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力不足だったのに無責任に元気づけてしまったー講演後のひとり反省会。

私はエンパワーしすぎてしまう。講演の参加者さんから、よく「元気になりました!」「やれる気がしてきました!」と言われる。でも、そのたびに「ちょっと待ってー、落ち着いてー」と思ったり言ったりしてます。それはなぜか。20年前の出来事です。

▶憧れのライター業!

2001-2007年、私はスペインから『ほぼ日刊イトイ新聞』というウェブコラムマガジンで連載をさせていただいていた。外国での体当たり生活を、おもしろおかしく、ちょっと悲しく書いていたと思う。ヤフーを辞めて、手に入れた、憧れのライター業! 私はとてもがんばっていた。

ときたま感想が届き、編集者さんが転送してくれる。「元気になりました!」などのメッセージに、自分が書くことの意義を認められた気がして、ウヒヒと喜んでいた。言葉でひとの心を動かすことができる自分に、酔ってたような気もする。


▶顔から血の気が引く音がした。

そんなある日、「僕は8年間引きこもりでしたが、湯川さんの文章を読んで勇気をもらいました。明日、思い切って外に出ようと思います」というメッセージが届いた。「しまったー!!」 真っ青になった。本当にそうなったと思う、顔から血の気が引く音がしたのを覚えている。

彼、外に出て、"さらに”傷ついたのではないだろうか。なぜなら彼は「やれる気になった」だけで、何も変わっていないからだ。彼のまわりの環境も変わっていないだろう。悪くなっているかもしれない。”なのに”期待をもって外に出てしまった。もしも、その期待が裏切られたとしたら?


▶私は詐欺師だ。

自分が変わっていないのに、自分やまわりを変えるための何の行動もしていないのに、「変わった」「できるかも」と思わせるのは、詐欺だ。本当にそう思った。
もし私が読み手をエンパワーしただけで、いわば勘違いさせただけで、うっかり世間の荒波に放り出してしまったとしたら、私は詐欺師だ。それなら私なんていなかった方がいい、私の文章なんて読まなかった方がいい。

それから「虚業」という思いが強くなった。


▶ノータイムでどつかれる場。

2009年に日本に帰ってきて、「これからは、言葉に責任を取ろう」と思った。どうも私はエンパワーしてしまう。これは仕方ない。だったら、せっかく「やれる気がしてきた」と言ってくれる人たちと一緒に、本当に「やれる」ようになるまで、安心して世間の荒波に船出し航海することができるようになるまで、自分とまわりを変えていくことができる場をつくろうと思った。

それで「リベルタ学舎」という、「私が無責任な言葉を発したら、ノータイムでどつかれる場」が生まれた。それはそれで、借金したり事実上経営破綻したりそれがもとで離婚したりまぁまぁ大変だったけど、でも少なくともいま、自分の仕事を「虚業」だとは思っていない。ありがたい。


というわけで、たまに1度きりの講演会すると(昨日したのですが)、終了後に講師席まで来てキラキラした目で「勇気づけられました!」「元気になりました!」と言っていただくことがあるのですが、そのたびに「やーちょっと待ってー、落ち着いてー」と思ったり言ったりしているのでした。

その原点は、20年くらい前の、あの青年からのメッセージ。あの翌日、彼が良い時間を過ごしてくれていたらいいなと、心から願ってます。力不足だったのに無責任に元気づけてしまったこと、本当に申し訳なかったです。

ちなみに起業や離婚も勧めてると思われがちですが、ぜんぜんそんなことないんです。この話は、また今度。



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