北アルプス紀行(2023年8月)
死ぬまでに雪渓が見たい
自分で言うのもなんだが、運動が苦手だし嫌いだ。学生時代は運動会とか体育祭はただの生き地獄だったし、放課後は文化系の部室で息を潜めていた。そんな僕が北アルプスへ登山に行ったきっかけは、雪渓が見たかったからだ。
「雪渓」は僕が趣味にしている俳句の季語にもなっており、俳句を通して2018年にその存在を知った。雪の字が入っているが、季節は冬ではなく夏である。山の谷間を埋めた雪が、標高が高く、気温が低いために融けずに夏まで残っているのだ。
雪渓にこれほど惹かれるのは、遠くから眺めるだけではなく、自分の脚で歩いて渡れるところにある。いわゆる「アイゼン」という滑り止めのスパイクをつけてザクザク歩けるらしい。コロナ禍で思うように動けなかったが、いつか行きたいと思っていた。今、その”いつか”をたぐり寄せ、雪渓を体験しに行くことを決意した。
雪渓の俳句
※ここからしばらく準備の話になるので、早く北アルプスの風景が見たい人は途中を読み飛ばしてください。長いので興味のあるところだけ読んでいただいても。人によって関心のあることは違うと思いますが、この記事で特に面白くなるのは「一日目」の「9合目」を過ぎた辺りからだと思います。なお、登山経験者には常識なこともいちいち解説していきますが、予めご了承ください。
白馬岳
雪渓があるのは日本アルプスだけなので、日本三大雪渓の一つがある長野県の「白馬岳」に登ることにした。天然記念物の雷鳥が棲息していて、高山植物の宝庫としても有名である。
「はくばだけ」という読み方もあるが、普通は「しろうまだけ」である。日本には雪が部分的に溶けた山肌のシルエットに動植物などの形を見る、いわゆる「雪形」という文化があり、白馬岳には馬の雪形が現れるのだ。初夏に田んぼに水を入れて土を砕き、均すことを代掻きと呼び、その代掻きをするための「代掻き馬」に由来するから、「はくばだけ」ではなく「しろうまだけ」なのである。ちなみに「雪形」は春の季語で、「代掻き」自体は初夏の季語だ。
準備:登山一ヶ月前
白馬岳は標高2,932m。頂上を目指すとなると日帰りは無理なので、テント泊か山荘泊になるだろう。とても文化系の部室で息を潜めていた人間が行くところではない。ひとまず初心者らしく、本屋で『山歩き安全マップ①北アルプス北部』という本を購入してルートを検討した。
標高が高すぎて7月前半までは雪山らしい。「夏山」とは言うが、なるほど「春山」とか「初夏山」はないのだな。週末に行って帰れるようなところではないので、8月中旬、お盆休みに旅行する計画を立てた。主な高山植物の花期としてはギリギリの頃だ。”高山植物の女王”と呼ばれる駒草が見たい。もし夏の山岳季語「雪渓」「駒草」「雷鳥」が全て見られたら俳人冥利に尽きるではないか。
宿泊に関しては、テントを背負っていく体力はとてもないので、迷わず山小屋泊を選ぶ。山小屋に泊まるのは大きな楽しみのひとつだ。
地元にも誘えば付き合ってくれそうな友人もいるし、現地の長野県には趣味の小説仲間や俳句仲間がいるが、結局、登山には誰も誘わなかった。極限状態に近づいたとき、誰かのペースに合わせる自信がないからだ。迷惑をかけられるのは構わないが、かけたくない。
しかし、お盆の頃なら人がいっぱい居るので、いざというときには助け合えるだろう。自分は生粋の方向音痴だけど、周りに人さえいれば道に迷って遭難することもない(山の遭難原因は常に「道迷い」が第1位らしい)。
本当は怖い登山ルート
『山歩き安全マップ』を見ていると、「山小屋」とか「水場」とか「お花畑」のマークがあちこちにあってわくわくする。同時に、「不帰ノ嶮」などという不穏な地点名も目に飛び込んでくる。そっちに行くのは止めよう。
白馬岳の登山ルートはいくつかあるが、僕は雪渓、火山湖、湿地など多様な地形を通るルートに魅力を感じて、『猿倉荘→栂池自然公園』というルートを選択した。具体的な登山コースはこちら。
数年前に急に登山に目覚めて、西日本最高峰の石鎚山(標高1,982m)に初心者向けルートで登ったことはあるのだが、そのときに準備で地元の低山にいくつか登った。300m、500m、蒜山(1,202m)、高山は初心者向けルートで石鎚山(1,982m)。この経験から分かることがある。高い山にロープウェイで頂上付近まで行ってから整備された涼しい登山道をすこし登るよりも、低い山に蒸し暑い麓から分け入って延々と道なき道を登る方が、断然、きつい。つまり登山の難易度は、山の高さや登山道の長さよりも、むしろ登山道の標高差と道の険しさで決まるのである。
石鎚山の初心者向けルートと、今回の白馬岳のルートを比較して愕然とした。
【石鎚山】標高1,300m→1,982m 標高差682m
【白馬岳】標高1,239m→2,932m 標高差1,693m
標高差が2.5倍! これで登山道が長くて、ゆるい坂を長時間かけて登るのならよいのだが、
【石鎚山】片道4.7km 1kmあたりの標高差145m
【白馬岳】片道7.3km 1kmあたりの標高差232m
坂の勾配が1.6倍! このくらいの勾配なら登ったことがあるが、あくまで短距離である。それに知ってますよ。これはあくまで平均値だから、ゆるいところがある代わりに、もっときつい急登があるんでしょ……。
100m歩くのは容易いが、勿論、100mの絶壁はロッククライマーでもなければ登れない。ビルで言うと30階建てだ。梯子だとしてもかなりきつい。そこで、人は平地と絶壁の中間にあたる斜辺を登っていくわけで、勾配が問題になってくるのだ。以前、標高300mくらいの近所の低山に気軽に入ったら、白馬岳と同じくらいの勾配で、30分も歩かないうちに吐きそうになったことがある。対して、標高500mの別の山は、緩い坂が長く続いたため、ピクニック気分のまま登って下りた。
なぜかスクワットにはまる
白馬岳の頂上までは階段に換算すると1万段を軽く超える。強烈な不安を覚えた僕は、とりあえず残された1ヶ月間でスクワットを初めとする筋トレを行い、猛暑のなか、汗だくでいくつかの低山を周った。本当は標高の高い山にシミュレーションに行きたかったのだが、高い山は市街から遠く県境にあり、文字通り山奥なので、とても日帰りできないのだ。
元々、僕の体型は中肉中背だったが、トレーニングの日々で、ベルトの穴が毎週1つずつ移動し、最終的にウェストが5cmくらい減った。反面、なぜか体重は変わらず、減った贅肉は全て筋肉になったようだった。太腿は引き締まり、膝頭とふくらはぎは太くなって、脚は直線に近いフォルムになった。なんとなく、鍛えれば人の肉体は凸凹に近くなっていくと思っていたが、元がひょろかったので、その前段階にあるのだろう。まぁ、見た目なんてなんでもいい。安全に登る筋力さえあれば。
スクワットは「筋トレの王様」と呼ばれているくらいで、肉体の中で最も大きい太腿の筋肉を中心に鍛えることができる。なんとなく筋肉と言うと腕の力瘤のイメージがあるが、腕の筋肉の量はたかが知れているし、登山にはあまり関係がない。
スクワットで膝を痛める人が多いというのは聞いていたので、まずYouTubeで5本ほど「正しいスクワットのやり方」動画を見たところ、なかやまきんに君の動画がとてもよかった。どう見てもプロのトレーナーだ。本当に芸人なのだろうか。
正直、日々のスクワットは辛くなかった。腕立て伏せを一日百回やれと言われたら絶対嫌だが、スクワットはもっと大きく筋肉を使うので、筋トレと運動の中間といった感じで無理がない。しゃがんで立ち上がるだけなので、腕立て伏せや腹筋のように場所も取らない。地面に邪魔になる物がないかとか、床を汗で汚さないかとか気にしなくていい。ベンチプレスのような器具は何も必要なく、身体一つでできるのだ。しかしウォーキングでは決して鍛えられない筋力を得ることができる。
脚の幅を変えたりつま先立ちになったりするだけで、負荷を掛ける筋肉が内腿になったり、お尻(大臀筋)になったり、脹脛になったりと自由自在なのも、素晴らしいところだった。
だが、まずびっくりしたのは、最初、自分にスクワットをする筋力がなかったことだ。厳密には「正しいスクワットをするための筋力」がなかったのである。なんちゃってスクワットならいくらでもできるのだが、動画の通りの正しい姿勢を取ろうとすると、重心が後ろに来るので、背中からひっくり返って蛙のように倒れてしまう。スクワットは、究極的には空気椅子の姿勢をとれるような筋肉を目指していくことになると気づいた。
筋トレ界では常識のようだが、筋トレしたら必ず身体を休ませないといけない。筋肉を回復させて前より強くする超回復が目的なのであって、筋肉をいじめるのは手段に過ぎないのだ。だから必死に毎日筋トレしても効果が薄いらしい。特に慣れていない人は筋肉の超回復に時間が掛かるらしいので、僕の場合は隔日で行うようにして、一日30回、50回、100回と段々数を増やし、最終日には300回のスクワットをしても、途中で息は切れて休むものの、苦にならなくなった。
一週間くらいで正しい姿勢のスクワットができるようになり、一ヶ月後には僕も多少は足腰のパワー!(by なかやまきんに君)を手に入れることができた。下山後の今でも一日おきに100回のスクワットが日課になっている。もしかしたら、この習慣が今回の最大の収穫なのかもしれない。
あ、この章で「スクワット」って13回書きました。
装備と科学とXX万円
石鎚山に登ったときはミドルカットの踝が隠れる登山靴以外は、普通の帽子とリュックというピクニック的な装備だったが、今回はそうはいかない。2018年の西日本豪雨の際、泥沼の中のボランティアで登山靴がぼろぼろになっていたので、まずは靴から買い換えることにした。
いつものモンベルへ行き、初心者らしく素直に店員さんに意見を求める。登山靴のソール(靴底)の硬さには段階があり、夏山用では二番目に硬いものにした。軟らかい方が歩きやすいが、日本アルプスともなると、工事現場もかくやという岩の破片が散らばったガレ場に出くわすかもしれない。それに、雪渓を歩くときにアイゼンを付けるなら、柔らかいソールだとぐにぐにして上手く嵌まらないとのこと。
モンベルの靴底「トレールグリッパー」は、グリップ力では世界的に有名なビブラムソールを上回り、濡れた岩場などでも世界一滑らないと言われている(但し、そこはトレードオフで、摩耗はビブラムソールよりかなり早いらしい)。
陳列棚の鮮やかなデザインのものに目移りしたが、靴紐の代わりにワイヤーが入っているモデルを見つけたので、迷わずそれにした。「BOAフィットシステム」というやつである。ワイヤーは取り外しができず、手で結ぶという概念がない。
写真のように、靴にダイヤルが2つあり、押し込んでからカチカチ回すだけでワイヤーが締まっていく。脱ぎたいときはダイヤルをカチッと持ち上げるとワイヤーが一気に緩む。靴の脱ぎ履きがなんと楽なこと。
また、ダイヤルが2つあるために、不器用な僕でも細かな調整が可能だ。靴紐の長さが余ったり足りなかったりすることもないし、靴を洗うときも気にしなくていい。色は黒しかなかったが、見た目はすぱっと諦めてこれにした。BOAは普通の靴ほど構造上の制約がないので、アッパーのデザインの自由度が高く、ネットで他のスポーツ用のものを見ると宇宙的にオシャレなものが多かった。店員さんに聞いたところ、写真の登山靴はワイヤーが切れたときに靴紐で代用もできる構造なのだそうだ。だから普通のデザインなのか。地味な色のものしか売っていないのもモンベルらしいと言えばらしい。
なお、BOAの欠点は紐靴に比べると爪先側を締めにくいことと、価格が高いことのようである。
一気に登山用のギアを揃えることにした。
次に、絶対必要なのはバックパック。1泊2日の30リットルくらいのサイズになってくると、バックパックだけで1kg以上の重量になる。なにせ体力が不安なので、なるべく軽いのがよかったが、店員さんによると数百グラムの重さは体感的にはほとんど意味がなくて、それよりも身体に如何にフィットするかが大切らしい。確かに、荷物というのは重心が離れるほど重く感じるものだ。だから背中部分にこれほど剛性が高く、かつ緩やかに湾曲した板のようなものが備わっているのか。メッシュ構造で、汗蒸れ防止にもなる。
試着で背負わせてもらい、胸と腰のベルトをはめて各所を調整すると、身体の一部になったかと錯覚した。普通のリュックのように肩ばかりに負担がかからず、背中、胸、腰に分散される。鏡を見ると、漫画や映画でよくこんな大きいのを背負っているなと思いながら見ていた山男そのものだった。ちょいと身体の線は細いのだが。
ジッパーで開け閉めする普通のタイプは決まった容量しか入らないのに対して、くるくる巻いてカチッと留めるロールアップタイプは、何回巻くか調整することで、容量を調整できるということで、そちらを選んだ。何かに似ていると思ったら玄米の米袋である(なんのことか分からない人はみんな都会人です)。
最初はジッパーの方が手軽に思えたが、ロールアップの方が雨が降ったときに水が入りにくいし、実際、巻数で容量を調整できたのはとても便利だった。中身が少なければそれだけ絞ってコンパクトにできる。
30L程度のバックパックは、ほとんどのタイプは雨が降ったら防水カバーを取り出して被せるものだったが、僕はバックパックの内部に防水部分があるタイプを選んだ。雨が降ったくらいで、ベルトを外して背中から下ろして、カバーを取り出して、被せて、また背負う……というのが面倒だなと思ったからである。それに予め防水スプレーを全体にかけておけば、汚れるのも防げるし、多少の雨は平気なものだ。
なお、よくバックパックの説明に出てくる「2気室」とはどういう意味かと以前から疑問を抱いていたが、これは単純に、バックパックの中に仕切りがあって、2つの空間に分かれているということだ。ではなぜ分かれているかというと、雨が降ったときにバックパックに被せる防水カバーや、自分が着るための雨具を取り出すのが大変なためだ。1気室の場合、奥に仕舞ったものほど取り出すのが困難になる。雨具は当然、水や食料などに比べて奥に仕舞うことになるが、雨が降ったときに緊急時のドラえもんのようにならないために、2つある気室の内、小さい方は雨具を入れる専用になっているのである。気室が2つあれば、開く口も2つあるので直ぐに取り出せる。なお、写真のバックパックでは底部分になる(こちらの気室はジッパーで開く)。
鮮やかなブルーのバックパックに憧れていたが、ほしい容量の商品にはなかったので、またしても見た目より実益をとった。どんどん地味になるが、初心者なので我慢我慢。
そしてちょっと憧れていたトレッキングポール(登山杖)を購入。
正直、使ったことがないので必要性が良く分からなかったが、高山を登っている人はみんな使っているイメージがあるので購入してみた。店員さんに聞くと、アルプスに行くならやはり、左右で二本使いが良いとのこと。
伸縮式ではなく、三つの筒に分解できる折り畳み式を選んだ。写真では分かりにくいが、中をワイヤーが通っていて分解しても完全にはバラバラにならない。まっすぐ引っ張るだけで、奇術のように勝手に組み上がって一本になるからびっくり。何かにつけて費用がかさむが、このトレッキングポール、1本およそ1万円である。2本で2万円だ……(当たり前)。安いのもあったが細く、なんだか頼りなくて折れそうだった。
最後に、帽子も改めて購入した。
UVカットは当然のこと、防水透湿のGORE-TEXタイプを見つけたためだ。防水透湿とは、水は通さないが汗蒸れなどの水蒸気は通すので、蒸れない雨具という画期的なものである。学生時代にカッパを着て自転車で走り、汗だくになった体験はないだろうか。あれがなくなるのだ。モンベルの登山靴は防水透湿が標準で、上下の雨具も防水透湿だが、帽子は珍しい。
買い物から帰って早速、登山靴やバックパックに防水スプレーでくまなく処理をした。雨具、手袋、ロングスリーブTシャツ、登山用の厚手の靴下などは持っていたので、これで装備は揃った。一安心。
一安心だが、全部で10万円を超えたことを書き添えておかねばならない。
伯耆大山でトレーニング
トレーニングが低山だけというわけにはいかないので、仕上げの山だけは1泊して、鳥取県の伯耆大山(標高1,729m)に登った。我ら岡山県人にとって本格的な山と言えばここである。一般的な登山ルートで標高差と距離が白馬岳初日の6割程度なので、ここが登れなければ白馬岳は到底無理ということになる。ドキドキする。
そういえばこの大山は中学生のときに学校で登らされた。確か天気が悪くて6合目で引き返させられたような(うろおぼえ)。あのときはただの苦行だったが、大人になってから好んで来ることになるのだから人生は分からない。
あえてバックパックに水などを多めに入れ、白馬岳と同じ量を想定してパッキングしたところ、総重量がおおむね9kgになった。背負ってみると……重っ!! こんなんで登れるのだろうかと不安になったが、意外となんとかなった。理由は、主に二つある。
一つ、登るにつれて総重量の半分程度を占める水と食料を消費するので、荷物がどんどん軽くなること。
一つ、登るにつれて標高が上がって涼しくなってくること。頂上の気温は平地より10度低い。
高い山なので楽しかったが、ガス(霧)も出るし、空気が青んで景色はあまり見えず、古い山なので(地学的な時間スケールでは)崩壊しかかっているから、縦走が禁止されていた。「縦走」とは、山脈になっている複数の山の峰を渡り歩く、あるいは峰が複数ある山の稜線を渡り歩くことで、多少のアップダウンがあるだけで下山しないため、ずっと景色が良い道を歩ける。登山の醍醐味である。
縦走はできなかったものの、9合目辺りから高山植物保護のための木道になり、涼風に心と体を洗われた。
麓は標高700mで避暑地の風情。下山後にゆっくり回ってみると、店は少ないが、品の良いカフェがあり、お土産も充実していて楽しかった。真夏なので、涼しいだけでも価値がある。
一気に写真をお見せしたい。
途中、疲労して「どこでもドアがほしい……」と力なくつぶやく、若い女性登山者が印象的だった。
そのほか、連れの登山初心者の女性陣にマンスプレイニングしたり卑屈になったりするおじさん。一緒の友達に疲労を言い訳し続けるおばちゃん。それを励まし、肯定し続けるおばちゃん。煽り合う体育会系の男子大学生たち。たまにいる体力無尽蔵の未就学児。頂上まで来て事業と金しか話題のない人。自分で持ってきたコンロとホワイトガソリンで湯を沸かしてカップラーメンを食べている人。などなど。山は人間曼荼羅である。
主にヘリコプターで資材を運んで建てたのだろう。頂上付近に大きな建物があって、軽食も提供していた。
初めて使った2本のトレッキングポールは大活躍した。普段歩くときに遊んでいる腕の筋肉が有効活用できることの感動たるや。推進力として使うには、脚に比べて腕の筋力はわずかなものだが、岩場を登っていくときに大きく体勢が傾くのを防いで、バランスが取れる。安定感もあるし、身体を傾けたりひねったりしなくてよいので、体幹の疲労が軽減できる。
前半のタイムが標準より早かったので、後半はのんびり登ったため、最終的には標準タイムになった。朝8時半から登り始めて14時半に下山。
なんだかんだ余力を残して登り切れたので自信にはなったが、下山翌日から脹脛の筋肉痛が激しく、3日間くらいはロボットのような歩き方になった。あれだけスクワットしたのに! スクワットのやり方を工夫して、本番までの残り数日で脹脛を必死に鍛えた。 逆に言えば、他のところはほとんど筋肉痛にならなかったのだが。
〇日目
いざ長野県へ
長野には、行く前からかなり計画的に動く必要があった。
まず、今回の登山ルートは全行程で16kmもある。街→山脈を縦走→街という、カタカナの「コの字」型だ。このため、出発地点と到着地点が二駅分ほど離れている。調べたところ、おそろしいことに現地にはほとんどコインロッカーがない。下山後も数日観光する予定なので、登山開始前にキャリーバッグを預ける場所がなくて途方に暮れるという事態を避けるため、キャリーバッグは下山後に泊まる予定のホテルへ宅配で発送しておいた。
山には現金と身分証明書だけ持っていけばいい。山頂で宿泊する山小屋は大部屋の雑魚寝なので、貴重品は持っていかない方が良いだろうし。小銭入れならポケットに入れて眠ることができて、紛失の心配がない。それに、もし現金が足りなくなっても携帯電話の電子マネーがあるから、なんとでもなる。完璧である。
登山靴を履き、バックパックを背負って、意気揚々と新幹線で出発した。正直、列車内ではちょっと浮いていた。
松本市内観光
長野県に入り、松本駅で下りて市内を観光。駅構内は僕と同じようにバックパックを背負った人も多く、壁には大型コインロッカーがずらり。駅を出ると目抜き通りの向こうには山が聳えており、槍ヶ岳登山の開祖である播隆上人の銅像が立っている。流石、日本アルプス登山の中継地といった風格である。
白馬村へ
松本駅からは各駅停車になった。大糸線で北上するにつれて緑に囲まれていく、というか緑しかない。日没を迎えると、外灯がないので窓の外は真っ暗。同じ車両には僕以外に白ロリの少女一人しかいないという異空間。
乗り換えの信濃大町駅で、立ち食い蕎麦をいただいた。「葉わさび蕎麦」にしたが、券売機をよく見たら「信州鹿肉きのこ蕎麦」という美味しそうなのがあり、葉わさび蕎麦はアルプスに挑むテンションじゃないなと一人反省。
白馬駅に着くと20時を回っていた。田舎の観光地らしく、この時間にもなると開いている店がほぼない。早々にホテルにチェックインし、ホテルの温泉に入って十分な睡眠を取った。
一日目
朝5時半にホテルをチェックアウトしてバスターミナルに着くと、平日の早朝にもかかわらず、バス停に行列ができていた。みんなバックパックを背負っているので、バスに乗り込むと直ぐに寿司詰め状態に。途中のバス停では誰も降りず、登山口のある猿倉荘で全員が降車する。白馬岳頂上付近で道は三方に分岐しているので、各々がどちらを目指しているのかは知らないが、それは明日以降の話。少なくとも今日はこの全員が同じルートで登るのだ。個々のようで集団であり、集団のようで個々である。
ここでまず登山計画書なるものを書いた。計画書とは呼ばれるものの、要は登山者が遭難したときに捜索しやすくするため、また、遭難時に家族に連絡するための備えである。ちょっと緊張しながら書き込む。何事もなければ一定期間保管されてからシュレッダーにかけられるはず。
山のことを陽気に語っている受付の男性に計画書を提出すると、途端に目つきが変わる。チェックは意外に厳しく、装備や登山コースの詳細な記入を要求された。「雪渓の上は落石があっても音が聞こえないから注意して」とのこと。山の男である。
1,500円払って玩具みたいな軽アイゼンを借り、登山靴への取り付け方を教わった。
登る前から最大の危機
他の登山者に混じって滞りなく準備しながら、我が身に起こった非常事態に対する解決策をずっと考えていた。前夜から気づいていたのだが、持ってきた現金が、下山までの予算に足りない!
今の所持金が12,000円。この日宿泊予定の山小屋『白馬山荘』は現金払いのみで、1泊2食で15,000円。下山時の帰りのケーブルカーとバス代で2,500円くらいかかる。なんと、-5,500円である。
下山後のホテルに送ったキャリーバッグに財布が入っていて、今は小銭入れしか持ってきていない。それでも現金は充分に持ってきていると思っていた。何せ非常時に備えて30,000円も持って出発したのだから。
なぜこんなことになったかと言えば、第一に、長野に来るまでの往路の特急で、乗車した名古屋駅ではSuicaが使えたのに、降車駅では使えなかったため、全額が現金払いになったからだ。駅の自動販売機ではSuicaが使えるのに、改札には対応してないってどないやねん!(白馬駅どころか、新幹線が発着する長野駅でさえSuica非対応らしい)
第二に、前夜の宿代の支払いが現金払いのみだったからだ(いつもネット予約時にカードで払っていた)。宿のフロントに「ここらで使えるのは現金だけですよ」とクールに宣告された。
必死に計算したが、このままでは山小屋の食事をキャンセルしたとしても、宿泊そのものができない……登山を諦めて引き返すならここで決断するべきだ。スクワットで鍛えた脚がうずく。
だが、この状況を乗り切る方法が一つ、たった一つだけあることに気づいていた。そのためにはある大切なものを捨てなければならない。
それは「プライド」だ。
「あの~、すみません。実は手持ちの現金が心許なくて、もしよかったらPayPayで送金するので現金と交換してもらえませんか?」
電子マネーと現金を交換するという画期的なアイデア!(自分で言う)。
物凄く怪しいが、さいわい人当たりは悪くないというか、むしろ人から話しかけられやすいタイプなので、わりとスムーズに交渉できた。方向音痴なのに旅先で道を聞かれやすいというデメリットが、ここではメリットに逆転するのだ。「実は私も現金がこころもとないんですよ」「PayPay使ったことないです」。まず二人に断られるが全然平気の笑顔である。こういうのは昔、アンケート調査のアルバイトをしたときに足腰より鍛えられている。
とはいえ、このPayPay作戦は今しか使えないのだ。山に登り始めたら携帯電話の電波がどこまで届くか分からないからだ。支度が終わって出発する人が増えてきた。どんどん人が減っていく。
ここでちょっと作戦を変えて、PayPayの扱いに慣れていそうで、かつお金の都合がつきそうな人を探した。20代くらいの仲良し3人組の女子に声をかけたところ、無事に交渉が成立した(万感の謝意を込めて1割多めに送っておいた)。いい人たちだ。あなたたちの山行に幸多からんことを!
やれやれ、山に来てこんなにお金の心配をするとは思わなかった。
いざ登山開始
緩やかな傾斜からスタート。驚いたことに、涼しくてほとんど汗をかかない。登山口の標高は1,250mだが、標高が100m上がると気温が0.6度下がるので、ここは平地より気温が-7.5度になっているということだ。2,932mの頂上を目指すわけだが、頂上は平地より-17.6度も涼しいことになる。伯耆大山のときもそうだったが、登れば登るほど涼しくなるのは、登山では大いに助けになると感じた。
現在の体力は120%という感じである。一ヶ月ずっとスクワットしていたので、一ヶ月ずっと筋肉痛だった。しかし今回ばかりは本番前ということで、三日前からスクワットを封印して身体を休めることに努めた。するとどうだ。普通ならマイナスからゼロの状態に回復していくはずだが、筋肉痛のマイナスが常態化していたため、休めば休むほど体力がゼロからプラスに上昇していくのを感じた。これならいける。アスリートや格闘家たちも本番前はこんな感覚なのだろうか。
当たったら死ぬような落石が道ばたに落ちている。途中、今まさに落ちてゆく落石の残響も聞いた。変にわくわくする。
抜きつ抜かれつ、また抜かれ
何キロにもわたる登山道では、マラソンのように、より体力のある者がそうでない者をどんどん追い抜いていく……とは、単純に言えないかもしれない。実際、僕も初日に10人以上は追い抜いたが、最終的には一度は追い抜いた人を含めて15人くらいに追い抜かれたと記憶している。ゆっくり休憩をとって景色を楽しみ、写真を撮りまくり、ときに野鳥に目を奪われ、高山植物を愛でて、他の登山者たちをこっそり観察し、避難小屋の管理人さんと話し込んでいたからだ。
大雪渓に到着?
1時間も歩かないうちに、この大岩。ネットで見たことのある光景だ。写真には写っていないが、この後ろに「白馬尻小屋」という山小屋があった。立派なトイレも備え付けてある。表の水道の水が出しっ放しなので思わず蛇口を閉めたが、よく見ると「雪渓の水です。止めないでください」と書いてある。なるほど、これは水道ではなく、止めどなく流れ出てくる雪解水を利用しているのだ。もう8月だというのに。
この小屋は雪崩で崩壊することを鑑みて、毎年春に組み立てて秋には解体するというのを繰り返しているらしい。信じられない労力だ。
ようこそと書いてあるわりに雪渓がないなと訝しみながら20分ほど歩くとようやく見えてきた、白馬大雪渓だ!
雪渓を前に、みんなアイゼンを装着し始める。登山靴全体に嵌める八本刃、六本刃のアイゼンを持参している人もいれば、僕のように土踏まずにだけ装着する四本刃の軽アイゼンをレンタルした人もいる。
後から気づいたが、雪渓の上で一枚も写真を撮っていなかったので、雰囲気が伝わらないかもしれない。前後に歩き続ける人たちがいるのと、単純に危なかったからである。
雪渓を歩き始めてからの第一印象は、正直なところ『結構汚いな』ということだ。人の足跡のせいではない。雪渓は遠くから見ると平たいが、近くで見ると雪が波打っている。風に飛ばされてきた土がその波頭に沿って積もり、編み目模様のようになっているのである。春頃はこうではなかったのかもしれないが、数ヶ月かけて汚れていったのだ。
雪渓の汚れを詠んだ俳句も相当数ある。山口誓子もなかなかの言い様だが、人間が汚したわけでもなく、自然のありようなので僕は気にならなかった。それに幾何学的とでも言うか、整然とした汚れかたである。近くで見て分かる汚れが、遠くから見て美しいというのも考えようによっては面白い。これぞ俳人で夏井いつき先生の今は亡き師匠、黒田杏子先生が仰っていた「季語の現場」に、今自分が立っている証拠ではないか。
雪渓の表面が波打つ原因は、この岩を見て仮説を思いついた。岩の周りの雪が融けているのはおそらく、白い雪が太陽光(赤外線)を反射して融けにくいのに対して、黒っぽい岩は光を吸収して温まり、触れている部分の雪を融かすためだろう。大雪渓には温まりやすい部分と、そうではない部分があるのだ。一年の半分以上をかけて秋・冬・春と積もる降雪は、見た目は平面だが、積もり方にわずかな凹凸があるはずだ。凹の部分は器のようになって、反射した光が集まりやすい。すると凹ばかりがよく融けてすり鉢状に深くなっていき、凸は融け残る。そうして数ヶ月の間に数cmの凹凸が成長して、このような鱗模様になったのだろう。春まではいいが、夏になっていよいよ降雪がなくなると、凸凹は埋まらなくなる。そして風が運んできた土が凸の部分にひっかかるというわけだ(たぶん)。
突然、ズシャササササッ!!!という生まれて初めて聞く音。雪渓をゆく登山者の全員が立ち止まり、誰かが「雪崩だ」とつぶやく。しばらくしてまた行軍を再開する。
登る我々がいれば、対面から下ってくる人もいる。すれちがったある女性などは疲労困憊なのか、死んだ魚の目をしていて、バックパックを背負わずに雪の上に引きずりながら降りてきた。彼女は無事に下山できただろうか。
高山植物の数々
大雪渓を越えた途端、丘の上で楽しみにしていた高山植物に次々出逢う。カロリーメイトを昼食に、水筒を傾けながら愛でた。タンポポがあちこちにあるので、こんな高所にも生えるのかと思っていたが、後で調べたらただのタンポポではない。高山植物のシロウマタンポポだった。平地のタンポポに比べると、花が小さく葉が茂っている印象である。総苞外片がどうとか、植物学用語はこの紀行文では控えることととしよう。
千島列島のウルップ島で発見された植物。アイヌ語で「紅鱒」(鮭の一種)を意味する「ウルプ(プは強く発音しない)」に由来するようだ。
3合目とか5合目のような標識がまったくないので、今どのくらい登ってきたのか分からない。大雪渓の上流に小雪渓があるはずだが、それもない。登山図には「葱平」という地点が書かれているが、いつになったら葱平に着くのだろうか。景色は変わっていくので楽しいのだが、現在地がまったく分からないと不安になる。体力的にはわりと余裕があるが、水も減ってきたし、15時までに山荘に着きたい。
随分登って、一軒の避難小屋に辿り着いたので、小屋を清掃をしている背高な男性に聞いたところ、既に葱平は通り過ぎているという。「ねぶかっぴら」という名前からなんとなく開けた平らなところをイメージしていたが、実際には「ぴら」はアイヌ語で「崖」を意味するそうだ。なるほど崖なら通ってきた。アイヌ語は文字を持たないので、大和の人間が勝手に当て字で「平」にしてしまったのだ。迷惑な話だ。ちなみに葱の方は白馬浅葱がよく生えているからのようだ。
さらに、聞けばなんと、さきほどの木橋の辺りが本来は小雪渓だったようで、今年は完全に融けてしまったのだそうだ。後日、ネットで例年の写真を見ると、岩も木橋もほとんど雪に埋まっていた。2023年は冬の積雪量が少なかった上に夏が猛暑となったので、大雪渓の面積はなんと例年の三分の一なのだそうだ。
雪渓が見たくてここまでやってきたが、そんなに残念だとは思わなかった。雪渓にはまた来られる。しっかりザクザク踏んで歩けたし、思いがけず雪解川を体感できた。ただ、温暖化はとても心配だ。北海道のオホーツク沿岸に流氷を見に行ったときも、数が年々減少していると聞いた。
クレバスが広がったため、この登山道は後日、8月27日には通行止めになってしまったそうだ。来夏は立派な大雪渓が復活することを願っている。
お花畑に到着
標高が2,500mを超えたので呼吸に注意しながら進む。今までこんな高いところに来たことがないので、自分が高山病になりやすい体質なのかまだ分からない。
標高2800m以上に来ると、高山植物からなる夏の季語「お花畑」が広がっていた。人が植えたわけではないので派手さはない。しかし僕は『ああ、これが本当の花畑なんだ』と感嘆した。自然に色とりどりの花が入り交じり、岩陰などの日当たりや、斜面の凹凸や、目に見えない水の流れが反映されている。
桜並木やコスモス畑とは異なり、緑の中に花があるので肉眼でないと伝わりづらいが、ここまでいくつかの高山植物を一緒に見てきた読者諸氏ならば、写真から鮮明にイメージできるのではないだろか。
9合目
遂に、視界の先に村営頂上宿舎が見えた。最後に急登が待ち構えていたのと、案内板での記念撮影のため、十数人の登山者たちですこし渋滞していた。写真はかなり渋滞が落ち着いたところである。
この丸い巨岩、お花畑の中に埋もれて存在感抜群だが、氷河の浸食で蛇紋岩の岩盤が突起状に削り出された「羊背岩」の一種で、実際には岩ではなくて瘤状であり、下は岩盤と繋がっているらしい。
みんなが必死に登っているところ、自然観察していると、美しい鳥に出逢った。岩雲雀だ。雨覆の曲線に沿った白い斑点が印象的である。この子に元気をもらってやっと登り切った。多くの登山者は、鳥にも花にも関心がないようだった。ここまで来て登ることで頭がいっぱいになるのは、ちょっと勿体ないのではないだろうか。
登れば登るほど標高が高くなって涼しくなることもあり、結局、額の汗を一回も拭わなかった。しかし今考えてみると、防水透湿機能の帽子をかぶっていたので、頭が蒸れなかったのだろう。本当に装備は大切だ。
14時過ぎ、山荘に到着。昼食休憩や自然観察の1時間半も入れて計7時間なので、概ね標準タイムである。体力は3割残しといったところ。
二つの山荘
白馬岳の頂上付近には二つも山荘がある。「村営頂上宿舎」と「白馬山荘」である。僕は村営頂上宿舎を通り過ぎ、予約している方の白馬山荘に向かった。疲れ切ってようやく辿り着いた者にとっては、石垣あり舗装あり、建物は何棟もあって心強い構えである。
中に入ると何人かの人たちがテレビで甲子園を見ていた。テレビの電波届くんだ!と驚いたが、登山中にほとんど繋がらなかった携帯電話の電波も届いている(良く見ると、屋根などあちこちにアンテナがある)。
名前からなんとなく「村営頂上宿舎」の方が歴史が古いと思っていたが、「白馬山荘」が(宗教登山に由来しないものとしては)日本最古の山小屋らしい。収容人数は800人(往時は1,200人)。山小屋というより山岳ホテルといった装いである。山小屋が初めてだったので、まさかこの規模の山小屋が日本アルプスのあちこちにあるのかとビビってしまったが、そんなわけはない。白馬山荘と村営頂上宿舎が日本の収容人数別山小屋順位で1位と2位だった。
ちなみに、富士山の山小屋を調べてみると、最大収容人数のものは350人と中規模だが、五合目から八合目までにかけて数がいくつもあった。富士山の一般的な登山ルートは標高差も距離も白馬岳と同じくらいだが、高山病の恐れもあり、一日では登り切れないからだ。山小屋の形態の違いが面白い。
村営頂上宿舎は「頂上」と冠しているわりに白馬山荘より標高が低いところにある。ネットの評判によると、どちらかと言うと白馬山荘の方が垢抜けていて、頂上宿舎は昭和的な魅力があるらしい。
山の上は全ての時間が早く、夕食17:20、消灯21:00、朝食が翌朝05:00とのこと。山小屋がどんなに立派でもホテルと違うのは、湯船もシャワーもないことである。水が貴重だからだ。トイレも1回100円である。
風呂に入れないので代わりに身体を使い捨てのボディータオルで拭くが、どこにもごみ箱はないので、全部ポリ袋に入れて持って帰る。
夕食まで時間があるので、荷物を部屋に入れ、飲むのを忘れていたリポビタンDで今更にファイト一発して、山荘の見学に出発した。山荘について調べる前は、丸太でできた一軒家くらいのロッジの中で寝袋に入って雑魚寝し、食事は外で自炊、トイレはごにゃごにゃというイメージだったが、完全に払拭された。建物の中で迷うくらいである(僕だけか?)。
売店の経済事情
なんと、レストラン&売店でSuicaが使える! 現金こころもとなし男にこんなありがたいことがあろうか。どうやら試験導入中らしく、天候が悪いと使えなくなるらしいが、このタイミングでは大丈夫だった。携帯電話が打ち出の小槌に見えてくる。
山頂付近の気温
外に出て改めて見渡すと、全方位が絶景。平地より17度強は気温が低いので、8月の昼間でも15~18度くらいだろうか。風が強かったので防寒着を羽織った。冬山登山をする気はないが、真冬に来たら極寒の世界で、こんなに気持ちよく景色は眺めていられないはずだ。
白馬山荘117年の歴史
山荘の中で、分けても白馬山荘の歴史コーナーが興味深かった。1906年に岩室(洞穴)を改造した山小屋から始まり、1915年に旅館となる。1931年に食堂と診療所を増設(診療所は昭和大学医学部のボランティアによる)。1959年の火災、1961年の再建中の室戸台風の被害を経て増築し、2023年の現在は3つの宿泊棟、食堂、レストラン・売店の棟まである。
解説によると、昭和の頃は歩荷が一人あたり50~60kgの荷上げをしていたらしい。上の写真にしても、畳三枚も担いでいる。昔、畳をめくって持ち上げてみたことがあるが、信じられないくらい重い。一枚で10~20kgはあるし、大きすぎて、同じ重さの米袋を持ち上げるよりも何倍も大変だ。今ほど整備されていなかったであろう登山道を草履で、こんな大荷物でよく上り下りしていたものである。さっき必死に登ってきたばかりだから、畏敬の念で胸がいっぱいになる。
白馬山荘は日本の登山小屋の歴史そのものと言って過言ではないだろう。人生初のアルプス登山にこの山小屋を選んで本当に良かった!
ちなみにヘリコプターでの荷上げは費用が嵩む上、天候にも強い影響を受けるらしい。ドローンが実用化されつつあるが、1回あたり運べる荷物はわずかに5kg程度である。今でも歩荷という仕事は現役らしい。山の時間はゆっくり進む。
山荘の夕食
17時より食堂にわらわらと登山者たちが集まって夕食。テーブルごとにお櫃と寸胴が置かれていて、修学旅行か合宿のような趣き。
食事の見た目は2,500円もするような内容には思えないが、食材や設備を山頂に持ってくる苦労を考えれば妥当だろう。食堂で働いている大学生っぽいアルバイトの女の子に聞いてみたところ、今のような繁忙期は一ヶ月間泊まり込みらしい。ヘリでも使わない限り、登って降りるだけで一日かかってしまうので、泊まり込みは予想していたが、一週間くらいかなと思っていた。こんな娯楽のないところに学生が一ヶ月もいて、よく退屈しないものである。時給がいいのかよっぽど山が好きなのか。でも、もし今の自分が学生だったら、ちょっと検討したかもしれないな。
料理はとても美味しかった。客が全員登山してきているので、タンパク質多めで、疲労がとれるようにビタミンB1を含む食材を組み込んでいるという。実際、豚肉と茸がメインである。出汁のよく出ている豚汁はおかわりして三杯も食べてしまった。朝食も昼食もカロリーメイトやウィダーインゼリーだったので嬉しかった。
同じテーブルの席のお姉様方が気さくで、会話に混ぜてもらったのも幸せな時間だった。どこから登ってきて明日はどちらの方面に向かうのか、お互いにそんなことを聞くだけで盛り上がるから山は不思議だ。あるお姉様は山にはまりすぎて、最近服にはお金を使わなくなったらしい。旅行や飲み会も、「どうせ山に行くんでしょ?」と、山仲間以外には誘われなくなったとか。俳句を始めると俳句以外の趣味が縁遠くなるが、山にも似た恐ろしさがあるようだ。でもいいじゃないか。こんなに満ち足りている。
伯耆大山で出逢った人たちとは違い、北アルプスの登山者たちは覚悟してきている人たちであり、準備してきている人たちであり、楽しみに来ている人たちだなと思った。
大部屋に戻り、隣の布団の人と携帯の電波が通りやすいのはどこそこだという他愛もない話をして、雑魚寝した。電池が切れるみたいに、20時には意識がなくなっていたと思う。
二日目
朝4時に起床。目立った疲労、筋肉痛なし。体力は80%といったところ。高山病の気配もない。
折角、俗世を離れて(?)いるのだから、星空を見ようと思って早めに起きたのだが、すでに空がうっすら白んでいて、山荘に灯りも点いていたので見逃してしまった。
だが、山の朝の素晴らしさを知った。澄み切った空気、雲海を突き出る山の影は刻一刻と形を変え、紅の暁光が象る山稜が霞の中に消えてゆく。人々はただそれを眺めている。
山を眺めているベテラン登山者に、どれがなんという名前の山なのか指をさしながら教えてもらう。東の遥か彼方に富士山、眼前には八ヶ岳、剱岳、少し遠くに槍ヶ岳。僕でも聞いたことがある名前ばかり。
槍ヶ岳は誰が見てもそうと分かる緊張感のある偉容、まさに槍の穂先。いつか登ってみたい憧れの山だが、僕にはまだまだ早いな。
山を教えてくれた人にお礼を言って別れる。もう二度とは会わない人だ。
PayPay作戦のときも、昨日の夕食のときも感じたことだが、山では見知らぬ人同士の距離が縮まる。登山という共通した趣味があり、同じ山に登るという共通した目的もある。また、平地よりよほど助け合いの精神のようなものがある。昨日から初対面の人と20人くらいは会話しただろうか。日常生活ではとても考えられない。
そばに仲間がいると、仲間とコミュニケーションをとれば完結してしまうので、一人でここまで来たのも正解だったと確信した。それが理由だからなのかは知らないが、意外と一人で来ている登山者は多い。みんな孤独ではないのだ。
水筒に冷たい山の水を補給し、朝食を済ませる。これで体力は100%。
BOAフィットシステムの登山靴を履いてダイヤルをかちかち回していると、初めて見たらしい隣の男性がびっくりして、口をあんぐり開けていた。まだそんなに普及していないようだ。
白馬岳の頂
山荘で近くにいた人に記念に写真を撮ってもらい、6時直ぎに出発。まずは100mほど登って頂上を目指す。昨日も一気に山頂を目指すことはできたが、疲れ切って辿り着くより、回復してから気持ちも新たに早朝に到着する方が楽しめるものだ。特に午後はガスが湧いて視界が悪くなるので、安全と眺望を確保するためにも、登山者たちの行程はこんなに前倒しなのだろう。
既に縦走が始まっている。アルプスの山並みが開けると、どこに仕舞っていたのかバズーカみたいなカメラを取り出す人も現れ始めた。
進路は北へ
アルプスは伯耆大山や富士山のような単独峰と違って山脈になっているので、登山道が分岐していて、ルートには豊かな選択肢がある。白馬岳の登山ルートだと、白馬三山と呼ばれる三つの山を縦走し、途中で標高2,100mの絶景露天風呂があるという「白馬鑓温泉」があって魅力的なルートがある。ただ、僕の場合は雪渓以外だと高山植物と雷鳥が目当てなので、「雷鳥坂」「白馬大池」「天狗原(湿原)」と続くコースを選んだ。喩えるなら、定食よりビュッフェという感じ。
いわゆるガレ場
頂上を過ぎると、登山道が急激にガレてきて、ほとんど岩屑の上を歩くようになってきた。地面を踏む度に足下が崩れる。実はここに来るまで、登山用語の「ガレ」のニュアンスがよく分かっていなかったが、これがいわゆる「ガレ場」というやつじゃないか。……おぉ、ガレてる、ガレてるぞ! 肌で知るとはこのことである。
ところによっては、もはや山自体が、岩屑が積み上がってできているかのようだ。よく崩れないなと思うが、全体では土を遥かに上回る、想像を絶する重量があるからこそ、数百年数千年も形を保っているのだろう。
高山植物は本当に逞しい。よくこんな栄養の少なそうな環境で生きているものだ。土がない上に、風も強いし、紫外線も強い。
高山植物は大体どれも夏の季語である。チシマギキョウもそうだ。上の写真の景色を俳句にしようと思っていたが、後日、歳時記で調べたら、景色そのままの例句があって驚いた。
ガレ場が続くと、賽の河原じゃないけど、なんだかあの世を歩いているようだ。靴下は冬山用でぶ厚いものを、登山靴は剛直なソールのものを選んで正解だった。足の裏が全然痛くない。中学生のときにスニーカーで学校の登山に行って、酷い目に遭ったのを思い出した。
天然記念物との邂逅
稜線上の登山道で、対面から来る男性とすれ違おうとしたとき、不意に足下の這松の茂みからアイツが現れた。「あ、雷鳥」と間抜けなのは僕の声。正面から来た男性は「え、え??」と混乱している。「ほら、足下に!」とかなんとかやっている間にその天然記念物はまた茂みに隠れてしまった。
雷鳥を見たのに写真に撮れなかったのは痛恨の極みだが、10秒くらいは観察することができた。保護色の斑模様の夏羽、眼の上に赤い肉冠を頂いていて見間違うはずもなかった。銘菓「雷鳥の里」のパッケージのイラストそのままだ。100万年前の氷河期から日本で生き残った3,000羽程度の内の1羽に出逢ったのだ。高校のときに修学旅行で長野に来たことがある。雷鳥がいるぞいるぞと教師たちに言われていたが、あのときは影も形も目にすることはなかったのに、幸運だった。
高山植物の女王
今回のアルプスでは、俳人として三つの季語を見に行くことを目標にしていた。「雪渓」「雷鳥」「駒草」である。残る”高山植物の女王”の異名をとる「駒草」は半ば諦めていた。
例年、花期が8月上旬までとされている花で、今日は8月11日。時季的にギリギリな上に、ただでさえ今年は記録的な猛暑である。登山図で確認した駒草の群生地の辺りを、奇跡を願いながらも注意して歩いていたら、道をかなり離れた斜面に数株が咲いていた。
僕以外の登山者はみんな気にしていないようで、気づいてすらいなかったが、這いつくばって写真を撮っていたら「コマクサですか?」と声を掛けてくれる人もいた。
駒草は高地の砂礫地にしか生えないという、変わった植生を持つ。
三つの季語に出逢い、満ち足りた気持ちになった。
アルプスの変わった人たち
登山口でPayPayがどうとか話しかけて来る人も大概だが、どこにでも風変わりな人がいるものだ。
登山道で振り返ると、日傘をさしている男性がいて二度見した。町中なら男性が日傘を差してもなんの問題もないのだが、こんなところでは、日傘を差していること自体が異常である。こちらはトレッキングポールを二本使いでバランスをとっているというのに、傘なんて持って歩いていたら躓いたときに滑落してしまうかもしれない。立ち止まって景色の写真を撮りまくっていたら追いつかれた。父母子の三人家族のようで、偶然会話を聞いてしまったが、どうやら奥さんが折角持ってきた日傘なのでさしてあげているようだった。お父さんが小学生くらいの息子を説得している。「お前、いい加減お母さんと仲直りしろよ」「絶対いや!」「お前にもええことないやろ……」お父さん、苦労人である。なんにせよ傘は止めた方がいい。
もっと凄い人がいた。稜線の登山道ですれ違ったのは、白髪を緑に染め上げた筋肉質なお爺さんである。タンクトップに短パンという紫外線無視なスタイルで、小さなリュックを背負って走っている。山道でランニングする、いわゆるトレイルランニングというやつだろう。いや、待て待て。低山ならともかく、アルプスでするか普通? あの荷物では、水すら大した量は持ってきていないようだ。多分、超人的な脚力で、普通の人が一泊二日のところを日帰りなのだろう。しかし登山道を走ること自体がお勧めできない。下手したら死ぬし、もし滑落してヘリで救助されたら、無保険だと百万円は軽くかかってしまう。それに小さな石でも、落石を起こすのはマナー違反だ。
変な人がいるということは、それだけ登山者の数が多いということでもあるかもしれない。
火山活動の神秘
ガレ場が終わってほっとしていると、山の中に空より濃い青色があることに気がついた。
「白馬大池」だ! ガイドで見たときは『池があるんだ、ふーん』くらいにしか思っていなかったが、標高2,379mにこんな大量の水が湛えられているのに圧倒される。地学的には、日光の華厳ノ滝がある中禅寺湖などと同じ、いわゆる「堰止湖」だ。規模は向こうの方が遥かに大きいが、こちらの方が標高1,100mも高い場所に位置している。中禅寺湖は湯川が火山の噴出物で堰き止められてできたが、アルプスの頂上付近にはご覧の通り川など流れていないので、雪解け水や雨水だけで池になっているのである。水位も季節でかなり変わりそうだ。
さすが大池と名がつくだけある。大きいなぁ……。赤い屋根の山小屋も見える。すこし前にヘリコプターが近くを通ったが、物資輸送だったのかもしれない。
あちこちにケルンがあって、なんとなく土地の雰囲気に余裕を感じる。近くに山小屋と大池があるからだろう。蜻蛉が現れ、数も増えてくる。
地獄の下山
池畔あたりから急に道がなくなり、前の登山者にならって、重なった岩の上を渡っていく。岩・岩・岩・岩……折りしも午前11時頃で、反対側から登ってきた人たちと行き違うピークの時間帯。だが、安全に渡れそうな岩ルートは限られているので、どうしても混み合う。
このとき、不覚にも左膝を岩で軽く打った。血も出なかったので、多少痛むがそのまま進む。初日でなくてよかった。
縦走が終了。最後の峰に着いたので、残りの行程はほとんどアップダウンがない。あとはロープウェイ乗り場までひたすら下りるだけだ。ここのケルンは記念碑的にコンクリートで固めてあった。
岩場が開けてきて、登山道が茫洋としてきた。どこの山でもそうだが、道が分かりにくい場合はロープが張ってあったり、木に結ばれた黄色や赤色のリボン、岩に書かれた目印などを頼りに進む。登山道を整備してくれている人たちに感謝である。ボランティアの清掃隊の人たちともすれ違ったが、山でごみを捨てるなどもってのほかだ。
地面がほとんど見えず、無数に転がっている岩の上を、行けそうなところを選んで渡って行くのは初体験だった。凸凹な岩の上は平面と違って足の裏との接地面が小さく、不安定なのは言うまでもないが、岩の高さが揃っていないので、方向感覚も平衡感覚も狂わされる。
後日、登山者たちのブログやnoteを読んだところ、例年は7月中旬くらいだと岩がほとんど雪に埋もれて、雪渓に近い状態になっているようだ。アイゼンさえあればその方が楽なのかもしれない。中途半端に雪が融けているときつそうだけど。
やがて下りの勾配がきつくなり、ほとんど岩の崖になった。
アルプスのもっと変わった人たち
この岩場で、日傘の男性や緑の髪のお爺さんを遥かに上回るとんでもない人に出くわした。向かいからやってくる若いお母さん(?)の腰になぜかロープが結ばれており、後ろを歩く少女と繋がっているのだ。少女は股に引っかかるロープによろけながら登ってくる。こんな崖のような場所でお子さんがバランスを崩して滑落したら、50kgくらいの女性が25kgくらいの女児の体重を支えられるはずがない。母子もろとも落下だろう。
やったことはないが、アルパインクライミングでもあんな風に人と人がザイルで繋がる。だが、万が一のときに彼らを支えるのは、岸壁の割れ目に打ち込まれた数本のハーケンのはずだ。人が人の落下の衝撃に耐えるのは不可能だ。この母子はこんな準備をしてくるくらいだがら、リスクを理解した上でやってきているのだ。それなら最初から小さな子供を連れてこない方が良い。もやもやしながらすれ違った。
逆ルートにしなくて正解
岩で打った左膝の痛みは耐えられなくもないが、そもそも疲労が原因で打ったのだから、さらにこの痛みに気を取られて転倒したりしたら目も当てられない。念のため持ってきていた鎮痛剤を飲むことにした。バックパックを下ろし、岩にもたれて薬と水を飲んでいると、対面から一人の青年がへばりつくように登ってきたのですこし会話した。
「いやぁ、ここだけでもう3回休憩しましたよ」と力なく笑う青年。
僕は下りてきた方だから景色の変化で分かるのだが、この急坂はすでに7割くらいは下りているようだった。ということは、青年が上ってきたのはまだ全体の3割。
「じゃあ、あと7回は休憩しないといけないですね(笑)」……などと言えるはずもなく、「頑張ってください」とあたりさわりなく通り過ぎた。これが登りだったらと思うと気が遠くなる。
湿地帯天狗原
やっと岩場が終わると湿地帯が広がっていた。平坦で安定した木道を進むのはそれだけで気分がいい。有名な登山ルートだけあって、ここまで見所が沢山あった。稜線のガレ場、大池、岩場、湿原、景色がどんどん変わるので飽きない。
この湿地帯「天狗原」はちょいと殺風景だが、夏のもっと早い時季なら水芭蕉、菖蒲、綿菅の群生が見られるようだ。
下界へ
14時に自然公園駅に到着。売店にはソフトクリームに並ぶピクニックの人たち。ぼろぼろになって下りてきた身としては、のんきなものだと思う。『下界』という言葉が脳裏に浮かんだ。
同じゴンドラに乗った女性から聞いたところによると、昨日、僕と同じコースで白馬岳からここまで来ようとしたが、風速13mの強風だったため、来た道を引き返して大雪渓から下山したらしく、羨ましがられた。なるほどそれですこしでも本来の予定を取り戻そうと、平地の方からここまでやって来たのだろう。
アルプスは鳥や植物は面白いのに、どうして関心のある人が少ないのだろうと思っていたが、考えてみれば自分も虫にはそれほど興味がない。勿論、様々な虫に出くわした。山の蜻蛉は普通大きいが、白馬大池の蜻蛉が小柄だったのは印象的だった。高地は餌が少ないからだろうか。
栂池自然園(標高1,900m)で出会った孔雀蝶に目を奪われた。
植物、鳥、地学、虫、興味のあるものが増えれば増えるほど楽しいが、それだけ観察したり調べていると、山を登るのにもっと時間が掛かりそうである。
商品の宣伝放送が流れるゴンドラで麓まで下山。
三日目以降
肩の荷を下ろし、普通のホテルで一泊。
翌日、左脚はまだ痛んだが、歩けないというほどではなかったので、同じく北アルプスの八方尾根に登った。と言っても、ゴンドラとリフトを乗り継いで標高差300mほど上り下りしただけであるが、折角ここまで来たのだから山バカにならなければ損だ。
以降は俳句仲間と合流し、岩松院の天井画で葛飾北斎の「八方睨み鳳凰図」を鑑賞したり、果樹園を見学させてもらったり、須坂市動物園で吟行会をしたり。何回もネット句会を共にしてはいたが、初めて会えた仲間もいて感動した。
長野を満喫して、銘菓『雷鳥の里』の一番大きな箱を2つ、日本酒「大雪渓」の小さな瓶をお土産に、特急と新幹線で6時間かけて帰宅した。
終わりに
日本アルプスに登山に言ったと伝えると、周りに「上級者登山ですね」のようなことをよく言われたが、僕は今回初めて1泊2日で山荘泊まりしたような初心者だ。登山の上級者というのは、夏山で言えば、テントを背負って何泊も山行したり、落ちれば死ぬような鎖場や梯子などの難所を通り、登山道のないところでもピッケルで灼ける岸壁の割れ目にハーケンを打ち込み、ハーケンとカラビナにザイルという命綱を通して使うような人たちである。まして冬山は推して知るべし。
とはいえ、自分にとってはこれでも大冒険だった。10年前の自分に、「お前は北アルプスに登ることになるぞ」と伝えても、信じてくれないだろう。いつの間にか"死ぬまでに雪渓を見たい"という夢は、多くの体験のきっかけに変わっていた。
長野に数日滞在したため、帰宅する頃には頬や首回り、特に耳が真っ黒に日焼けしていて、ぼろぼろと皮が剥けた。少年の頃に海に行ったとき以来のことで、奇妙な気持ちで日常を送った。足の皮も一部、べろっと剥けた。全身剥けていたら新しい生き物になれたのかもしれない。
今まで北海道のオホーツク海で砕氷船に乗って流氷を見たり、徳島で観潮船に乗って、揺れる船で他の客ときゃあきゃあ言いながら渦潮を見たりして、それも楽しかった。学んだことがあった。しかし、ただ旅行の計画を立てて実行するだけではなく、時間をかけて努力して積み上げ、自力で今まで見たことのない景色の中に立ち、新しい空気を吸う。その喜びを知ってしまった。ピッケルを携えてヒマラヤに登ったり、犬橇で北極点を目指したり、ヨットで太平洋を横断しようとする冒険家たちの気持ちがすこしだけ分かったような気がした。
10年後の自分に、「お前は冬のアルプスで雪をラッセルしたり吹雪の中でビバークしたりすることになるぞ」と言われたら、絶対に信じない。
おわり
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