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時間切れ!倫理 154 和辻哲郎

 和辻哲郎は、日本文化の特徴のところで既に紹介しました。哲学者、日本文化の研究者として出てきます。主著『人間の学としての倫理学』『風土』。日本文化を考えていくなかで、人間関係の考察をした。日本文化論のさきがけのような人といえばよいでしょうか。それで教科書に出てくるのだと思います。
 「間柄的存在」としての人間、というのが教科書に出てくる和辻の用語です。これはヨーロッパの哲学・思想に対するちょっとした批判なのです。
 ヨーロッパの思想は、理性とは何か、主観とは何か、ソクラテスやプラトンにまでさかのぼれば、徳とは何か、善とは何か、正義とは何か、と様々なことを追求します。そして、これらの探求は、探求する主体としての自分の存在を、疑いようのない確固たる大前提としている。そこを、和辻は突きます。
 和辻哲郎は、人間というのは沢山の人の中の関係で生きているのであって、そこから自分というものを考えなければ駄目だ、と言った。それが「間柄的存在」としての人間。人間は個人として存在するが、社会(人間関係)の中において生きる。利己的個人主義でも没我的全体主義でもない「個人と社会の弁証法的統一」が必要。「俺が、俺が」でも駄目だ。全体の中の一人だから。では、全体に従って全面的にみんなの言うことを聞いておけばいいのかというと、それもダメ。全体と自分の調和された関係が大事だよと、当たり前のことを言っているのですが、あくまでも自分一人の主観の中の真理を追求するヨーロッパ哲学に対する一つのアンチテーゼです。
 日本には、この西田幾多郎と和辻哲郎の二人以外にも、沢山の哲学者はいますが、彼らが教科書で紹介されているのはヨーロッパの哲学的伝統に対して少し違った視点を持ったからではないかと思います。
 和辻哲郎のリアルタイムの読者ではない私にとって、かつて和辻がどれくらい大きな影響力を持っていたのかはわかりません。なので、正直に言えば、高校の『倫理』で、なぜこれほど大きな扱いを受けているのか、よくわからない部分があります。ひょっとしたら、私が大きな見落としをしているのかもしれません。

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