発するのは僕にとっては結構勇気がいることだったからです。だから、カカシは次の文章を書くのでしょう。
 しかし、よくもまあ、こんなに曲調転換になりましたね。元々の応募した小説には晴れ晴れとした感覚は少ないはずなのになあ。たぶん、元の小説自体が僕の意思表明の現れのような作品だと感じ取っていただいてるからだと思います。はい。
 あ、あと、僕の好きな「あの頃の匂いがするポップス調」が少し入っていて好きです。ギターの主題の繰り返しがきもちいいのかも知れません。

・終盤音声
⇒ここには心臓の音が入ってないんですね。
 カカシと同じように、僕も文章を書くようになってから、心臓の音を気にする機会は減ったなあ。

・曲タイトル
⇒このかっこいいおセンチなのと、途中から転換して爽やかになった曲のタイトルが『君と僕』ってのがいい対比になっていますね。確かに、前半部と後半部で聞いているときに浮かぶ映像が違います。
 正直に、元となる文章を書いた人間として言いますが、前半部は僕自身しか見えません。書いているだけのカカシとしての主観映像です。
 しかし、後半部は主観映像ではなく、カカシが何かを書いている映像が見えます。ここで見えるのは僕ではありません。僕はやはり僕であるから、僕を外から見ることは出来ませんが、僕は僕の書いた文章の中のカカシを外から見ることが出来ます。
 
 曲の転換部で視点が変わるってのが、個人的には楽しいです。一つの曲で二つの味を感じたみたいで。
 ええ、それでも、曲は一つであって、僕は君でもないから、君は僕でもない。

 だから、それは、僕じゃないよ。



 ということで、長々と、いや、結局個人的な心情の吐露ばかりになって申し訳ございません。
 はっきり言えるのは、心情吐露したくなるような感覚だったということでしょう。僕は僕の(書いた文章の)ための音楽を作って貰うという体験をしたことが無かったので、とても貴重な体験でした。


 ここまで読んでいただいた方で、興味のある方は、ジユンペイさんのページを訪問されたらよいと思います。今後、企画参加をされるのもよいと思います。
 それでは、ジユンペイさん、読者の皆様、ありがとうございました。


 作っていただいた曲ほどかっこよくもなく、凡庸な僕ですので、大体ふざけて生きていますので、また会いましょう。



 最近、ギョウザ臭くてすみません。

 おしまい。またね。


僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。