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チェコのクレクレおばちゃん


世の中には、本当にいろんな人がいる。


私はあまり交友関係が広い方ではないが、
それでも今までの人生で人に感動させられたり、
ほっこり温かい気持ちにさせられたり、
一方で泣かされたり、はらわたが煮えくり返りそうなほど感情を掻き乱されたりもした。


自分にとっては当たり前だと思っていたルールを
人は簡単に破り、
そして私も誰かのマイルールを破り「非常識だ!」と怒られる。人は「そんなの常識でしょ!」なんてことを平気で言うけれど、「常識」なんてすごく曖昧な言葉だと思う。


それはもちろんポストクロッシングの世界でもそうだ。私の中でポストクロッシングとは「ポストカード」を送り合うものという認識だ。(ちなみにポストクロッシング公式サイトにもこのように書かれている。)

しかし、中にはそれが通用しない人たちもいる。
ポストカード以外のものまで要求してくる人たちだ。(私はこういう人たちのことをひそかに「クレクレさん」と呼んでいる)


「切手を集めているので、
カードに特別な切手を貼ってください」

これはまだわかる。しかしこんなものは序の口で、

「使用済み切手を封筒に入れて送ってくれ」
「映画や電車のチケットをくれ」
「シールをくれ」
「紅茶のティーバッグをくれ」
「あなたの国のコインをくれ」


など、実にバラエティに富んだクレクレがポストクロッシングには存在している。もちろん、この要求に応じるかどうかは個人の自由。ポストカードさえきちんと送れば、相手の要求してくるものを送らなくても全く問題ない。
ちなみに私は全て無視している。
理由は最初にも述べたように、「ポストクロッシングとはポストカードを送り合うものだ」というのが私のポリシーだからだ。


一応クレクレさん達も不当に物品を要求してはいけないことをわかっているようで、送らなかったところで「どうして送ってくれないんだ!!」なんてクレームを言ってくる人は全くいない。


しかし、強烈に記憶に残っているクレクレさんが1人だけいる。
その時に私が引いた住所はチェコの女性のものだった。プロフィールに住んでいる場所や趣味、希望するカードなど当たり障りないことをひと通り書いた後に、こんなことを書いていた。


「私はいろいろな都市のマグネットを集めています。あなたの街のものを1つ送ってくれたら嬉しいです。」

おお。今まで出会ったことのないクレクレだ。
今まで何度もクレクレ構文を見てきたが、マグネットのクレクレは初めてだった。
もはや感動すら覚えた私だが、もちろんマグネットは送らない。


ヨーロッパにマグネットなんて重いものを送ったら郵送料がバカにならないし、それに何より私のポリシーに反する。
ということで私はチェロを弾いている女の子の可愛らしいカードだけを彼女に送った。
音楽が好きだと書いていたし、もしチェロが好きだったら喜んでくれるかもしれないという淡い期待を抱いて。


ヨーロッパ宛にしては少し遅い20日後、
彼女からカードが届いたことを知らせるメールが届いた。


「ポストカードと素敵なメッセージをありがとう。
よい1日を!
あなたが冷蔵庫に貼るマグネットを送ってくれたら嬉しいです。
もしあなたが親切なら、ここの住所に送って下さい。」


私はげんなりした。
今まで数多くのクレクレを無視してきたが、
カード受け取りを知らせる時のメールにまで「あれが欲しい、これが欲しい」と書き、しかもご丁寧に住所まで書いてくる人は初めてだ。
そこまでしてマグネットが欲しいのか…と私は心底呆れた。


そもそもそういうお土産のマグネットは現地に行って買うからこそ価値があるのであって、相手にお願いしてかき集めたマグネットに価値を見出せるのか。私はおそらく見出せない。


それに…この人はポストカードよりも、マグネットの方が欲しかったと言っているようにも聞こえてしまう。


自分で言うのも変だけれど、私はポストカードを書く時は1枚1枚心を込めて書いているつもりだ。
相手のプロフィールを見て、相手が好きそうな絵柄の切手やシールを貼ったり、自分が今取り組んでいるプロジェクトや今日の出来事など、私にしか書けないメッセージを書いたりしている。


でもこの人はきっとそんなのはどうでもいいのだろう。
見知らぬ誰かの1日や、遠いアジアの国についてメッセージを書いてもらうよりもお土産売り場のマグネットの方が欲しかったんだろう。
私は、彼女からのメールをゴミ箱に入れた。


別に私ひとりマグネットを送らなかったところで、
どうってことないだろう。

きっとこういう人はいろいろな人にマグネットを送ってくれとお願いしている。
彼女の家の冷蔵庫には、世界中の人々の親切心と憐れみの塊がたくさん貼りついているんだろう。


不親切な日本人だと思われようと構わない。
無償の愛なんてよく言うけれど、優しさや愛情は無限に見えて実は有限なのだ。限りある資源である心を、無理な要求をしてくる人にわざわざ与える必要はない。

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