武田菊平(たけだ きくへい)
文政11年(1828年) 山梨県に生まれる
明治期になり函館へ渡り木材業などで財を成すが
明治11年(1878年)の火災で財産を失う
明治12年 有名になりつつあった十勝の鹿皮や鹿角の販売に目をつけ
立て直しのために十勝入りする
アイヌとの交易をし、傍らで農業経営を始め
蝶多(ちょうた)(現在の池田町千代田)に農場を置く
明治16~17年には農業が軌道に乗り
専業農家として経営を行う
6000坪(2ヘクタール)の畑を開き
トウモロコシ・豆・玉ねぎなどを栽培
晩成社の鈴木銃太郎(すずきじゅうたろう)も
この農場を見学に来る程 順調だった模様
明治18年(1885年)十勝にきて7年目
蝶多(ちょうた)にて死亡 享年58歳
なお、小作人の鈴木久八の息子によれば
「武田菊平は偽名で 佐野というのが本名」
だという話もあり
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