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書きたいこと

ある程度の時間を作って、
落ち着いて執筆したいと思うテーマがたくさんあります。

私の頭の中は、
常にいろいろな思考であふれかえっています。

しかも、日々生きているだけで新たな気付きがあるので、
思考が休まることは、あまりありません。

たまに後頭部を自分でマッサージしたり。
湯船に浸かってボーっとしたり。
それらの機会を意識的に作らないと、
放っておくと自分の思考で頭がガッチガチになっています。

そのことに気付いてから、
私は思考し続ける人間なのだと割り切って、
自分と接することにしました。

趣味=思考

そんなわけで、
日々考えていることの中から、
書きたいことはたくさんあるのに、
言葉にしようと思うと
なかなかそれも時間がかかります。

初っ端からボリューム満点な記事を書くのもなぁとか、
かといってライトすぎても作品とは言えないしとか、
そんなことを考えていたら、
どんどん日が開いてしまいました。

そうだ。

その原因の一つには、
エッセイを書くことへのハードルが、
上がっているというのもあるかもしれません。

30歳を過ぎた頃からでしょうか、
小説よりもエッセイを好んで読むことが増えました。
好きな作家や、お笑い芸人、ミュージシャンのエッセイなど。
インタビューも好きで、面白そうな記事を見つけたら読みます。

彼らのようなクリエイターの生み出す言葉には、
命が宿っています。

同じ日本語という言語を使っているのに、
長い文章の中に、一つ、二つ、三つと、
キラッと光が放たれて輝いている言葉があるのです。

造語力。
オリジナルの言葉を生み出す力。

その、ある種の特殊能力を携えているクリエイターを、
私は好きだなと思うし、どうしてもリスペクトしてしまうのです。
そして、羨ましいとすら思う。

10代、20代の頃は「羨ましい」なんて、
プライドが邪魔して言えませんでしたがね。
30過ぎると素直になるようです。

才能ある人に抱くジェラシーを、
みっともないと思う人もいるかもしれません。

けれど私は、自分の中に生まれた感情は、
嫉妬だろうが、憤怒だろうが、喜楽だろうが、悲哀だろうが、
すべて等しく大事にしてあげたいと思うのです。

私の心が動いた何かの話の中から、
誰かの心を動かす話も生まれると思うから。

おそらくこれから先も、
気合を入れてガシガシ書く文章もあれば、
肩の力をふーっと抜いて書く文章も登場してくると思います。
私自身も、これからどうなっていくのか楽しみです。

そんなとりとめのないような話も、
私の書きたいことの一つでしたので、
こうして書き起こすことができてよかったです。

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