海辺の廃ホテルで起きる呪いの惨劇――都市伝説が現実になる瞬間
誘いの夜
「本当にここまで来る必要あったの?」
夕闇が訪れ始めた海辺の道を歩きながら、ミホが声を上げた。頬に触れる潮風はどこか冷たく、夏の終わりを告げるようだった。
隣で歩くケンジが懐中電灯を握りしめ、「これも青春だろ?」と笑いながら応じた。
「まあまあ、せっかくみんなで集まったんだし、楽しまなきゃ損だよ。」
リサがカメラを片手に前を歩きながら振り返る。
彼女の髪が風になびき、薄暗い空の下でどこか非現実的な美しさを帯びていた。
「楽しいかどうかはまだわからないけどな。」
マコトがぼそりと言う。
その表情はどこか警戒心を帯びており、リサの後ろをぴったりとついて歩いていた。
四人が目指しているのは、海沿いの崖に建つ廃墟、「オーシャンブルーホテル」だ。かつては豪華なリゾートホテルとして名を馳せ、多くの観光客を引き寄せていた。
しかし、数十年前に閉鎖されて以来、朽ち果てた廃墟と化し、今では地元の若者たちの間で「幽霊が出る」と噂される心霊スポットとなっていた。
「本当に幽霊とか出るのかな?噂に過ぎないでしょ。」
ケンジが肩をすくめるように言った。
彼の無邪気な好奇心は、グループの中で最もこの探検に乗り気な態度を見せていた。
「そう言うけど、あの事件の話は知ってるでしょ?」
ミホが声を潜めて言う。彼女はこの計画には最初から反対だったが、ケンジに説得されて渋々ついてきた。
「建設中に作業員が落ちて亡くなったって話とか…その後も宿泊客が失踪して見つからなかったとか。」
「噂話だろ。それに、そんなの怖がるほどじゃない。」
ケンジが軽く笑う。
「でも、地元の人も近寄らない場所なんでしょ?何かあるんじゃない?」
マコトがミホの肩を支えるように言った。
「大丈夫だって。幽霊なんかいないって証明しに行こうぜ。」
リサが悪戯っぽく笑い、カメラを構え直す。
「むしろ怖い話が本当だったら、バズるかも。」
彼らが笑い合う間に、ホテルの影が視界に入ってきた。崖の上に佇むその姿は、かつての栄華を彷彿とさせるほどの巨大さを誇っていたが、今では壁面の塗装が剥がれ落ち、窓ガラスの多くが割れている。
その様子はまるで、長い間何かに侵され続けてきた生き物のようだった。
廃墟への一歩
ホテルの正面に立った瞬間、ミホは思わず息を飲んだ。夕暮れの光が完全に失われた中、廃墟の姿は黒いシルエットとなり、威圧感すら感じさせた。
「すごいね…これが本当に営業してた頃があったなんて信じられない。」
リサがカメラを回しながら呟いた。
彼女の声は高揚感を隠せない一方で、どこか無理に明るさを保とうとしているようにも聞こえた。
「見ろよ、これ。」
ケンジが建物の看板を指差した。『オーシャンブルーホテル』と書かれた文字は錆びつき、剥がれかけている。
「時代を感じるだろ?」
「入るの、本当にやめない?」
ミホが足を止めた。心臓の鼓動が速くなっているのが自分でもわかった。
「これ、ちょっと普通じゃない気がする。」
「大丈夫だって、ただの古い建物だ。」
ケンジが軽くミホの手を引いた。その瞬間、ミホはふと風に乗ってかすかに聞こえた気がした――低い声で何かを囁くような音が。
「…今、誰か喋らなかった?」
思わずミホが言う。
「ん?何も聞こえなかったけど?」
ケンジが首を傾げる。リサも「風の音じゃない?」と軽く流した。
しかし、マコトだけはミホの言葉に真剣な顔を向けた。
「俺も、なんか…聞こえた気がする。」
その言葉に、一瞬だけ全員の間に緊張が走る。だが、ケンジがそれを断ち切るように、「さ、行こうぜ」と懐中電灯を持って先に進み始めた。
リサもカメラを回しながらついていく。
「ほんとに大丈夫かな…」
ミホは小声で呟きながら、マコトとともに後に続いた。
異変の始まり廃墟に響く足音
探索を続けるうち、廃墟の中は徐々に静寂を増していった。誰もが足音を小さくし、周囲の音に耳を澄ます。
廊下に進むと、壁には剥がれた壁紙や黒いシミが広がり、朽ちた家具が散乱していた。
「…ねえ、ちょっと待って。」
突然、ミホが立ち止まる。彼女の顔は青ざめ、目はどこか遠くを見ている。
「どうした?」
ケンジが振り返る。ミホの表情を見て、彼も緊張が走った。
「…今、誰か歩く音、しなかった?」
ミホの声は震えていた。廊下を抜ける風がヒュウと音を立てるが、足音のようなものは聞こえない。
「また気のせいじゃないのか?」
ケンジは笑いながら歩き始める。しかし、その時だった――廊下の奥から、カツン、カツンと硬い靴音が響いた。
全員が息を飲み、動きを止める。音は確かに廊下の奥から近づいてきていた。
「誰か…いる?」
リサがカメラを構えながら後ろに下がる。ファインダー越しに奥を覗き込むが、光の届かない暗闇には何も映らない。
「おい、誰かいるのか?」
ケンジが声を張り上げる。しかし、返事はない。音だけが続いている。次第にその音は廊下の壁に反響し、まるで四方から響いているかのように聞こえ始めた。
「や、やめようよ!こんなの冗談じゃ済まない!」
ミホが叫びそうになる声を抑えながらケンジの袖を掴んだ。
「落ち着け、大丈夫だ。」
ケンジは懐中電灯を持つ手に力を入れながら、声のする方向へ一歩近づいた。
だが、その瞬間、カツンという音がピタリと止まる。
静寂が訪れ、全員が身じろぎもできないまま固まっていた。
何かの気配
「…消えた?」
マコトが恐る恐る言ったが、誰も答えない。重い空気が漂い、誰もが息をするのさえ怖がっているようだった。
「…やっぱり気のせいだったのかな。」
ケンジが振り返り、笑いかけようとしたその時――ドン!
突如、廊下の奥の扉が大きく音を立てて閉まった。
リサが悲鳴を上げ、カメラが手から滑り落ちる。乾いた音が廊下に響いた。
「今の、何だ?」
ケンジが叫びながら扉の方を懐中電灯で照らす。しかし、何もいない。扉は閉ざされ、ただ静かに立ち尽くしているだけだった。
「ねえ、もう帰ろうよ!」
ミホが必死に声を上げるが、ケンジは首を横に振る。「こんなところで帰ったら、何のために来たかわからないだろ!」
「でも、でも…何かおかしいよ!」
ミホの声は震えている。リサは拾ったカメラを抱えながら、「帰るのもいいけど、早くここから出ようよ」と同意する。
しかしその時――再び足音が響き始めた。
今度は全員がはっきり聞いた。それは廊下の奥からではなく、すぐ背後から近づいてきていた。
ここでさらに不気味さを高めて次に続けますか?
了解しました。さらに描写と心理描写を丁寧に膨らませ、ボリュームをしっかり確保して続けます。
逃れられない足音
カツン、カツン――
それは確実に彼らの背後から響いていた。硬い靴底が床を叩く音。その音が一歩ずつ近づいてくるたび、全員の呼吸が浅くなり、冷たい汗が背中を伝った。
振り返るべきか、見ないままでいるべきか。誰も動けない。
「おい…後ろ、見たほうがいいよな?」
ケンジが震える声で言った。頼りがいのある彼の姿は、今や不安に満ちている。
「やめて!」
ミホが叫ぶように制止する。「絶対、見ちゃだめ…!」彼女は自分でもわからない本能的な恐怖に突き動かされていた。目の奥が熱く、視界が滲む。足が動かない。
「でも、このままじゃ――」
ケンジが振り返ろうとするその瞬間、足音がピタリと止んだ。
沈黙が訪れる。誰もが動けず、息を飲む中、マコトが絞り出すように囁いた。
「…いなくなったのか?」
だが次の瞬間、"スゥッ…"というかすかな音が背後で響く。まるで何かが息を吸い込む音。
それは生々しく、近い。すぐ耳元にあるように聞こえた。
「逃げろ!」
ケンジが叫び、全員が一斉に廊下の奥へ走り出した。足元に散らばった瓦礫が崩れる音、心臓の鼓動が耳をつんざく。リサはカメラを抱えたまま、涙目で振り返る。
「何かいるの!? 何なのよ、これ!」
「前だけ見ろ!」
ケンジが叫ぶが、彼自身も震えている。振り返る勇気などどこにもなかった。
ホテルの謎
走り抜けた先に、大きなドアが見えてきた。それは廊下の突き当たりにある古びた非常口のような扉だった。
ケンジが力任せに扉を押すと、ガタンと大きな音を立てて開いた。
全員が雪崩れ込むように部屋へ入り、扉を閉める。
「ハァ…ハァ…追いかけてきてない?」
リサが荒い息をつきながら扉に耳を当てた。外からは何も聞こえない。先ほどまでの足音も、気配も、完全に消えていた。
「消えた…のか?」
ケンジが肩で息をしながら呟く。だが、誰も安堵できない。廃墟に入り込んだ時から漂っていた奇妙な雰囲気が、ますます濃くなっているように感じられた。
「ここ…どこ?」
ミホが周囲を見回す。彼らが逃げ込んだ部屋は、かつてレストランだったようだ。テーブルと椅子が倒れ、天井には巨大なシャンデリアがぶら下がっている。
だがそのシャンデリアは、まるで何かに押しつぶされたように歪んでいた。壁には何十年も前のままと思われるメニュー表が掛かっているが、文字は湿気と汚れで読めなくなっている。
リサがカメラを再び構え、部屋の中を撮影し始めた。「待って、ここ…おかしいよ。見て、この床。」
床の一部には、不自然な模様が刻まれていた。円形に並んだ謎めいたシンボル。それはどこか宗教的な雰囲気を感じさせるが、見慣れたものではない。
ケンジがライトを近づけると、その模様が赤黒く染まっているのがわかる。
「血…?」
ミホが震える声で言った。その言葉を聞いた途端、全員の背筋が凍りついた。
再び近づく音
突然、扉の向こうから再び音が響き始めた。今度は足音ではない。
"ゴン…ゴン…"と、何かが壁を叩いているような重い音。一定の間隔で、それが少しずつ近づいてくるのがわかる。
「ここから出ないと!」
マコトが叫び、部屋の奥にあるもう一つの扉を指差した。「あっちの扉、通れるかもしれない!」
「でも、あの模様…これ、何かの儀式の跡じゃないの?」
リサが震えた声で言ったが、誰も答えなかった。この場所に留まる理由は何もない。彼らは模様を避けるようにして奥の扉へと向かう。
ケンジが扉を押すと、再び嫌な音を立てながら開いた。だがその先に広がっていたのは、さらに深い闇だった。
ホテルの入り口――悪夢の扉
夜の帳が完全に降り、海風の音が不気味に響く中、一行はついに目的のホテルへとたどり着いた。朽ち果てた外壁には無数のひびが走り、かつての栄華を物語る華やかな装飾はすでに色褪せている。ホテルの正面に立つと、錆びついた鉄製の看板が微かに揺れ、消えかけた文字が月光に浮かび上がった。「海辺の楽園グランドホテル」――その名が皮肉めいている。
「なんだよこれ…本当に人が来てた場所か?」
ケンジがつぶやく。
「当時は賑わってたんだって、昭和の終わり頃くらいまで。」
リサが持っていた古いパンフレットを見せる。色あせた紙には、家族連れやカップルが笑顔でプールサイドを楽しむ写真が載っている。だが、今のホテルにはその面影はまったくない。
「でも、噂通りだな。」
マコトが懐中電灯を建物の上層階へと向けた。その光が窓の一つ一つをなぞるたび、汚れたガラス越しに何かの影が動いたように見えたが、気のせいだろうか。
「噂って?」
ミホが不安そうに尋ねる。
「ほら、このホテルが閉鎖される前に、連続失踪事件があったって話。泊まった客が次々と姿を消したんだよ。しかも、そのうち一人も見つかってない。」
マコトの言葉に、空気が一瞬張り詰める。
「やめてよ、そんな話。」
ミホが腕を抱きしめた。
「そういう話、冗談でも怖いから…」
「別に脅すつもりじゃないけどさ、廃墟マニアの間では有名だぞ。『ここに近づくな』ってな。」
ケンジが言うと、リサが興味深げにパンフレットを眺めながら答える。
「でも、それがまた人気の理由でしょ。ミステリーとロマンを感じるじゃない?」
「感じなくていいよ、そんなロマン。」
ミホが小声でつぶやいた。
「まあ、とにかく入ろうぜ。」
ケンジが懐中電灯を片手に、朽ち果てたエントランスへと足を踏み入れる。その後ろに続く形で、全員がゆっくりと建物の中へ吸い込まれていった。
朽ち果てたロビー――時の止まった空間
内部は外観以上に荒れ果てていた。ロビーの大理石の床はところどころ剥がれ、天井からは巨大なシャンデリアが落下したまま放置されている。
壁には無数の落書きが刻まれ、その中には見慣れない文字や記号も混じっていた。地面に転がる瓦礫とガラス片が、歩くたびに足音と共に鈍い音を立てる。
「すごいな…これ、完全に映画のセットみたいじゃん。」
リサがカメラを構え、シャッターを切る。
カメラのフラッシュが部屋の隅々を一瞬だけ照らし出し、その度に何かが動いたような錯覚を起こさせる。
「ここがフロントか?」
ケンジがかつて受付だったと思われるカウンターの裏を覗き込む。埃まみれの帳簿や古い鍵が散乱していた。
「鍵がそのままって、なんかリアルだな。」
リサが撮影しながら近づく。
「これだけ放置されてるのに、誰も持ち帰ってないんだね。」
「普通、こんなとこ来ないだろ。」
マコトが壁にかかっていた額縁を指さした。その中には、ホテルが開業した当初の様子が写った白黒写真が入っている。
ホテルの創業者と見られる男性が、笑顔でテープカットをしている光景だった。
「ねえ、これ、変じゃない?」
ミホが写真を指差した。額縁の中の男性の顔に、奇妙な黒い染みが広がっていたのだ。
それはちょうど目のあたりを覆っており、不気味さを際立たせていた。
「カビか何かじゃないの?」
リサが軽く言うが、その声にはどこか緊張が含まれていた。
「…なんか、気味が悪いな。」
マコトが写真から視線を外し、誰ともなく言った。
暗闇の先にあるもの
探索を続けるうちに、一行はロビーを越えて奥の廊下へと進んでいった。廊下は思った以上に長く、天井の電球はすべて割れている。
光源は懐中電灯のみだ。薄暗い光が、ひび割れた壁や剥がれ落ちた天井を不気味に照らし出す。
「この先、何があるんだろう。」
ミホがケンジのすぐ後ろをついて歩きながら尋ねた。
「多分、客室だろ。大部屋とかあるんじゃないか?」
ケンジが答える。
「けど、なんか変だよね。廊下の作り、普通のホテルっぽくない。」
リサが言う。確かに、廊下は異様に狭く、ところどころ不自然な角度で曲がっている。まるで迷路のようだ。
「もしかして、これって増築した跡とか?」
マコトが推測する。
「儲かってた頃に、無理やり部屋を増やしたとかさ。」
その時、突然ミホが立ち止まった。
「待って…聞こえる。」
全員が耳を澄ませる。静寂の中、どこからともなく聞こえてくるのは、微かに揺れる海の音だった――いや、それは海風ではない。
女性のすすり泣きのような音が、壁の向こうから響いていた。
何かの気配
すすり泣きの音は、廊下の奥から徐々に大きくなっていくように聞こえた。まるで彼らを誘うかのように、音が不規則に揺れ動く。リサが恐る恐る言った。
「これ…誰かいるってこと?」
「冗談だろ、こんなとこに?」
ケンジが懐中電灯を振りかざし、声のする方向を照らす。しかし、光が届く範囲には何も見当たらない。ただ、廊下の奥に続く闇があるだけだ。
「戻ろうよ、もう十分だよ。」
ミホが怯えた声で言った。
「ちょっと待て。」
マコトが遮る。
「この音…ただの風じゃない。何かおかしい。」
彼は懐中電灯を壁に向けた。壁には奇妙な痕跡があった。手形のような跡が無数に浮かび上がっている。それも、小さな子供の手形だ。
「これ…どういうこと?」
リサが後ずさる。手形は薄汚れた灰色で、壁から浮かび上がるように見える。まるでそこに何かが押し付けられたかのように、生々しい。
「誰かが悪ふざけで描いたんだろ。」
ケンジがそう言って進もうとするが、突然彼の足元で音がした――ぐしゃりと湿った音が。
「…なんだ?」
彼が足元を見下ろすと、床一面に広がっているのは濡れた跡だった。どこからともなく湧き出したかのような黒い液体が、じわじわと広がり始めていた。
それはまるで、足元をつかむように蠢いている。
「何これ!?」
ミホが叫び声を上げる。リサが思わず後ろに飛び退くと、背中の壁に何かが触れた――それは冷たくて、滑らかな感触。
振り返った彼女が見たものは、壁から突き出た一対の白い手だった。
「うわああっ!」
リサがパニックに陥り、逃げようとするが、壁の手は一瞬で消えたかのように跡形もなくなった。
「やばい、ここは本当におかしい!戻るぞ!」
ケンジが叫び、全員が一斉に入り口の方向へと駆け出した。しかし、先ほどまで確かに通ってきたはずの廊下は、見たことのない通路へと変わっていた。左に曲がれば出口のはずが、そこには暗い階段が口を開けている。
「なんでだ…どうなってるんだよ!」
マコトが声を荒げる。
消える道、消えない気配
一行が足を止めるたびに、背後から気配を感じた。振り返るとそこには誰もいない。しかし、次の瞬間、リサが口元を覆いながら言った。
「…いる。」
「何がだよ!」
「分からない、でもいるの…ずっと見られてる感じがする!」
その言葉を証明するように、廊下の奥から低い笑い声が響いた。それは人間の声とは思えない、ねじれた響きだった。
ケンジが強がりを見せるように懐中電灯を向けるが、光は闇に吸い込まれるように広がるだけで、何も映し出さない。
「これ、夢だろ?そうだよな、これ全部夢だって言ってくれ!」
ミホが涙声で叫ぶ。
「落ち着け!」
マコトが全員を制するように言った。
「このままパニックになったら終わりだ。とにかく冷静に、来た道を探すしかない。」
その時、リサが小さな声で言った。
「…あの音、また聞こえる。」
すすり泣きの音は再び響き始めていた。ただし、今度はもっと近くから。
そしてそれは、廊下の奥で動く小さな影を伴っていた――小さな子供のような影だ。
影の正体
「おい、なんだあれ…」
ケンジが震えた声で言う。影は廊下の奥で揺れるように動き、まるで彼らを誘うように一瞬止まったかと思うと、再び遠くへ消える。
「追いかける?」
リサが尋ねるが、その声は自信なさげだった。
「馬鹿か、なんで追いかける必要があるんだよ!絶対に危ないだろ!」
ケンジが怒鳴るように答える。
「けど、もしかしたら出口への道を知ってるかも…」
ミホがか細い声で言った。
「…行こう。」
マコトが懐中電灯を握りしめ、先頭に立った。「ここにいても拉致があかない。それなら、あの影を追ってみるしかない。」
一行は足を震わせながら、影を追って廊下を進んだ。しかし、影を追うたびに廊下の形状はさらに奇妙にねじれていく。
壁には先ほどの手形が増え、天井からは黒い液体が垂れ落ちてくる。
そしてついに、彼らは一つの大きな扉の前にたどり着いた。扉には不気味な模様が刻まれ、触れるだけで冷気が手に伝わる。
「これ、開けるのか?」
ケンジがためらう。
「他に道はない。」
マコトが決断を下し、扉に手をかけた。そして扉が音を立てて開いた瞬間、彼らを待っていたのは――絶対に見るべきではなかった光景だった。
続きをさらに深め、核心に近づけますか?
開かれた扉の向こう
扉を開けると、そこには巨大な空間が広がっていた。薄暗い光がゆらゆらと漂い、天井は見えず、空間全体がどこまでも続くように感じられる。床には無数の歪な模様が刻まれ、それらがまるで生きているかのように脈打っていた。
「なんだここ…?」
ケンジが声を震わせながら呟いた。
奥からすすり泣きの音が再び聞こえてきた。その音は徐々に重なり合い、やがて無数の声が混ざり合ったような不気味なコーラスへと変わっていく。足元を見ると、先ほどの黒い液体が再び現れ、蠢きながら彼らを囲むように広がっていた。
「戻ろう、今ならまだ――」
ミホが振り返るが、そこにあったはずの扉は消えていた。背後にはただの壁があり、逃げ道は完全に断たれている。
「嘘だろ…!」
ケンジが壁を叩くが、それは鈍い音を立てるだけで、何の反応もない。
「見て!」
リサが前方を指さす。彼女の指先には、人影があった――それは、先ほど廊下で見た子供のような影だ。
影は彼らから数メートル先に立ち尽くし、その姿は徐々に形を成していった。黒いシルエットが薄れるとともに、そこに現れたのは、ボロボロの服を着た小さな少女だった。
彼女の顔は異様に青白く、その目はまるで底のない闇のように深かった。
「助けて…」
少女が囁くような声で言った。
「お、おい…大丈夫か?」
ケンジが恐る恐る声をかけるが、彼女はじっとこちらを見つめるだけで動かない。
「助けて…」
再び同じ言葉を繰り返した。しかし、その声は徐々に変化していく。言葉が途切れ途切れになり、やがて不気味な唸り声へと変わった。
その瞬間、少女の体が大きくのけぞり、その顔が異常なほどに引き裂かれるように歪んだ。人間のものとは思えないほど大きな口が現れ、そこから闇のような何かが漏れ出す。
「逃げろ!」
マコトが叫び、全員が反射的に後退した。だが、どこにも逃げ場はない。黒い液体が足元を完全に覆い尽くし、その上を歩くたびに不快な粘着音が響く。
少女の体は次第に巨大な異形の存在へと変わり始めた。腕は異様に長くなり、指は鋭い鉤爪のように変形していく。
背中からは黒い触手のようなものが次々と生え、空間全体を覆い尽くそうとしていた。
絶望の中の決断
「どうすればいいんだよ!」
ケンジが叫ぶ。パニックに陥った彼は、近くの石を拾い上げて異形の少女に向かって投げつけた。
しかし、それは彼女の体に触れる前に黒い触手に吸収され、跡形もなく消えてしまった。
「無駄だ…普通の方法じゃ何もできない!」
マコトが冷静を保とうとするが、彼の顔にも恐怖の色が浮かんでいる。
リサが突然、何かに気づいたように叫んだ。
「床の模様!これ、どこかで見たことがある…!」
彼女は懐中電灯で床を照らし、そこに刻まれた模様をじっくりと観察した。それは古代の儀式に使われる魔法陣のような形をしていた。
「何かが封じられている…これ、開けちゃいけない場所だったんだ!」
リサの言葉に、マコトが即座に反応した。
「じゃあどうすればいい?これを元に戻せるのか?」
「分からない!けど、何か方法があるはず!」
その時、リサの手に持っていた懐中電灯が突然切れた。次の瞬間、空間全体が完全な暗闇に包まれる。
「リサ!どこだ、リサ!」
ミホが叫ぶが、返事はない。代わりに聞こえてきたのは、あの不気味なすすり泣きの音だった。それはさらに近く、彼らの耳元で囁くように響いた。
声の中の真実
暗闇の中、リサの声が微かに聞こえた。
「…何かが…分かった気がする…」
「リサ!どこだ!」
マコトが叫ぶが、闇は彼らを遮るように分断し、声の正確な位置を掴むことはできなかった。
「もう一度、この空間を閉じなきゃいけない…でも、誰かが…代償を払わなきゃ…」
リサの声が途切れ途切れに響いた。
「代償って何だよ!おい、リサ、答えろ!」
ケンジが叫んだ瞬間、暗闇の中で再び光が差し込み、リサの姿が浮かび上がった。彼女は魔法陣の中央に立っており、その足元から黒い液体が彼女を飲み込むように広がっていた。
「待って、リサ、やめろ!」
マコトが駆け寄ろうとするが、黒い液体が壁のように立ち上がり、彼らを遮った。
リサが微笑みながら最後に言った。
「これが唯一の方法みたい…ごめんね…でも、みんなを助けるためだから。」
そして、空間全体が強烈な光に包まれた。
リサの勇気
眩い光が空間を埋め尽くし、ケンジたちは目を覆った。耳をつんざくような風の音とともに、黒い液体がまるで吸い込まれるように消えていく。
魔法陣の模様が白熱し、リサの姿は徐々に溶け込むように薄れていった。
「リサ!戻ってこい!」
ケンジが叫ぶが、その声も光にかき消される。
最後に、リサの声だけがかすかに聞こえた。
「ありがとう…みんなが無事でよかった…」
光が収まり、静寂が訪れた。気がつくと、ケンジ、ミホ、マコトの三人は元の廊下に戻っていた。
あの異形の空間は消え去り、廊下にはただの静けさだけが残っている。しかし、リサの姿はどこにもなかった。
残された者たち
「これ…どうなってるんだ?」
ケンジが呆然と辺りを見回す。
「リサは…どこ?」
ミホが震える声で尋ねたが、誰も答えることができなかった。
マコトは床をじっと見つめていた。リサが立っていた場所には、淡い光を放つ小さなペンダントが落ちている。それは、リサがいつも身につけていたものだった。
「これ…」
マコトがペンダントを拾い上げると、その中に微かな声が響いた。
「大丈夫。私はここにいるよ。」
全員が驚いてペンダントを見つめたが、それ以降声は聞こえなくなった。ただ、そのペンダントからは、どこか温かい気配が感じられた。
再び外の世界へ
三人は気を取り直し、急いで廃校の出口へ向かった。不気味な気配はすっかり消えており、学校の廊下はただ古びた建物特有の静けさだけを保っていた。
外へ出ると、空には朝日が昇り始めていた。青白い光が廃校を照らし、その全貌を浮かび上がらせる。
「本当に…終わったのか?」
ケンジが振り返って校舎を見上げると、その窓の一つに誰かが立っているのが見えた。
それは、間違いなくリサだった。彼女は静かに微笑み、手を振っていた。
「リサ…!」
ケンジが駆け寄ろうとするが、マコトが腕を掴んだ。
「ダメだ、あれはもう…」
その言葉にケンジはハッとし、リサを見つめるだけで足を止めた。
リサの姿は徐々に薄れていき、やがて完全に消えてしまった。その瞬間、校舎全体が音もなく崩れ落ち、跡地にはただの瓦礫が残された。
その後の選択
数日後、三人はリサのペンダントを手に、彼女の家を訪れた。家族に真実を話すことはできず、「彼女は最後までみんなを助けようとしていた」とだけ伝えた。
廃校での出来事については誰にも話すことなく、三人はそれぞれの生活に戻っていった。しかし、彼らの心には常にリサの姿と、あの異形の空間での出来事が残り続けた。
ペンダントはマコトの手元に保管されていた。時折、それが淡い光を放つことに気づくが、何も語られることはない。ただ、温かい気配だけが彼を見守っているようだった。
それから数年後。
マコトは再び廃校の跡地を訪れた。そこには何もなく、ただの空き地が広がっている。しかし、風に吹かれた一瞬、どこからか懐かしい声が聞こえた気がした。
「ありがとう、マコト。」
振り返るとそこには誰もいなかったが、彼の胸にはリサの笑顔が浮かび、穏やかな涙が流れた。