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Day.18 『Don’t think Feel!』だった話

 昨日に続き、音楽ネタでいこうと思う。わたしは楽器を吹いている。大人になってからスタートした道は、決して順調ではなかった。中でも一番難しかったことは「感じる」こと。

 「1拍を3等分」
楽器(声楽なども含む)をやったことがない人がこの説明を見て、どんなリズムか頭に浮かぶのだろうか?わたしは最初のころ「3連符」というものを知ったときに、どういうものか全く思い浮かばなかった。頭では理解できる、「1拍を3つにわければいいのね」と。だけど、さらにそこから考えていた。「1拍3等分した長さはどれぐらい?」

 そんなことを考えながら練習してたので、4分→8分→3連符→16分と音符の長さが変わっていく練習が全くできなかった。長さが変わったときに、頭で考えていたから、全くリズムに合わないし、周りから遅れる。

 だけど、いまでは考えなくても3連符が勝手に出てくる。速さが遅くなっても、速くなっても3連符は3連符だ。以前のわたしとはなにが変わったのか?簡単に言うと身についた。3連符という日常生活ではなかなか触れることのない感覚に繰り返し触れることで、「1拍を3等分」という感覚が身についたのだ。

 がんばって頭で考えて3連符を理解しようとしていたが、それではわからなかったことだ。結局、反復練習を続けることと、いろいろな曲に出会い、ところどころに登場する3連符を吹くことで、その感覚が身につき、はじめて「ああ、こういう感覚ね」という風につながった。

 「四分音符の半分の長さ」も、そうだった。わたしは「それは時間にすると何秒ぐらいの長さなのか」について考えていた。頭で考えた正しい長さで吹けるようになろうと、必死で練習していた。「半分の長さ」は、当然曲の速さによって変わる訳だから、全ての8分音符を数字で表すことなどできない。

 それから、楽譜をもらって合奏するときも、頭で考えて書いてあるとおりに音を出すことをがんばっていた。楽譜の通りに音を出すことに間違いはないのだけど、それはあくあまで曲の中に入っての話だ。それが、どんな曲で、どんな雰囲気で、どんな速さで、どんな音のならびで、どんな和音が聞こえてくるかで、同じ音符でも出す音は変わる。

 最初のころは、とにかくいつも考えていた。次の音はなにか考える。何拍伸ばすか考える。どれぐらいの大きさの音か考える。だけど、曲は進んでいくのだから、考えていると間に合わない。さらに、当然考えて出しました…という音になってしまう。それは聴いていてつまらない音だなと思う。

 だけど感じて出した音は聴いてきて飽きない。感じた音になるためには、考えなくても音がわかって出せる。考えなくても音の長さがわかって出せるる。考えなくても音量がわかって出せる。ある意味、反射だなと思う。音楽はどんどん進んでいく。つぎつぎに音符は表われる。それに瞬時に反応できるようになるためには、練習を続けるしかなかった。

 そうすればいつしか身につく。自分の中に「1拍を3等分」や「4分の半分の長さ」ができあがり、いつでも簡単に取り出せるようになる。あとはそれを使って、どのように曲に合わせて表現するかだけだ。いくら出そうとしても、自分の中にないものは出せない。

 そして、さらにここから先は、その自分の中から勝手に出てくるようになった音に、いかに自分らしさをのせていくかだと思う。同じ曲、同じ音を吹いても人によって音が異なるのがおもしろい。人によって音が違う。それはその音にその人が映し出されているからなのだと思う。

 音楽に終わりがないなと思うのはそういうところだ。なぜって自分を深めるのに終わりがないからだ。自分とは、どこまでも果てしなく、とてつもないぐらい広大な存在なのだから、そのつかみどころがない自分を音にのせて表現する。そこにはゴールというものはなく、一生をかけて常に探求を続けていくことなのだと思う。

今日も読んでいただきありがとうございます。明日も書きます。


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