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昭和こいる師匠〜後編

「ちょっと金谷くんさー、早くしてよー。ボクの話の続きまだ書いてないじゃない」そんな昭和こいる師匠の声が天国から聞こえてきそう。

お待たせしました。昭和こいる師匠の思い出〜後編です。

前編はコチラ。
https://note.com/kanaya_hideyuki/n/n0e20b532e95b

冒頭にも書きましたが、こいる師匠はとにかくせっかち。それがきっかけで「昭和のいるこいる」の漫才も生まれたそうです。

「ボクがせっかちでさー、逆にのいるさんはのんびりしてるの。あの人金沢出身だから。それで、のいるさんがのんびり喋ってるのが待てなくてさー、イライラしながら『そいでそいで』『はいはいはい』『そっかそっか』って言ってたら、なーんかウケ出したんだよねー」

上野の中華料理屋で、のいるこいる漫才が生まれるきっかけを話してくれた、こいる師匠。話の続きを促す言葉がきっかけだったのか!

「その漫才を見に来てたフジテレビの人がさー、イベントに呼んでくれたんだよ。めんどくせーなと思ったけど、ギャラが良かったんだよねー」

そのイベントでも爆笑を巻き起こし、今度はテレビ番組へ。1999年のお正月に生放送された「爆笑ヒットパレード」。

「呼ばれたんだけどさー。ずーっと待たされちゃって。イライラしちゃってさー、もう帰っちゃおうかと思ったよ」

ミスターせっかち、こいる師匠。待たされるのが大嫌い。

「もーめんどくさくなっちゃってさー。本番でも『早く帰りたいなー』って思いながら、いつも以上にテキトーにやってたら今までにないくらいウケちゃったんだよねー」

コンビ結成から33年。奇跡のブレイク。

その漫才、テレビで見てたなー。「なんだこのテキトーなジジイは!」って衝撃受けたなー。

もう一人、その漫才をモニター越しに見てた男がいました。

「オレもよー!その時同じ番組出てたんだよー。そしたらよー、のいるこいるがバカウケだよ!嬉しくなっちゃったよ!」

漫才協会会長、青空球児師匠。ほぼ同じ時期にコンビを結成し、「青空球児・好児」は若いころにブレイク。一方の「のいるこいる」は中々日の目を見ず、親友のブレイクを誰よりも喜んでいた球児師匠。

ただ、今のこのシーンは木曽さんちゅうのライブが終わった後、こいる師匠と二人で打ち上げをしてる所なんで、球児師匠は勝手に入って来ないで下さい。

「えーっ!何だよバカヤロー!じゃあこの話は今度浅草の徳仙で飲んだ時に話してやるよ!ゲロゲーロ!」

球児師匠には退場して頂き、再び上野の中華料理屋で二人だけの会話。

「こいる師匠、今日の木曽さんちゅうとの漫才楽しそうでしたねー」「ホント?いやー楽しかったよー」満面の笑みで答える、こいる師匠。

「ずーっと漫才やりたかったんだよねー」焼酎のグラスを、まるでマイクの様に握りしめながら微笑むこいる師匠。さっきの舞台で聞いた歌声が聞こえてくるようです。

と思ってたら、ホントに聞こえてきたよ。

♪やるなら今しかねえ〜
やるなら今しかねえ〜

店内に流れる有線放送の曲に合わせ、歌い出すこいる師匠。

長渕だよ!長渕剛の「西新宿の親父の唄」だよ!

「えっ?こいる師匠、なんでこの歌知ってるんですか!?」「ボクさー、長渕剛好きなんだよねー」「えーっ!?」

「昔は怖かった」と噂されるこいる師匠。長渕剛の歌を口ずさみながら、心の中でファイティングポーズを取ってる姿が見えるようでした。

♪やるなら今しかねえ〜
やるなら今しかねえ〜

西新宿の親父は66でしたが、亡くなる寸前まで舞台でファイティングポーズを取っていた昭和こいる師匠。

昭和こいる。享年77。
♪77の親父の〜口ぐせは〜
やるなら今しかねえ〜!




金谷ヒデユキ

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