見出し画像

赤ん坊のわがままと障がい者のわがまま

見たことのない映画についてかたる

画像1

映画「こんな夜更けにバナナかよ」
もうね。想像で語っちゃうよ。でも、この映画がきっかけで思いついた疑問を、豊後高田市から別府市までの移動中に落水さんに聞いてみたのです。二人でいろいろ論議したのですが、その話のきっかけになったのがこの映画のことなんです。
質問!「赤ん坊のわがままは可愛いのに、障がい者のわがままは可愛くないのはなぜなんだろうか?」
ちょっと考えてみてください。

迷惑をかけているという意識

他の人にも聞いたのです。障がい者の中には「自分はやってもらって当然という態度の人が少なからずいるので、そういった経験から来るのではないか?」という意見。正直、そういったこともあるでしょう。
それなら、感謝の言葉「ありがとう」があれば解決?人間関係を潤滑にするためには必要な言葉ですが、この設問の答えにはなっていないように思うのです。そもそも、赤ん坊は「ありがとう」とは言えません。
「赤ん坊は、成長していくけど障がい者は成長しないから」この意見は、後から借りを返してもらえるなら迷惑がかかっても許してあげるということです。逆もあるのかな?今まで愛して育ててくれた親だから、それまでの借りを返す気持ちでわがままもゆるしちゃう。うーん、なんかピンとこない。

画像2

本当に赤ん坊のわがままは許されているのか?

もう一回、原点に帰ってみました。赤ん坊にわがままは許されているのかというと、実はそうでもないでもない感じがします。
幼児や児童に対する虐待の事件も報道されています。豊後高田市でもありました。
そういった事案を詳しく見てみると、閉ざされた環境で育児が行われている状況が見て取れます。私がいうのもどうかと思いますが、育児にストレスはついて回ります。言うことを聞かない子どもの泣き声や叫び声に対して、手を上げそうになった経験のない親はいないのではないでしょうか。こう考えると、赤ん坊と障害者ってそう変わらないのでは?
最初の質問「赤ん坊のわがままは許されて、障がい者のわがままは許されない」という設問自体が間違っているのです。
どんな状況なら許され、どんな状況なら許されないのか?ということなのです。

画像3

みんなでよってたかって

すかさず、自分が活動した、「はなっこルーム真玉」の写真を入れてみました。すんません。
結局、どれだけの人が関わるかということなのだと思うのです。
赤ん坊を抱いて街に出れば、出会った知らない人も笑顔で声をかけてくれます。はなっこルームに行けば、同じような年代の赤ん坊と親御さんと会うことができます。育児の話、夜泣きのことや成長の度合い、グチも聞いてもらえます。うんこの話も笑い話。
喜びも辛さもパブリックにオープンにしてみんなで分け合えば笑い話になるのです。
障がい者の支援もそうです。高齢化に伴い、赤ん坊以上にたくさんの方がハンディキャップを抱えて生きています。
背が高い、足がはやい、目の色、肌の色と同じように、ハンディキャップが本人の個性なのです。

夜更けにバナナを買いにいく

「夜中に電話で叩き起こされてバナナを買いに行く」のと「夜泣きが近所迷惑になるのではないかと思って、一晩中車を運転していた」のと、迷惑を受けていることにどれほどの違いがあるのでしょうか。
みんなで笑い話にすればいいのです。たくさんの人に知ってもらって、「あるある」といってもらえればいいのです。「この話を映画化して丸儲け」とか、「大きくなって結婚式のスピーチでバラしてやる」とかね。
たくさんの人がその一人と関わって、いいことも悪いことも共有して、思いやって喜びを見つけて、笑い合って幸せになるなら、「わがまま」っていいじゃないっすか。

スキ!♥️押してもらえたら感謝!感謝!支援していただけると超嬉しいです☺️