時間切れ!倫理 147 田中正造 1
田中正造と足尾銅山鉱毒事件は、日本史でも必ず出てくる大きな事件です。田中正造は非常に大きな影響を同時代の人々に与えた人物です。
栃木県に渡良瀬川という川が流れていて、その上流に足尾銅山があった。江戸時代からあった銅山ですが、明治になってから近代的な方法で採掘量が増えた。銅鉱石を採掘するだけではなく、その場で精錬もしました。その製錬工場から銅を抽出した後の重金属を含む有害物質が渡良瀬川にそのまま流されていました。
やがて、この川の下流で田んぼの稲が育たないということで大問題になる。川の魚も死んでいく。下流の農民たちがその原因を調べてみたらどうも足尾銅山の鉱毒が原因らしい。彼らは鉱山経営者に訴えますが全く埒が明かない。そこで農民たちは地元選出の衆議院議員だった田中正造の所に行って訴えます。
田中正造が自分で調べてみてもやはり農民たちの言うとおり。現在の環境保護問題、公害問題の先駆的な問題。衆議院議員なので、国会で何度も何度もこの問題を取り上げて、政府に質すのですが、政府は知らん振り。「言ってることがわかりません」とか言って全く取りあおうとしない。田中正造は下流農民の救済運動にのめり込んでいきます。この問題に専念するために衆議院議員もやめます。元々議員をやるくらいですから財産もあるのですがそれも全て鉱毒問題解決に注ぎ込みます。政府はなかなか動かない、足尾銅山は形だけの対策を取りますが、相変わらず毒が流れ続ける。
田中の運動で、だんだん世間もこの問題を知るようになるのですが、農民の状況は一向に解決しない。ついに、田中正造は直訴という次第に出ます。天皇陛下に、訴えの手紙を直接渡そう。国会の開会日に、天皇が皇居から馬車に乗って国会まで移動するのですが、その沿道に待っていて、馬車が通る時に「直訴!」と叫んで駆け出します。しかし警備の警官に止められて、直訴状は渡されなかった。彼は逮捕されます。天皇の馬車に突っ込んでいくというのは犯罪行為で、重い罪になるはずです。法的な手続きにのっとって、罪を問うために裁判が行われます。裁判になれば、田中正造がなぜ直訴をしようとしたかということが問題になる。裁判を通じて田中正造は、自分の主張を国民に訴えることができる。鉱毒問題について、こと細かく述べることができる。
そういうわけで、政府は彼を逮捕するのですが、彼を犯罪者として起訴して裁判に持ち込んだらそれもやばいと思うわけです。そこで逮捕はするのですが、すぐに釈放します。釈放の理由がすごい。田中正造は狂人である。本人には責任能力がないとして放免される。
しかし、田中正造が直訴と叫んで天皇の馬車に突っ込んでいったという事件自体が、評判になり、彼の直訴状全文がその日の夕刊に大々的に掲載されます。そのことによって多くの人が、事件の経緯を知ることになりました。
直訴状を書いたのが幸徳秋水です。田中正造は文章を書く自信がなかったので、幸徳秋水に頼みに行った。幸徳秋水は徹夜で直訴状の原案を書き、田中正造に渡したそうです。幸徳秋水が冤罪で死刑になる遠因のひとつが、ここにもあるかもしれません。