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杉山久子の俳句を読む 23年04月号

彗星のちかづいてくるヒヤシンス

(句集『鳥と歩く』所収)

 彗星は大きな離心率をもち、太陽に従順な惑星たちを横切って放埒な楕円、あるいは放物線を描く。我々の太陽系を一度しか過ぎらないものもあり、何十年、何百年の周期で幾度も訪れるものもある。掲句は後者だろう。近づくという言葉を使うのだから、作者は彗星の訪れを予期しているはずだ。喜んでいるのか、もしくは恐れているのか。
 彗星とヒヤシンスの球根は、姿もどこか類似しており、いずれも時間をかけて美しさを顕わにする期待感がある。彗星は冷たい宇宙空間を進み、太陽系に近づいてくるとガスや塵が太陽の光を反射し、夜空に光の尾を曳く。地上にある室内のヒヤシンスの球根は水の中で白い根を伸ばす。
 両者は互いが互いの比喩となり、無機質な氷岩塊のはずの彗星に瑞々しい生命力が感じられ、ヒヤシンスの根は光輝くようである。取り合わせの効果は明白である。
 しかし掲句には切れがなく、言葉の比重は明らかに下五に傾いている。二つの名詞をつなぐ「ちかづいてくる」という七音の装置を起動し、一句一章の句として読んだとき、あたかも彗星を呼びよせるこの神秘的な「ヒヤシンス」の正体は何かを考えさせられる。そうだ、ヒヤシンスと類似しているものは彗星ではないのだ。
 突如、暗黒に浮かぶ青い球根が目に浮かんだ。地球という巨大な球根が根を生やし、やがて宇宙に花が咲く。


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