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見たい世界

 大学で一年間カリフォルニアに交換留学をした時にとったジェンダーとセクシュアリティーについての授業で、期末にリサーチペーパーを書くことになった。それまでクリティカルシンキングなんてさっぱり身についておらず、リサーチペーパーの書き方もわからないしで、すっかり途方に暮れて、TAをしていたティムに相談しに行った。
 授業では基本的にアメリカについての文献を読んでアメリカ社会の問題点を議論してきたけれど、私が住んでいる日本と比べると、それでもアメリカの方が状況が進んでいるように感じる。それに、一年間いるだけの外国人の私がアメリカの社会について何かを言ったり批判する資格がない気がして、何を書いていいかわからない。
 そんなことを、たどたどしく話したと思う。
 日本について書きたければもちろんそれでもいいよ、と、言ってから、自分もドイツから博士課程のためにアメリカに来ていたティムは、きっぱりと続けた。

「外国人だから何も言えないなんてことはない。誰でも、どの国のどの社会についてでも、意見を持ち、声を上げることができるんだよ」

 えっ、いいの?!と、心底びっくりした。
 その時の私は、国という枠組みで自分を縛りつけて、日本人の私は日本についてしか語ってはいけないんだと本気で思っていたのだ。
 それが危ない考え方だったんだと、いまはわかる。
 「私は○○じゃないから」
 「経験がなくて、わからないから」
 だから、何も意見を持てない。何も言えない。
 自分に対しても、他人に対しても、そういってしまったら、一人の人ができることはすごく限られてしまう。

 それでもその時はためらいが抜けきれず、結局、ペーパーは日本について書いた。
 でも、ティムの言葉はずっと心に残っていた。
 何かとても大切なことを言ってもらったのだと思った。

 私たちは線を引く。
 国境を、肌の色や見た目を、性別を、言語を、身体の機能を、年齢を、宗教を、社会的な立場を、いろんなことを理由にして。
 そうして、決める。
 こちら側は自分ごと。あちら側は他人ごと。
 線の向こう側に起きていることに理解もできないくせに口を出すのは傲慢だ、と言ってみたり、時には向こう側の人に、線のこっちには入ってこないでね、と、言ったりする。

 勝手に引いた線の中にとどまって、向こう側の誰かの苦しみを、ただ胸を痛めながら、悲しみながら、いつか状況が変わることを願いながら外側から見ているだけ、という立場を、私はこれまでに何度もとってきた。
 そんな時、ティムの言葉が、ちくりちくりと内側から胸を刺した。

 「誰でも、どの国のどの社会についてでも、意見を持ち、声を上げることができる。」
  
 ブラックライヴズマターにも、ずっと、どんなふうにかかわったらいいのか、わからなかった。トレイボン・マーティンの時も、エリック・ガーナーの時も、ファーガソンの時も、事件を知ってショックを受けて、強い憤りを感じて、でも、何も言わずにいた。
 私は「ブラック」じゃない。アメリカ人でもない。
 「当事者じゃない」私がムーブメントに参加しているつもりになるのは偽善なんじゃないかと思った。
 線を引いて、安全なところにとどまろうとしていた。

 自分が何なのか。何を知っているのか。
 一番にそれを考えるから、混乱するのだと思う。
 考えるのは、どんな世界を見たいかだ。
 それをまずはっきりさせて、それから、自分がいま立っている場所を見つめて、そこから始めていく。
 居心地が悪くても、戸惑っても、恥ずかしくなっても、都合が悪くても。

 ふらりと近所に夜の散歩に出かけただけで撃たれて殺されるかもしれないという恐怖は、私にはわからない。
 運転中に警察に停められた時、違反で減点されることや罰金を払うことよりも、最初に命の心配をしないといけないことがどんな気持ちなのか、私にはわからない。
 日常生活で、命をまもるために自分が安全だと証明し続けなくてはいけないことがどんな体験なのか、私にはわからない。
 アメリカで「ブラック」として生きることがどういうことなのか、私には決してわからない。

 でも、声をあげたいのは、わかるからじゃない。
 ブラックの友だちがいるからでもない。
 ブラックの作家が書いた本や映画作品が好きだから、でもない。

 声をあげたいのは、そんなことが起こる世界は嫌だからだ。
 肌の色で人間の命の重みが変わる世界に生きるのは、もう嫌だ。
 その人がその人であることで命の心配をしないといけない世界は、もう嫌だ。
 他人ごとじゃない。自分の住む世界の話だ。

「誰でも、どの国のどの社会についてでも、意見を持ち、声を上げることができる。」
  
 それが権利だけでなく、責任なんだと、ティムはつたえてくれていた。

 自分が体験していないことを理解することは、決してできない。
 決してわからないことをわかりながら、耳を傾け、目をひらいて、想像して、知ろうとし続ける。間違えたら認めて、謝って、それでも逃げないで。自分も変化して、成長し続けながら、外の世界をつくっていく。
 一人ひとりがそれを続けていくことでしか、世界は変えられないのだと思う。

 何かを言うために言う必要はない。
 ただ、黙ることをやめる。
 自分が見たい世界の姿を内にしっかりと持って生きていれば、きっと、大事な時に違うことを言ったりしたりしなくてすむ。それが、出会う誰かに影響を与えるかもしれない。

 だから、黙らずにいようと思う。
 迷いながら、ためらいながら、見えるところにいたいと思う。
 いま起こっているこの大きな流れの外ではなく、中に。
 そうするかしないかの選択ができることがすでに、特権なのだから。

*  *  *

 私にとってはずっと、本や映画、音楽が世界について知るための大きな手段でした。アメリカで「ブラック」として生きることがどんな経験なのかを考え、想像する機会を与えてくれたと感じる作品を、ここにいくつか挙げておこうと思います。あくまで個人的なリストです。
 ネットで検索すると、たくさんいろいろ出てくると思います。
 他にもおすすめがあったら、教えてください!

◆本
Audre Lorde オードレ・ロード
私が読んですごく影響を受けたのは「Zami: A New Spelling of My Name」(邦訳なし)でした。ブラックライヴズマターでは「Sister Outsider」(邦訳なし)がおすすめされているようなので、読んでみようと思います。

Alice Walker アリス・ウォーカー
アリス・ウォーカーは、近年、反ユダヤ的な発言や作品が問題になったりしているのですが、「カラーパープル」は、言葉の美しさも含め、読む価値のある作品だと思います。

Angie Thomas アンジー・トーマス
ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ」、まだ読み始めたばかりですが、まさにブラックライヴズマターを真正面から扱ったヤングアダルト文学です。

◆映画
ムーンライト
ライズ

◆Netflix
親愛なる白人さま
ボクらを見る目
オレンジ・イズ・ニュー・ブラック

◆音楽
This is America by Childish Gambino

Photo by Maria Oswalt on Unsplash

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