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CHEMISTRYは、もう聴けない

CHEMISTRYが好きだ。
結婚したばかりの2005年ごろ、本当によく聞いていた。

夫ありきのファン

もともとファンだったわけではない。

夫がよく歌っていたんだ。

夫は歌がうまくて。
いや本物の歌手の方々と違うのは分かっておりますが、一般人としてはかなりうまいほうだと思う。
うまい、もだけれど…少しハスキーで鼻にかかって、甘い優しい声。

そんな声だから、夫は堂珍パートを歌っていた。

理想の相方

ただ、いくら堂珍パートがよくても(夫がめちゃ良いという前提の話だが笑)、川畑パートがイマイチだとがっかりだ。

でも、夫には最高の相方がいた。
パンチある歌声の、Kくん。

この二人は、わざわざ話し合わなくても一発でどちらがどのパートというのがぴたりと合うんだそうだ。

夫と私がまだ友だちだったころも、つきあい始めてからも、本当によくこの二人のCHEMISTRYを聴いていた。誰からともなくリクエストが起こっていた。

当然のことながら、夫と私の結婚式のときもKくんはステージに上がった。
わたしは気づかなかったが、ステージに上がった時点でもう一本マイクを持っていたようだ。夫は「あ、歌わされるな」とすぐ気づいたという。
もちろんそのあとステージに引っ張り上げられ、Kくんと夫のステージは結婚式のビデオ(時代!)にしっかりと残っている。

このビデオが好きで、この二人の歌声が好きで、結婚後も週末ごとにわたしは一人でそれを見ていた。
そのころは、CHEMISTRYを聴くよりも夫とKくんの”ゲミストリー(←ネーミングセンス^^;)”を聴くことが多かったかもしれない。

聴けなくなった理由

2006年以降、かな。
"ゲミストリー”を聴くことがなくなった。

なんとなく気が合わなくなったとか、ケンカ別れとか、そんなんじゃなく。

Kくんの病気で。

当時、つきあってしばらく経つ彼女にプロポーズするんだと、夫にも相談していたKくん。
傍から見てても恥ずかしいくらいラブラブで、うちに遊びに来ても彼女はいつもKくんに絡みつき、Kくんしか見ていなかった。それがKくんもたまらなく嬉しそうだった。

プロポーズ直前に、会社の健康診断で引っかかり再検査。
良性の腫瘍を取るだけだったはずの手術。
それが終わったらプロポーズすると話していた。

あとは、詳しいことは知らない。

良性だと思っていた腫瘍はなかなかに難しいヤツだったらしい。
一旦は取り除いて退院し、順調にお付き合いしていた。「彼女がいなかったらオレ耐えられなかったかも」なんて話してもいた。

彼女さんは、少しだけ私たちとは色が違った。Kくん以外に共通の話題が見つけられず、連絡先の交換などもしていなかった。
Kくん本人には、体調が微妙なのかなという懸念もあり連絡しづらくなり、彼女さんの連絡先も知らなくて、Kくんからも連絡が減り、なんとなく疎遠になっていった。

なんでオレじゃなかったんだ

数年後、夫やKくんとよく遊びに行っていたという友だちのうちで、いちばん信頼の薄い(失礼)T氏が「Kくんに会いに行ってきたよ」と話してくれた。

聞けばKくんのほうから連絡をくれたらしい。
久しぶりに話したいと。

Kくんはなんだか太っていた、と言っていたような。そして彼女とは別れたらしい。それ以外は覚えていない。

夫はこのとき「なんでT氏なんだ?オレのほうが仲良かったのに」と悔しがった。私も、なぜあの軽薄な(失礼)T氏だったのか?なぜ相方である夫ではいけなかったのか?

今はわかる。

夫は繊細なところがあって、自分の主張は横に置いて相手の想いをくみ取ることができる人だ。
Kくんは、自分の辛さを感じ取られたくなかったのかもしれない。”ゲミストリー”のころの彼とは、外見もだいぶ変わっていた。それを見られるのもいやだったのだろう。

T氏はそのあたりは分からないタイプ。その薄さに腹が立ち、友だち付き合いも考え直そうかなと思うことが幾度もあった。
でもこのときのKくんには、T氏の軽薄さが気楽だったんだろう。
軽薄にもいいことがあるんだな。

実感が湧かない

それからまた2年ほど過ぎただろうか。

Kくんが亡くなったとの連絡が誰から届いたかは、覚えていない。

Kくんと最後に話したのは、我が家の引っ越し祝いの日。その半年後に妊娠しすでに3歳ほどになっていた娘を連れて、お通夜に行ったのは覚えている。

パネルにあるKくんの写真は、わたしたちの知っている彼とは違った。
たぶん、薬の副作用などだろう。むっくりと膨れた顔は、ちょっと見にはKくんとは分からなかった。

数年会っていなかったし、私たち夫婦は引っ越して子どもができて、目まぐるしく変わる毎日に追われていて、Kくんがいなくなった実感がまったく湧かなかった。

…なにこれ?意味わかんない。

たぶん私は、ずっとそう感じていたと思う。

独身時代からよく遊んでいた仲間を、夫たちは「チーム」と呼んでいた。

お通夜のあと、チームの数人と食事に行った。
泣き崩れるようなメンバーはいなくて、たぶんみんな私たちと同じように実感がわかなかったんだろう。
ともすれば、実感がわかないことにすら罪悪感や寂しさを感じて沈み込んでしまいそうな空気。それを、我が家の少し多動ぎみの娘が和らげてくれたような気がする。

当時のmixi日記

それから何年が経つんだろう?
10年弱かな?

それを確かめたくて、当時ときどき日記を書いていたmixiを久々に開いてみた。

2008年だった。
日記の日付は11月8日。ただすぐには文章にできず、そこそこ時間が経ってから書いたのを記憶しているので、たぶん10月の後半に亡くなったのだと思う。

当時の日記を読んだら、また涙が出てきた。

先日、友人が亡くなりました。
一つ年下の37歳。ガンでした。
病が発覚してからちょうど4年。
最後に会ったのは、まだそれほど病気が進行するなんて思ってもいなかった
最初の退院後のクリスマス。
我が家でクリスマスパーティを開いたときでした。

友人と言っても夫の友人。
夫が合コンで知り合った、熱くて寂しがり屋の好青年。
普通女の子と知り合うための合コンなのに、
夫と彼はそこで知り合ってむちゃくちゃ気が合って
多いときには週3回くらい合コンしてたらしい。

歌がうまくて、夫と二人でいつもケミストリーをハモってたんだって。
私も何度か聞いたし
私たちの結婚式でも歌ってくれたカラオケ
サプライズでマイクを握らされた夫とのハモリが聞きたくて
結婚後数ヶ月はほとんど毎週一人で結婚式のビデオ見てたな。

私たちが結婚して1年後、
「彼女が出来ました」って連絡をもらって
もう一組のカップルと6人でご飯を食べに行った。
まだ付き合って2週間という彼らは初々しくて
見てるこっちが恥ずかしかった。

数ヶ月もしないうちに「結婚します」ってまた連絡をもらって。
結婚願望の強い人だったし
ほんとによかったねーって話していたら入院。

当初は「良性の腫瘍があるから、それを取るだけ」みたいに言っていたのに
精密検査の結果は悪性だったらしく・・・
決まっていた結納は延期、
購入していた婚約指輪は正式に結納が済んでからということだったのか
まだ渡していないか着けていないかだと言っていたのが
2005年の9月か10月だったと思う。

それでも退院できたし
それを待って開いたからクリスマスパティーになってしまった
我が家の引越し祝いにも彼女と一緒に来てくれた。
完治したんだと思った私たちは
「結婚するんでしょ」と言うと
少し複雑そうな表情で「・・・がんばります」と答えたと思う。
彼の腕にしっかりとからみついていた彼女が印象的だった。

思えばそれが彼を見た最後。

その翌年は私の伯父の死、妊娠、父の手術、出産といろんなことが重なり会えなかった。
一時期は仕事にも復帰したと聞き、
じゃぁ結婚ももうすぐだろうねと招待状を待っていた。

長女が産まれて4ヶ月くらいのころ、
久しぶりにみんなで会おうと花見をすることになった。
多分そのころだと思うけど、夫から彼の病の再発を聞いた。
それでも花見に彼が来るというので楽しみにしていたのだが
治療のため県外に行っていて参加できなかった。

その後は彼女と別れたということを伝え聞いたくらいで
詳しいことは知らないまま。
今年に入ってから友人の一人が彼の家に会いに行ったらしく
「少しふっくらしてた」彼から、今は治療せず自宅療養だと聞いたという。

そして2週間前、亡くなったと連絡を受けた。

ご両親のご挨拶文の中に
「彼は自分の寿命を悟り、家族にも少しずつ覚悟を促していたように感じます」
と書いてあった。

優しい男だった。


本当に”死”を目の前にしている人間というのはどんな感じなのだろうか?
彼は4年もの間病と闘い、死の恐怖と闘い続けていた。
想像しても分かるはずがないけれど
死の淵を見たからこそ分かる幸せとか優しさとか、そういったものもあるんだろうか?
・・・なんかうまく言えないな。


どうして彼だったんだろう?

もともと”人の死”というのが今ひとつ感覚として分からない私には
彼の死を反芻しては首をかしげている。

どうして何もできなかったんだろう?

「あのころは会いに行けなくてごめんね。
 なんかどんな顔して会えばいいのか分からなかったから」
婚約者と並ぶ彼の笑顔にそういって夫が謝り
病が完治するまでのことや長女が産まれてからのことを
笑いあえる日が来るものだと思っていた。

もうそんなにたつのか…
4歳くらいだと思っていた長女は、きっとまだ2歳くらいだったんだな。

CHEMISTRYは、もう聴けない

2週間ほど前だったか、夫とテレビを見ていたら、CHEMISTRYが歌っていた。

ふだん、なかなかそんなふうに2人そろってゆったりとテレビを見ることはないんだけれど、この日はなぜかとてもゆったりと。

わたしの後ろにいた夫は、涙を流していたようだった。


きっともう、夫の渾身のCHEMISTRYを聴くことはない。
どんなに上手くても、どんなにいい声でも、夫一人では化学反応は起きない。

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