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東京が江戸だったころから人が住んでいた場所が好き #上野 御徒町

いつもの散歩コースの谷根千からもう少し足を延ばすと 上野・池之端・御徒町に辿り着く。上野も御徒町も雑多な商業地、という印象しかないと思う。上野はアメ横の印象が強いし、御徒町に至っては読み方さえわからない人も多いだろう。「おかちまち」です。

上野は地形によってその表情を変える。  高台の上野桜木周辺は落ち着いた住宅街で 東京芸大のゆったりしたキャンパスに続き博物館や美術館を多く抱える上野の森に続く。背後に寛永寺が広がっているので空は広く緑は多く芸大の音楽学部や博物館など歴史を感じる建物も多く、どこかヨーロッパの街並みを歩いているような気分にもなる。  ところが台地の下の根津から上野を目指すと大通り沿いに商店が並び裏通にも小体な店がぽつりぽつりとあって高台とは風景が違う。池之端まで行くと動物園の入り口や不忍池があり住宅地や商店街というより俄然観光地の色合いが強くなる。

高台から桜並木を下っても 池之端から不忍池をぐるりと巡っても 上野広小路に行きあたる。江戸時代の明暦の大火以降道幅を広げた火除け地と聞いている。かつて黒門があった、ここで彰義隊と官軍が戦った、と思うと、江戸時代からの歴史を知るこの土地が何やら特別に思える。今は雑然とした繁華街だけれど。

御徒町の駅を目指すと 上野松坂屋と吉池が目立つ。上野松坂屋は百貨店としては小さいお店だが、ここに店を構えたのは江戸時代ということだ。近所のお年寄りには見て回るのにちょうど良い広さで、使い勝手の良いデパートと言える。吉池はいまはビルになりユニクロなど衣料をあつかう店も入っているが、食品を売るスーパーだった頃の印象が強い。ずっと以前「アド街ック天国」という番組でこの街に集まる人たちを「東京ローカル」と名付けていた。東京に昔から住み着いる人たちが自分たちの街として楽しんだり利用したりしている様子をよく表した良い言葉だと思った。

谷中の芸大寄りにアトリエを構えるアメリカ人日本画家に、なぜここにアトリエを?と聞いたことがあった。もちろん土地の魅力もあるようだったが、加えて日本画の原料の岩絵具が手に入りやすいから、とも答えた。岩絵具を扱う店は当時でも都内に10店舗ほどしかないと言っていたが、そのうち6店舗が界隈にあるそうだ。手に入りにくい貴重なものがごく普通の顔をして近所の風景に馴染んでこの土地にある、という特別な状況に今まで気が付かなかったんだなと感じた。皆それぞれに出身地があり故郷がある。東京で生まれて育った私の故郷は東京で、それは華やかな土地でもファッショナブルな洗練された都会でもない。人々が普通に日々の暮らしを積み上げて形作っていった 祖父母やもっと遠い先祖の記憶が積み上がった街だ。東京ローカルとして自信を持って誇れる上野・御徒町。もっと大事にしたい。



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