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豊後高田市で生きていく

ふるさとがない

私には幼なじみというような人物がいません。幼少期は北九州、周南市の小学校に行って、中学校3年生で引越し、高校は国東高校、大学は名古屋に行きました。
そこからは、14回の引越し生活を余儀なくされて、広島に自宅はありますが、住んだのは3ヶ月です。
ふるさとと呼べる場所がないことについて特に何も感じませんでしたし、まぁ、そんなものだと思っていました。それより、おかげさまで住んだ先々で楽しいことの方が多かったように思います。ですから、中四国地方の美味しいものや見所は聞いてください。いくらでも喋ります。

移住することになって

そんな人生だったのですが、思いがけず退職することになって、移住先として選んだのが豊後高田市です。
実は、移住施策が充実しているなんてことは全然知らなくて、市役所で聞いて初めて分かったのです。さらに嬉しいことは、孫ターンという、祖父がここの出身で、かつ、一度も住民票が豊後高田市に移っていない人には、10万円の移住支度金制度があるというので、釣られたのです。不純ですね。
それと、全国では珍しい、「金谷さん」という苗字の人が多いので親戚がいれば心強いかなぁ。と思ったのもあります。
あと、墓参りに便利だし・・・

ふるさとは自分で決める

移住してからは本当によくしてもらっています。申し訳ないくらい。当初予想していた親戚はいませんでしたが、私が豊後高田大好きアピールしたので、いとこが移住してくる予定です。なんか嬉しいです。
引越しのプロから言わせてもらいますが、学生時代に経験した人も多いと思いますが、確かに生まれ育った町から離れて他の土地で暮らすのは大変です。転勤もかなりのストレスです。
でも、別に生まれたところや縁のあるところではなくても、好きなところがあるならそこをふるさとにすればいいのです。移動の自由は基本的人権だったりします。人は自由なのです。

ビジターとホーム

自分を振り返ってみると、今までの人生で、全部がビジター気分だったのです。ビジターはいいですよ。そもそも責任がない。仕事でも転勤前は結構手抜きしますしね。ほんと、地元の職員はいい迷惑です。ホームとビジターとは、やはり、その覚悟が違うのです。だから、一生ビジターではいたくなかったのです。
そして、ホームじゃないとできないことがあるのです。そうです、あれです。やってみたいじゃないですか、9回裏サヨナラ満塁ホームラン!
結局ね。そういうことなんです。ドッカーン!とね。


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