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「なかむらかなこ」とは何なのか?ー3分でわかる自己紹介編ー

顔出し名出しアカウントのくせにTwitterのBioを極端にシンプルにして久しい。

多くは口にしない人間になりたいという願望がそこにはつまっている・

とはいえ最近フォローしてくれた方々は「お前なんやねん?」と思っているかもしれないので、今日は改めて「なかむらかなこ」について簡単に紹介したいと思う。時間があれば流し見してみてほしい。

ポイントは3つ。
・理学療法をしない理学療法士である
・国際協力を志さない国際協力関係者である
・バリキャリではない仕事人間である

理学療法をしない理学療法士である

そう。実は理学療法士となってすでに10年目なのだ。同級生は課長やら部長やらになっていて、めちゃくちゃに時の流れを感じている。

理学療法士として日本では大学病院で4年(うち1年は障害児施設)、かつその中でも部署をローテーションしてきたので、ざっくりとした臨床経験はあるものの、これだ!と突き詰めた専門性はない。そもそも在学中から小児を診たいという気持ちが強くあったこともあり、自分では「小児が専門」と言っている。

その後青年海外協力隊としてグアテマラで2年間理学療法士業をし、その後は臨床を離れている。

「理学療法士に戻らないの?」と聞かれることが度々あるが、今のところそのつもりはあまりない。自分じゃなくちゃ出来ないこと、という風に感じないからだ。そこでは勝てないから。一方で、いま私が取り組んでいることも一種の「リハビリテーション」であると信じているし、そもそも理学療法士としての経験がなければ今の私は存在しないと断言できる。なので、私は理学療法士であり続けている。

国際協力を志さない国際協力関係者である

画像1

↑グアテマラ時代の写真

青年海外協力隊としてグアテマラに行くまで、「海外?グアムとハワイです」な人間だった私。パスポートもなぜか5年版しかもっていなかった。

帰国後はディズニーで働こうと心に決め面談の予約までしていたのに、なぜかあれよあれよと開発コンサルタント(国際協力系のコンサルタント)の道へ。2年間またもや中米に関わることになる。この辺で、「私、日本だろうが海外だろうが割と大丈夫だな」と気づくことになる。

その後障害学を学びにイギリス大学院へ留学することが決まるわけだが、開発系の人たちには「開発学を学びに行く」と思われがちだった。正直、開発あんま興味ないねん。とは言わなかった。

私にとっては国際協力の道に進んだのはきっかけの一つであり、目的ではない。障害児とその家族が笑顔で暮らせるというゴールに向かっていければよくて、それは途上国だけに限った問題じゃないのだ。縦軸じゃなくて横軸で考えたい。よって、国際協力にアツい人たちとは考え方にだいぶ距離がある。

バリキャリではない仕事人間である

私にとって仕事というのは人生の大部分を占めているし、「公私」という概念がないくらいには仕事として学び続けることを愛している。

一方で、長時間労働・競争力・生産性・そして稼ぐ!みたいな資本主義の権化みたいな世界にはまったく興味がない。仕事は、あくまで私にとっては世界(誰か)の役にたつための、自己実現の手段のひとつだからだ。自分の命が石垣の中の小石のひとつになればいい、そしてそのプロセスを自分が楽しめれば良い。そんな風に思っている。まだ夢見がちなのかもしれないけど、少なくとも80歳まで働くことを私はまったく嫌とは感じないくらいには幸せだ。

読んでくれてありがとう。

もしかしたら3分で読めなかったかもしれない。嘘をついてごめんなさいね。最後に、我が母が私を形容した印象的なことばで占めたいと思います。

あなたが3歳くらいの頃から、”お母さんとは違う人生を歩むんだろうな”と思ってた。

いやどんな3歳児だよ。

#自己紹介

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