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山奥ニートのように

今日は昼から色々やろうと考えていた
でもそんなことも1本の電話でおじゃんになった

あくせくはたらき、うごき、自分の予定もすべてだめにして
そのあげくのその態度に少しだけ悲しいような怒ったような
でも自分では最善に動いたと思っていたので
帰ってからも自分のアドレナリンで具合が悪く
倒れ込むようにうつぶせになっていた

でもそういうときは脳が興奮していて眠る事ができない

(そのことについては後日書きます・今はちょっと冷静に書けない)

アドレナリンも引いたので
つらつらと今日の出来事を反芻したり推察したりしてたが
どうも何に対してというか漠然とした
矛盾への怒りがまた沸いてもぞもぞしていた

そもそもが私がまったく関係のない事なのに
私が関与させられて、私が交渉し、私が解決の段取りをしたはずなのに
なぜか依頼してきた人が私の行動に難色をしめしてきたのだ

じゃあ、言うなよ  じゃぁ、どうしよう、困ったとか
何度も電話してきて、留守電まで入れた挙句に
自分は何も動かず 何も言わず、 ただどうしよう、で

何故温かい家の中にいたのか? 一緒に相手側に行くこともできたのに

ああ、そしてまたもぞもぞとしてしまい、その繰り返しだった


手元にあった石井あらたさんの「山奥ニートやってます」を読んだら
なんとなく鳩尾にすとんと何かが落ちるように納得をつけることができた

ウィキペディアに文章を書いたって、1円にもならない。
でも、社会的には意味のあることだと思う
それをいったい誰がやるのか
忙しい会社員にやらせるのか。ニートがやらなきゃ誰がやる。
別に社会貢献は義務じゃない。
これをやれって押し付けられるものじゃない。
自分のしたいことをしたらいいと思う。
光文社「山奥ニートやってます」石井あらた著
第3章 山奥ニートの今まで(169P)より


私は1円にもならないことをやって
その結果言われたことに憤慨して
自分の怒りをやる場所なくして
ただいら立っていたんだなと
気づくことができた

1円にならないことでも 自分がしたくてしたならそれでいいんだ

認められなくてもどうでもそれは良い事なのだ

うん そうだね


ああ、でも私はやはりだめなものなんだろうな

また何度も反芻して 何度も苦しむ

アドレナリンの熱は今もまだ沸々と沸こうとする


共生舎の前の緑の透き通った流れに
沈んでいく自分を想像する


ああ。ニートよ

自然に抱かれたニートよ


私は君たちのように何者にも揺るがなくなりたい


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