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2020年と新しい作品について

年の瀬を迎え、一年について総括する時期になってきた。10代、20代の頃は一年の中で飽きない程度にドラマティックな出来事があったからだろうか、別に総括なんて必要なかった。特に中学、高校では部活動もあれば、受験もあるし、淡い恋愛だってあっただろう。(あっただろうというのは、多くの男性同様に思春期のことはまぁあまり思い出したくない、ということなのだけれど)

30代も転居、転職、家庭環境の変化など、それなりに大きな出来事があり、今振り返ってみても象徴的な出来事をいくつも思い出すことが出来る。ただ、40代になると若干事情は変わってくる。41歳と42歳は何が違うだろう? 46歳と47歳は? もちろん大病でも患えば、それはそれで深い記憶が残るだろう。しか往々にして平凡かつ平和な日々を送っていれば、自ずと記憶の濃度は薄まっていく。日常とは限りなく尊く、それでいて儚いものなのかもしれない。なので、41歳になった今年は、一年を振り返ってみるのも悪くないと思っている。

ほとんどの人にとって、2020年は平凡かつ平和な日々からは程遠い年だったのではないだろうか。世界中が疫病に見舞われる中、身体の問題以上に露わになったのは人の心の在り方であろう。特に定まった信仰をもたないが、目に見えない何かを信じる(或いは都合の良い拠り所にする)多くの日本人にとって、肉眼で見えないウイルスはとても「日本人らしい」かたちで、不安を伴いながら広がっていった。人によっては、その不安が現実のものとなってしまった人もいるだろうし、それはとても悲しいことだと思う。

自分はと言うと、世界が不安定になればなるほどに内省的になる傾向があり、自分と世界の関係(或いは距離感)について、いつも以上に深く考えたように思う。これまでにも親しい人には伝えてきたが、自分の場合は収入を得るために音楽活動をしているわけではなく、会社に勤め、主にそこから得られる報酬で生計を立てている。すなわち、私が音楽を作る社会的な必然性はなく、だからこそ自分の作品に正解はない。(もちろん、ビジネス面での成功のために音楽を作っている人を否定するつもりは全く無い)
そして、必然性が無いからこそ「何のためにこの作品を作るのか」をいつも、ずっと問い続けている。もちろん映画や舞台の音楽を作る時はこの限りではないのだけれど、自分の名義で作品を世に出すとなると、この問いかけに答えないわけにはいかない、そう考えている。

10年前に自分名義の初めての作品「Prater」を作った時、この問いかけに対する答えは「誰かの横を通り抜けていく風景、或いは季節としての音楽」であった。この答えには色んな意味が込められているが、主には「音楽の必要性」について考え、辿り着いた答えだと思う。音楽は表現であり、嗜好品であり、すなわちインフラや消耗品とは違って、人間が社会生活を送るうえで、無くても困らないものだ。これは自分が作曲を始めた中学の頃から、大学で作曲を学んでいた頃まで常に考えていたことであり、音楽で収入を得ることに対する罪悪感のようなものも常にあった。(おこがましい言い方だが、「音楽で生活出来ない」ではなく「音楽で生活してはならない」という思いすらあった)

だからこそ、自分の作品を作る時は「無くても良いけど、あれば聴いてくれる人の人生がほんの少しだけ豊かになるもの」でありたい、と考えてこの答えに辿り着いたと記憶している。無くても良いけれど、あればあったで人生が豊かになるもの、それが風景のような、季節のような音楽であった。この答えは当時はそれなりに納得感もあったのだけれど、今にして思えば、正面から音楽表現に向き合うことに対する「逃げ」のような気持ちもあったのかもしれない。

Praterを作ってから10年、前述した問いに対して、今の答えは「誰かの人生に寄り添う、光のような音楽」であることだと考えている。光と言っても、眩しい夏の光だけではなく、梅雨の合間に見え隠れするひと時の陽光や、霧の夜を静かに照らす月の灯りもある。輝かしいだけが光ではないし、もしかしたら人によってはその眩しさ故に疎まれる存在なのかもしれない。ただ、確かに言えることは、やはり自分の作品は音楽表現を通した自我の発信ではなく、音楽を聴いてくれる人の暮らしへの祈りであり、聴く人のためにあるということだ。だから自分の作品を聴いてもらうことで、その人が「自分の人生の主人公は自分なんだ」と感じてもらえればと願っている。


具体的な話を少々。

最初の録音は2019年の5月であったが、曲は東日本大震災の直後、2011年から作りためていたものもある。2019年の秋からは自分が留学していたり、帰ってきたらきたで制作が出来ない状況になってしまい、今年の10月からようやく録音を再開できた。自粛期間(自分にとっては自省期間でもあったが)に新たに作った数曲を加え、計11曲入りのアルバムを予定している。参加してくださっているのはF.I.B Journalの山崎円城さん、真船勝博さん、沼直也さんをはじめ、自分が心から敬愛する方たちばかり。15年前に上京して来たころ、今回の作品に参加頂いている方たちは私にとって「素晴らしい作品のなかの人」であり、まさかそんな人たちと作品を作れるとは思ってもいなかった。

音楽性に関しては相変わらずジャンルがはっきりしない(すなわち売りづらい)曲ばかりだが、新しさではなく一つひとつの曲としての強度を求めた結果、全体の印象としてはあまり他にはない作品になると思う。編成についても聴きやすさを優先するなら、シンプルにしてダイナミック・レンジも狭めてしまえばカフェや商業施設でも気軽にかけられる「実用的」な作品になるということも分かっているが、作品としての純粋さを求めたが故に編成もバラバラ、ダイナミック・レンジもかなり広いものになると思う。
あまり時代に合っていないだろうし、そもそもアルバムを作ること自体が非効率的だとも思う。ただ同時に、とても美しい、音楽的な作品になるだろうという手応えはある。


まだ自分以外は誰も作品の全容を知らないので、今のうちに大きなことを言ってみました。まだ録音、ミックス、マスタリングを控えていますが、引き続き完成に向けて少しずつ進んでいきたいと思います。

それでは皆さま良いお年をお迎えください。

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