見出し画像

「それでも変わらないもの」

 
 
新しい本の匂いが好き。
 
小学生、新学期。
新しい教科書が次々と配られる日。
私はその全部の教科書を
開いては鼻を近づけて深呼吸をした。
「あぁ。新しい匂いだ。」
言葉ではなんとも言い表せないあの香り。
本への興味をそそるあの香り。
 
すっかり本を買う機会が少なくなってしまった今でも、
たまに新しい本を手に入れると
やっぱり同じことをしてしまう。
まずは表紙を見て。
それから開いて新しい本の香りを楽しみ、
それから読む。わくわくする。
 
 

 
先日パリの家に日本から一冊の本が届いた。
椋本湧也さんの、「それでも変わらないもの」という本。
世界で暮らす30人の日本人が、
コロナ禍を経験して今、思うこと、
その時のこと、変わったこと、変わらないことを
手紙形式で綴った文章を集めた本。
まずは開いて思いっきり深呼吸。
うん、やっぱりいい匂い。好きな匂い。
 


実はこれ、私も参加させていただいて、
パリからの手紙ということで書かせてもらった。
 
妊娠がわかり、里帰り出産のためにちょうど日本に帰国する時。
海外帰りはまだ1週間のホテル隔離を余儀なくされていて、
東京のとあるホテルで外の空気も吸えない隔離生活。
そんな中書いた文章。
 
 

 
一冊の本となって手元に戻ってきた自分の文章。
書体が、ぴったりだな、と思った。
実は一人ひとりの文章、書体を変えてある。すごいな。
なんとなくその書体を見るだけで、
書いた人の雰囲気がなんとなく伝わってきて、
なんだかすごく、身近に感じたりして。
 


 

読み進めていくと、
なぜか、心が震えて泣きそうな気持ちになる。なんなんだろう。
ゆっくり読むつもりが、初日で半分読み終えてしまった。
 
いつか、世界に住んでいるこの人たちと、
世界のどこかで会えたらいいな。お話してみたい。
もちろん、本の作者であり、私にこんな素敵な機会をくださった椋本さんとも。
 
 


 
「それでも変わらないもの」。
今回はコロナ禍をサブテーマにしたものだったけれど、
私の人生においてのそれを、改めて考えてみた。
 

自分にあまり自信がないこと、
自分よりも他人のことを考えすぎてしまうこと、
優先しすぎてしまうこと、
人が好きでちょっと苦手でやっぱり好きなこと、
一人の時間が好きなこと、
なのに寂しがりやなこと、
飽き性ですぐ外への刺激を求めがちなこと、
外へ冒険してみては、少し疲れてまた自分の世界に戻ること、
そんな性格の面は、生まれてこの方変わっていない。
 

 
今、自分のプロフェッショナルとしている、「食」。
これへの揺るがない壮大な愛も、
昔から変わらない。
 


 
3歳から姉の影響でピアノを始め、
週に2回、県外へレッスンとソルフェージュに通い、
コンクールにバンバン出て、
発表会やピアノのグレードテストをこなし、
本当は人前で弾くのが苦手なのに。
 

息抜きは、料理だった。
週末、半日はほぼピアノの部屋にいる。
その隙間時間に、自分で思いついたレシピでランチを作る。
当時はまっていた、
ツナと大根おろしの和風パスタ。
ただ茹でたスパゲッティの上に、
大根おろしとツナ缶を乗せてポン酢をかけただけなのに
美味しくて好きだった。
 

そういえば小さいころから料理本が好きだった。
小学生低学年、友達と図書館に行けば決まって
料理本を借りては家でノートに書き写していた。
料理の写真を眺めるのがただただ好きで、
家にある母が買った料理本を眺める時間も好きだった。
自分で考えたレシピをノートに書いて、
自分の料理本を作ったりもした。2冊も作った。
丁寧にノンブルまで書いて、目次まで作ったりして。
当時小学1年か2年だったと思う私のへたっぴな字で
当時思いついたレシピたちは、
今見返すと恥ずかしくって面白くってとってもショボくって。
でも、かわいくって。
 

「ミッキープレート」というレシピには、

”さいごに、やいたウインナーでおさらに『ミッキー』とかく。“

と書いてあって爆笑。
ウインナーを『ミッキー』という文字に並べるというレシピ。
小学1年生らしいな。
 
 

 
キッチンで、母が料理をしているのを傍で見るのが好きだった。
日本料理屋を2人で営む両親。
昼と夜の営業の間、たった数時間の休憩時間に帰ってきては
着物にエプロン姿で料理してくれる母の姿。
あっという間に何品も出来上がる和惣菜。
きんぴらごぼうにかぼちゃの煮物、白菜の炒め煮、
母の味が大好きだった。
 

 
本当は、料理の道に進みたい。
そんな気持ちに蓋をしすぎて、自分でも忘れていた。
大人になってから母から
「一度だけ、料理学校に行くか音楽科に進むか迷っていると言ってた時があった。」
と聞いて、
覚えていなかったくらいだった。
 
 

周りの期待を背負って、
自分の心に蓋をして、
進んだ音楽家の道。
そんなこと言ったら音楽家の方にも、
今音楽科で勉強されている方にも
音楽家になりたい方にも失礼かもしれないけれど。
 
必然的に、というのかなんというか、
病気になった。
ご飯が食べられなくなった。
「あと少し遅かったら命はなかったです」とも言われた。
生死を完全にさまよった。
家族全員で泣いた。
 
自分で言葉で伝えられなかった、SOS。
苦しかったけれど、病気が伝えてくれた、SOS。
結局ピアノの世界には復帰できず、復帰しないことを選び、
何年もの療養を経て、食の世界に来た。戻ってきた。
 
もともと大好きだった「食」。
病気をきっかけに、さらにその大切さを知った。
命をつないでくれた食。
当たり前に、思い入れが人一倍強い。
 

やっぱり私は食の世界が大好きで、それは変わっていなかった。
見て見ぬふりはできず、蓋はできておらず、なんなら溢れかえってしまっている今、
ちょっとオタクに近い。好きを越して、愛に近い。
 
毎日、料理を作り、食べて幸せを感じ、
おいしいってしあわせ~と日々思い。
これは世界共通だな、と、パリに住む今思う。
私の居る世界はここ。
ピアノももちろん好きだけど、でも
私の居たい世界はここ。
 
 
 

 
 
そういえば、もう一つ変わらないことがあった。
 
小学生の時の夢、もうピアノの道へ進むと決めていたころ。
「ピアニストになって、フランスに留学する」と言っていたそう。
 
そういえば小学生高学年の時に家族で行った愛知万博で
どこよりもフランス館に惹かれて仕方がなくて
もらってきたパンフレットを何度も何度も眺めた。
 
気付いたら昔からずっと好きだったフランス。
今、自分が住んでいるってとっても不思議ですごいご縁を感じる。
 

 
現実、
フランスを"訪れる"

フランスに"住む"
とでは
全く違って。
「いつかフランスに行きたいなぁ~なんなら住んでもいい!」
なんて浮かれポンチだった昔の自分に
「そんな甘くないぞ!」
と伝えたいけれど。
 
それでもやっぱり好き。変わらないことの一つ。
 


 
 
 
昔から物事を深く考えすぎる癖があって、
いや、考えることがきっと好きなんだろうけれども。
それを誰かに話したり、共有したり、そんな機会ってなかなかなくて。
恥ずかしいな、とか。
悩んでいる時は、
暗いと思われるの嫌だしな、うん言わずにおこう、
とか。

この本で、世界に住んでいるいろんな人の文章を読んで、
「あ~わかるわかる」「うんうんそうだよね」
と共感したり、
「わ~私と同じように考えてる!めっちゃ今この方と話したい!」
って勝手に同志のように感じたり、
「そういう考えかた、いいよね」
と前向きになったり。
 
みんないろいろ考えて、みんないろいろ悩んで、
それでも前を向いて生きているんだなって。
不安な感情も、悩みも、
みーんな持ってて、それでいいんだなって。

 
大げさだけど、少しほっと安心した。
人の頭の中を、
少しのぞかせていただいた感じ。
そこは思いのほか、自分の安心スポットだった。
 

なんだかいいな、作家さんじゃなくて、
私のような(と言ったら失礼だろうか)
ごく普通の一般の方の文章は、
力入れなくてもスッと読めてスっと心に入ってくる。
 
 
とっても素敵な本です。
よかったらぜひお手元に取ってみてください。
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?