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どこにいても惹きつける引力がある月

満ち欠けがカレンダーになっていたこともある月は、今の時代でも変わらずに人を導いてくれているような気がします。

月を見つけたり眺めたりするのが好きになったのは、子どもの頃のことです。車の後部座席の窓から空を眺めていたら、どこまでも追いかけてくる光の塊があると思って、どこまで自分を追いかけてくるんだろうとおもしろく目で追っていました。このときは、学校の理科の授業で天体のことを学ぶ前だったので、私という自己の視点が強く、私のことだけを追いかけてくる、なんて物好きな光の塊なんだろうとずっと不思議に思っていました。

その後、月は地球の衛星のひとつであることを知り、なにも私の視界に入るように私を追いかけていたのではなく、地球自体も月自体もそれぞれにそれぞれの進むべき道を行っているだけなのだということを知りました。そう知ってからは、それ以前のように月を意思のあるものとしては見なくなってしまいました。もっと無機質な動きや現象のことのように捉え始めました。それからしばらく、月への好奇心は少し遠のいてしまいました。

大人になって月を眺めるときは、どれだけその存在感に励まされることでしょうか。満ちたり欠けたりと形の変化はあっても、この生老病死の世界で、変わらない周期で空に顔を出す存在がそばにあることほど心強いものはありません。私は今も、子どもの頃のように月には何かの意思があるように思っています。どこにいても必ず人を見守っているような月には、引力が働いていて、その変わらない在り方に惹かれるのかもしれません。

#月 #感性 #iwate_i_design

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