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【短編小説】少女はヤギの夢をみる

「お母さん! ヤギにする!」

学校から帰ってくるなり、玄関から大声で小学校一年生の娘、皐月が叫んだ。

「おかえり。うがいと手洗いしてよ」
「うん!」
元気に返事して、洗面所に向かった。
「おやつ、カステラあるよ」
夕食は何にするかと、考えていると、いかにも話したいことがたくさんあるという風情の娘がリビングに入ってきた。体中からにぎやかなエネルギーが出ているのが見えるようだ。

「あのね! あのね! 決めたの!」
「何を?」
麦茶とカステラを用意して、テーブルの上に置く。
「こんど、新しいお家に引っ越すでしょ? お母さんペット飼っていいって」
「うんうん。今度のお家は大きいペット可だからね」
「んでね。決めたの!」
「ちゃんと世話できるならいいよー」
「ちゃんとお世話するし!」

私も、夫も幼い頃から犬と暮らしていた。もちろん今でも犬と暮らしたいという気持ちはあるが、住宅事情が許さなかった。
今住んでいる賃貸住宅は、ケージの中で飼育できる小動物ならOKで、一昨年、知り合いからハムスターを譲り受けて、飼育した。結局、寿命で去年、亡くなってしまったのだ。

将来のためも考え、やっとマイホームを手に入れたので、皐月には引っ越ししたらペットを飼ってもいいと言っていたのだ。幼い頃から動物と触れ合うのは、情操教育にもいい。せっかくなら犬がいいけど、猫も嫌いじゃない。

「だからね! ヤギを飼うの」

は? 今なんて?

「ヤギだよ! ヤギ!」

「ちょっと待って。ヤギ? あのメーって鳴く?」
「そうだよ」

なんで? なんでヤギ? 猫とか犬じゃなくてヤギ? 

「ヤギかぁ……ちょっとマンションでは飼えるかどうかわかんないなあ」
「ええっ? なんで?! この間、おばあちゃんのとこに行ったとき、となりのおじちゃんがヤギ飼ってたじゃん!」
「いや、隣のおじちゃんは、お家広いしヤギ小屋もあるし、お庭もひろいし……」
「マンションはヤギだめなの?」

……規約には確か「ヤギだめ」とは書いてはいなかったような……。ペットに対する条項には、「他の住民に迷惑のかかるような(騒音・匂いなど)ペットは不可」とは書いてあったが、ヤギがそれに値するかどうか。

「なんでヤギなの? 犬とか猫じゃだめなの?」
「だってね! ヤギはねえ、すごいんだよ! 散歩もできるし、ちゃんと飼い主覚えるし」
「それは犬も猫もできるよ」
「それに山に登れるんだよ!」
「近くに山無いけど……」
「雑草も食べてくれるんだって!」
「いや、マンションだからお庭ないし」
「お乳も出るんだって! チーズも作れるんだよ!」

一体どっから仕入れてきたのよ。その情報。

「だからね。ヤギ。ヤギがいいの」
「ヤギねえ……。ヤギは無理かもなあ」
「どうしてー?!」
こういうときの娘はたちが悪い。納得する理由をきちんと説明しないといつまでも「なんで?どうして?」を繰り返す。このしつこい性格、誰に似たんだろう。

「だってさ、ヤギは大きくなるじゃない。大型のペットをマンションで飼うなんて、ちゃんと広いところで暮らせないとヤギも可哀想だよ」
「ちょっとまってて!」

なんだか不敵な笑みを浮かべて、部屋を出て、ノートを持って帰ってきた。

「えーとね。飼いたいのは、ピグミーヤギってやつで……」

学習ノートの自由帳をめくりながらプレゼンが始まった。
ノートにはビッシリヤギの事が書いてあるようだ。

「大きさは、ゴールデンレトリバーと同じくらいなんだよ!」

……だったらゴールデンレトリバーにしようよ……。

「それでね。ご飯は草を与えとけばだいたい大丈夫らしいし、水もあんまり飲まないんだって」

「うん、うん。ヤギについていっぱい調べたんだね」
「そうなの! やっぱりお乳ほしいから女の子にしたいな。名前はメイってつける!」

頭が痛くなってきた。
「あのねえ。ヤギは妹じゃないんだよ」

確かに、皐月の名前は『となりのトトロ』から拝借したもので、あのように賢い子に育ってほしいという願いから5月生まれの娘に”皐月”と名付けた。
まさか、妹の『メイ』欲しさにヤギが飼いたいとか言っているんじゃないでしょうね。

「とにかく! どっちみち、パパにも相談しないとダメだし、ヤギが飼えるとは思えないけど、パパにとりあえず聞いてみよう」
「うん! きょう聞いてね!」

頭痛薬あったかな……。

--------

遅くに帰ってきた夫に皐月がヤギを飼いたがっているという話をした。

「へー。ヤギかあ。散歩とかできるのかな」

「ちょっと! 無理無理! ヤギなんかマンションで飼えるわけないでしょう! ヤギはトイレ覚えるわけじゃないし、お手もおすわりもできないんだろうし」
「そうかぁ? あそこ、ベランダ広いじゃんか。角部屋だし、一角に小屋みたいなのおいて、人工芝でもひいてさ……」

わかった、皐月は父親似だ。

「ベランダをヤギに? バーベキュースペースとガーデニングができるって言ってたじゃない!」
「えー、共存できないかな」
「いや! だいたい、皐月もあなたも面倒見るとかいって、結局最後は私が面倒見る羽目になるんだから! タケダさんからもらったハムスターだって、はじめの1カ月しか面倒みないで、あとは寿命で死ぬまで私が全部面倒みたのよ!」
「かわいがってたじゃないか」
「そりゃあ、面倒みれば可愛く感じるのは当たり前じゃない。タロウだって、飼い主は私だと思ってたもの」
「ハムスターってそんな頭いいっけか?」
「タロウは頭良かったの!」

話が脱線している。ヤギに戻さないと。

「とにかく! ヤギはだめってあなたから皐月に言ってよ! もう、納得するまで、延々と言い続けることになるから」
「まあそうだな。ヤギは皐月にはハードル高いかもな」
「はあ……アタマイタイ……」
「皐月、妹が欲しいのか。もう一人頑張ってみるか?」
「……何を言ってるのよ。マンション買って、これからローン払い続けるのに、私も働かないとやってけないでしょ? 無理だよ」
「無理かあ。なんか無理ばっかりだな」

だって無理なんだもん。

私だってもう一人くらい子ども欲しいとは思ってた。でも、赤ちゃんを育てるのは容易なことじゃない。保育園に入れるのだって大変だ。皐月のときは、乳児で保育園に入れられなくて、結局三歳から保育園に入ることになった。
夫が手伝ってくれるとは言っても、夫の仕事は平日はどうしても仕事で時間が取られるから、平日のワンオペは目に見えてる。
だからといって、夫に不満があるわけではない。手の空いているときは、育児や家事を率先してやってくれて、疲れているときには気を使ってくれていた。家事が手抜きになっていても文句一つ言わず、逆に感謝の言葉をいつも投げかけてくれて、ずいぶん精神的に助かったのだ。

でも、今度は事情が違う。家を買ったから、やはり私も働かないと厳しいかもしれないし、働きながらの子育ては、簡単なことじゃない。

……ヤギなんて言ってる場合じゃないのよ……。

ヤギどころかペットなんて言ってる場合じゃないのかもしれない。
布団にくるまりながら、明日の朝ごはんを何にするか頭の中で組み立てて、眠りについた。

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夢だとわかる夢――。
確かに夢だ。地平が広がる草原に立っていた。風が心地よい。
裸足の足は、柔らかな草を踏み、草の青い匂いとともに足裏からの感触が楽しい。

「メエ」

ふと見ると傍らに、白いヤギがいる。小柄でまだ小ヤギなのだろうか。私を見上げる姿が愛らしい。

ヤギの話ばかりしていたから、こんな夢を見るんだわ……。

「メエ」

ヤギはなにか言いたそうにしている。

「どうしたの? お腹すいたの?」

「メエ」

撫でようと手をだしたら、急にヤギが走り出した。

「まって! 戻って!」
ヤギはぐんぐん飛び跳ねるように走っていく。追いかけようと走り出すのだが、ヤギのスピードには敵わない。
「まって! メイちゃん!」

ハッと目が覚めた。アラームが鳴っていた。
いつものように朝食の支度をして、夫と皐月を起こす。

「おかあさん! わたし、夢みた!」
「うん。知ってる」
「ヤギの夢!」
「お母さんも見た。ヤギの夢」

「うんめいかもしれないね! きっとお家にヤギが来るよ!」
皐月はパンを頬張りながらニコニコしている。

運命ではないと思いたい。ヤギは無理。



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