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幻のモカコーヒー現る!?イエメンで発見された母体品種「イエメニア」のお話|金澤屋流お家カフェVol.40

イエメンのコーヒーがお目見えしました。コーヒー通にはおなじみの「モカ・マタリ」発祥の地であります。イエメンのモカは、ここ最近ではすっかり国内でも出会うことができなくなりました。そんなお久しぶりのイエメンのモカ。なんと「イエメニア」と呼ばれる母体品種が発見されたと言うことでまたまたイエメンモカブレイクが巻き起こりそうです。その希少価値や品種の価値から価格はパナマのゲイシャ並みの価格となっております。当店でも限定品として、今まさに販売中。話題のコーヒーを紹介致します。

イエメンはどこにある?

イエメン共和国。通称イエメン。中東のアラビア半島の南端部に位置しています。国名は、アラビア語で右を意味するヤマン(yaman)から由来。古代ローマ人は、「幸福のアラビア」と呼んでいるいたそうです。

エチオピアと並ぶ最も古いコーヒー生産国

イエメンのコーヒーもエチオピアのコーヒーもモカと呼びます。コーヒーを出荷していたイエメンの首都サナアの外港である「モカ港」と言う港の名前に由来しています。

ちなみに、モカというとイエメン産のコーヒーだけではなくその対岸の🇪🇹エチオピア産のコーヒーもモカ港から輸出された為、エチオピア産のコーヒーもモカと言います。

<モカコーヒーの由来>15~16世紀頃からコーヒーの栽培は本格化しますが、そのほとんどはイスラム諸国向けでした。17世紀の初頭にはコ-ヒーはヨーロッパにも広まり、当時コーヒー輸出港であったイエメンの紅海に面した「モカ港」には、オランダ、イギリス、フランス等が次々にコーヒー商館を建て、モカ・コーヒー盛況時代の到来となります。
ヨーロッパの消費拡大に伴い、イエメン産のコーヒーだけではとうてい需要が追いつかず、対岸のエチオピアからイエメンにコーヒーを運び入れ、モカ港から輸出したのです。
エチオピア産のコーヒーも「モカ」と呼ばれているのは、モカ港から同じように輸出されていたためです。17世紀後半から18世紀になると、オランダやフランスがイエメンのコーヒーの木を自国の植民地に植樹して、それぞれの国で栽培が盛んになり、高価なモカ・コーヒーの需要は段々と減ってゆきました。19世紀後半になるとモカ港におけるコーヒー輸出量は激減しました。現在はモカの港からは輸出されていませんが、今でも「モカ」の名前は受け継がれています。

コーヒー伝説の国イエメン産コーヒーについて

首都サナアから西に50km、1時間のところ「モカマタリ」の原郷、バニーマタル。バニーは(雨)マタルは(部族)の住んでいる所地域を指します。
バニーマタル族はイエメン最大部族です。アラビア語のバニーマタルがマタリに変化し、つまりモカマタリの原語はモカ港から輸出されたバニーマタル産だったわけです。
この地区では、現在でも石畳の上に摘み取った実を並べて天日乾燥します。十分乾燥して黒色になったところで昔ながらの方法:石臼で脱穀します。
首都サナアにはバニーマタルをはじめ、ハイジやハイマ、ハラーズ地方の山岳地帯よりコーヒー豆が集まります。日本や欧米への輸出向けには、高級品としてこの地方のコーヒーを「サナニ」と呼んで取引きされています。

イエメンのコーヒーに出会えなくなってしまった理由

最古のコーヒー生産の歴史を持つイエメン。なぜ、目にすることがなくなったのか?と言いますと2014年から続く内線の影響です。コーヒー豆の生産量が激減したことや、コーヒー生産者農家の方々もできたコーヒー豆を出荷されるできないような危険な状態が続いているということです。

希少なコーヒー「イエメニア」

そんなイエメン産のコーヒーが飲めます。

モカ発祥の地、イエメンで発見された新品種。アラビカ種のルーツと言われるティピカ種やブルボン種の発見以来の最も重要な発見と言われております。

母体品種を意味する「イエメニア」と名付けられました。

コーヒーの始まりであるイエメンから、神秘の母体品種。

飲んでみたいですよね。

幻のコーヒー「イエメニア」ネット限定発売!

当店のウェブサイトで販売しております。100gのお値段はご想像の通り😅パナマのゲイシャ並みに高額です。が飲む価値があります。

味の特徴は、ピーチやベリー。ドライフルーツ系のコクのある甘味。花のような香り・・野性味が控えめで品のあるすっきりとした味わいです。

現在も研究が進められているイエメンのコーヒー。まだまだ未知なる神秘の世界が秘められています。

ちなみに創業41周年アニバーサリー福袋にて、セット販売中です。お得なのでぜひ、ご検討下さいませ。


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