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人々の幸せのために鬼は走る(成仏寺の修正鬼会)

鬼がつなぐ縁

豊後高田市に移住して、もうちょっとで3年になります。
移住者とは言っていますが、実は私、隠れ地元民でして父は豊後高田市、母は国東市の生粋の「くにさきペニンシュラピーポー(Kunisaki Peninsula People(KPP))」なんです。(ドヤ顔)
まぁ、人にいうても「知らんがな〜」ですが・・・・
で、母方の親戚筋から、「せっかく帰ってきたのだから、成仏寺の修正鬼会に泊まりがけでこんか」というありがたいお話をいただき、生まれて初めての体験をしてきました。
前回、国東市上成仏にあるお宅に訪問したのは、小学校に上がる前からですので、約半世紀ぶりの出会いです。もう何回も何回も何回も「子どもの頃はものすごく可愛かったのに、なんでこんなことに・・・・」と言われ・・・これも「知らんがな〜」ですよ。

成仏寺の修正鬼会のこと

修正鬼会の説明は最初のリンクでご覧いただいて、成仏寺の事情だけ説明します。
成仏寺の修正鬼会は隔年開催でしたが、2016年は関係者の高齢化から中止となり、その後、2018年に復活、今年が復活後の二回目となりました。
声をかけてくれたお宅のお父さんは中止の時も復活の時も中心人物だったので、飲みながらその時の状況を話してくれました。
詳細は書きませんが、やはり1200年続いた行事を止めることには覚悟がいります。復活するのも大変な決心です。
今回は、実施の関係者から外れたのでゆっくりされてましたが、次回以降の開催にも不安があるとのことです。
現在、地区の戸数は約30戸です。お店も学校もありません。住人のうち最も若い人が50代後半。空き家バンクに登録している家もあるそうですが、二階建てのしっかりした屋敷と広大な土地も含めて、200万円でも買い手がない。

次世代に残したいけれども

国東半島は「日本遺産 鬼が仏になった里」として登録されましたが、天草のジオパーク返上の事例にあるように、交流人口が増えず、一方で維持のための相当な金額や労力が必要になることもあります。
特に、重要無形民族文化財は、建物や遺跡のように通年にわたっての拝観による収入をあてに出来ませんし、その継承者がいなければ途絶えてしまいます。
そのような事情は、理屈ではわかります。しかし、実際に苦労している方のお話を聞くことで、まさに自分のことのように感じてしまいました。

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できることはあるはず

その一方、修正鬼会に対して情熱をもってとりくんでいる人のこともたくさん知ることが出来ました。
修正鬼会に若い頃から約30年間参加している人、関東から移住して参加している人、市外から参加のために国東市に通っている人、修正鬼会を研究している東京の大学生、外国からこの日のために観光に来ている人などなど・・・・
鬼が人々をつなぐ縁を作っているのです。
きっと私も何かできることがあるはず。それを探します。



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