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月面ラジオ { 13: "月美の青春(2)" }

あらすじ:(1) 30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。(2) 中学生の月美は、彦丸という男の子のことを好きになりました。

{ 第1章, 前回: 第12章 }

彦丸と子安くんは月美よりも二つ年上だ。

だから月美が中学二年生になると二人とも高校生になってしまった。
学校はもう別々なのだ。

全員が中学生だったころに比べ、平日の昼間から三人でつるむことはできなくなった。
それでも月美にとってこの二年間は黄金の日々だった。
彦丸や子安くんにとってもおなじはずだ。
月美はそう信じている。

この二年間にあったことを月美はふり返ってみた。
ふり返るのはいつだって楽しい。
三人で数えきれないほど思い出を作ったからだ。

改良に改良を重ね、私たちの望遠鏡の性能を向上させた。
三人で旅行にでかけて夜な夜な星を観測した。
彦丸の部屋に行って三人で宇宙の勉強をした。
帰りには家まで送ってもらった。
すごく近所だったけど。

それから廃虚の天文台だ。
いまや月美たちの別荘になっている。

黄金期。
そう黄金期だ。
この素敵な受験勉強さえなければもっともっと黄金の日々……

「ねえ、月美!」
 と、呼ぶ声が聞こえた。
「あなた、いま勉強しているの? それとも妄想?」

「現実逃避かな。」
 月美は顔上げて言った。

どうも受験勉強にのれない。
本番までそれほど長い時間が残されていないというのに、まったくやる気が出ないだなんて、自分は心の病気じゃないかと思いながら月美は教科書を閉じだ。
月美の視線の先に西大寺陽子がいた。
思い出にふけっていたせいで、姉が自分の部屋に入ってきたことにも気づかなかった。

「またお腹おっきくなった?」
 月美はたずねた。

「昨日の今日でそんなに大きくなるわけないでしょ?」
 陽子は答えた。

月美が手を伸ばして、陽子の腹をさわると、そこはぽっこりと膨らんでいた。

「まだ五ヶ月。これからもっと大きくなるのよ。」

妊娠中の陽子が休養で一時的に帰国したのは、一週間前のことだった。
あと一週間ほど休んだら、また職場に復帰して、臨月まで仕事に臨むらしい。
働けるだけ働らこうというのだから恐れ入る。

子どもは来年の五月に生まれる。
女の子だ。
五月になったら月美も叔母になるというわけだ。

「さっき旦那から電話があった。」
 陽子が言った。
「名前、決めたってさ。」

「私の?」

「なんでだよ。この子の名前に決まってるでしょ。」
 陽子がお腹をポンポンしながら言った。

赤ちゃんの名前は旦那さんの一存で決めることになっていた。
赤ちゃんの名前については、二人が結婚した時点でこんな風に取り決めをしていたらしい。
つまり、女の子が生まれるなら旦那さんが名前をつけ、男の子が生まれなら陽子が名前をつけるという、そんな賭けみたいな取り決めだ。

「それでなんて名前にしたの?」
 月美は期待を込めてたずねた。

「メイ。新芽の『芽』に『衣』って書いて『芽衣』だ。」

「芽衣……」
 月美は茫然となった。
「私の姪は……芽衣ってこと? シャレのつもり?」

「あ、あんたにとってはね。」

月美に指摘されて陽子も始めて気がついたらしい。

「芽衣ってのは『太陽の下で新緑の芽のように輝け』という願いを込めて旦那がつけたの。月美を笑わせるためじゃないわ。」
 陽子は笑いながら言った。

「そう。早く生まれるといいね。きっと陽子のように頭のいい子に育つと思う。」

月美は熱を込めて言った。

「ねえ。」
 月美は話題を変えた。
 陽子に聞きたいと思いつつ、一週間経ってもなぜか切りだせなかった話題だった。
「外国で働くのはたのしい?」

「もちろん。」

「でもたいへんでしょ?」

「もちろん。」
 さっきの「もちろん」よりもずっと熱がこもっていた。
「毎日胃がきりきりして、すり切れそうになる。それも含めて楽しいんだけどね。」

「すり切れそうな仕事って?」
 月美は椅子を回して陽子の方に身体を向けた。

「どうしたの急に?」

「いいから教えて。」

「私の仕事は仲裁をすること。」
 陽子は続けた。
「外国では言葉も文化もちがう民族が入り乱れて働いている。みんな大切にしているものもちがう。ある人にとってはどうでもいいことが、他の人にとってはとても大切なことなの。でもお互いそれがわからないから、知らないうちに傷つけあってしまう。何度も対立をくりかえして、ケンカしてしまう。私の仕事は、その中にたって仲裁すること……急にどうしたの? あなたもよその国で働きたいの?」

「わたしは宇宙で働きたい。」

「宇宙?」
 陽子は産気づいたような声をあげた。
「宇宙って……どうして?」

月美は、彦丸のこと、彼が宇宙を目指していること、自分も宇宙に行きたくなったことを陽子に話した。

話を聞きおわると、陽子はニヤニヤしながら月美のほっぺをつかんだり、髪をかき混ぜてぐしゃぐしゃにしたりした。
月美は陽子の手を払いのけながら続けた。

「誰かに憧れて宇宙をめざすってダメかな?」

「動機は大切よ。大きなことをやり遂げるには、自分を奮いたたせるものが必要だから。」

「動機? それってどういうこと?」

「あなたがずっとその男の子を思って行動できるなら、それはとても素晴らしいってこと。でもこれだけは覚えておいて。」
 陽子が神妙な顔をしたので、月美はおどろいた。
「いちばん大切なのは、あなたが宇宙に必要とされるかどうかよ。それに比べたらあなたの気持ちなんてなんて二の次ね。」

「全然わからないよ。私はどうすればいいの。」

「難しいことは自分で考えるのよ。そうしないと前に進めない。」

「はぐらかした!」
 月美は憤慨した。

怒る月美に陽子は首をふった。

「月美の想いは、月美にとって大切なことよ。でも、他の人にとってはそうじゃないし、理解できないことなの。もし、あなたが宇宙で働きたいなら、それだけは忘れちゃだめよ。」

月美は、陽子の言っているがよくわからなかった。
陽子だって月美の理解が足りていないことは分かっていた。
けれど、それ以上説明をすることもなく、部屋を出て行った。

陽子が部屋を出て行ってからしばらく月美は考えこんだ。

宇宙が私を必要としない? 
私の思いなんて意味はない? 
陽子の言ったことがわからず、月美は頭を抱えるばかりだった。
けれど、それも唐突に中断された。
子安くんから電話があったからだ。

「子安くん?」
 月美は電話をとった。
「どうしたの?」

夜おそくに子安くんが電話してくるのは始めてかもしれない。
月美はちょっぴり戸惑いながら応答した。

「うん、たいした用事じゃないんだけど……」
 子安くんの声が聞こえた。
「受験勉強の調子はどうかな、って思って。」

「順調だよ。」
 月美はあわてて教科書を開いた。

「そうか。ならよかったよ。」

「それだけ?」
 てっきり彗星を観測した時の「あの話」の続きだと思っていたので、月美は拍子抜けした。

「うん、受験勉強がんばってね。あ、そうだ……」
 子安くんが思い出すように言った。
「そういえば、彦丸が逮捕されたよ。」

「へぇ、そうなんだ。逮捕されたんだ。」
 月美は言った。
「逮捕?」

彦丸が逮捕された。

「廃虚の天文台」に入ろうとしていた時に捕まってしまったらしい。
当然だろう。
この二年間だれもはっきりとは言わなかったけど、私たちのしていることは間違いなく不法侵入だった。

「廃虚の天文台」について話したいことはいっぱいある。

この二年で天文台は月美たちにとっての聖域そのものとなった。
まさに思い出の塊だ。

まず語るべきは「天文台再生計画」だろう。
天文台の機械を再び動くようにして、自分たち専用の観測所として復活させる計画だ。
以前、彦丸に教えてもらったことだけれど、天文台というのは、星を自動で追跡するために回転するのだ。

言ってしまえば古い施設の再利用だけど、彦丸はまるで城でも建てるような意気込みだった。

計画が本格的に動きはじめたのは、彦丸が発電機を調達してきた時だ。
その年の秋の半ばのころだった。
月美たちが出会ってから季節がひとつ過ぎていた。

彦丸が手にいれたのはディーゼル式の自家発電機だった。
エンジンに燃料を入れてモーターを回せば、コイルから電気を得ることができる。
大きさは、引っ越しの時に抱えるダンボールを三つ重ねたくらい。
機械と金属のかたまりで、大人よりも重かった。
りっぱな発電機だ。
でも、ひとつだけ問題があった。

問題というのはつまりこういうことだ。

発電機は壊れていて動かない。

ためしに燃料をいれてみた。
ウンともスンとも言わないのを見て月美はたずねた。

「動かないけど?」

「どうりでべらぼうに安かったわけだ。」
 彦丸はさも納得したように頷いた。

発電するどころか、エンジンもまともに動かなかった。
燃料の注ぎ口のフタすら錆びてまともに開かないといった具合だ。
彦丸が言うには、「自分たちで修理するので問題ない」とのことだった。
子安くんにいたっては、「自分で分解して修理できるなんて!」とむしろ喜ばしいことのようだ。
壊れていたからこそタダみたいな値段で手に入れられたのだろう。
それは月美にも想像できた。

彦丸と子安くんは、お父さんの工場の研修室(もはや中学生に占拠されたガレージだ)に発電機を運びこんだ。
発電機を分解し、油汚れを落としたり、壊れた部品を交換したり、オイルを補給したりした。
月美も顔見知りの工場を巡って部品の調達を手伝った。

努力の甲斐はあった。
死にものぐるいで修理をしたおかげで冬のはじめには再び電気を作りだせるようになっていた。
やってみれば案外なんとかなるんだなということを月美は学んだ。

天文台再生計画に必要なのは発電機だけじゃなかった。
他にも、発電した電気をためておくための「バッテリー」や、電気を天文台に送るための「分電盤」も用意しなければならなかった。

月美はどうやって天文台に電気を送るのかずっと疑問だったけど、彦丸に抜かりはなかった。
電気設備を設置する人のための国家資格がこの世に存在すると突きとめた彦丸は、資格を取得すれば必要な技術も身につくだろうとにらんで勉強に着手した。
そして冬のうちに試験に合格してしまった。
その年が彦丸と子安くんの高校受験だったことを考えれば、天文台再生計画の遂行は驚異的なことと言えた。

準備は整った。
月美たちは発電機やバッテリーを天文台に運びこんだ。
発電機はとても重いので、これを山の上に運ぶのが一番苦労したことかもしれない。
なにしろリアカーに乗せて、山道を歩いて登らなければならなかった。

ドームの機械部分や電気設備を点検し、発電機とバッテリーを天文台の分電盤へとつないだ。
分電盤は新しいものと取りかえた。
電気設備を工事する時、彦丸はこの施設の配電図(電気設備の設計図だ)を予め用意していたわけだけど、その調達元がいったいどこかは教えてくれなかった。

そんなこんなでブレーカーのスイッチをいれる時が来た。

何十年もの時を経て、天文台が復活した。
彦丸が天文台の制御装置のスイッチを押すと、天井がひとりでに開いて、ドームは空とおなじ青で満たされた。
一ヶ月磨きぬいた望遠鏡の鏡をメッキの浴槽から取り出した時以来の感激だった。

こうして屋上の天文台ドームは、私たち専用の「夜空の星の自動追跡装置」となった。
空を見上げれば、季節は春になっていた。

発電機は燃料さえあれば四六時中動かせるわけだけど、天文台はいつも電気を必要としているわけではない。

電源をいれるのは夜のほんのちょっとの間、天体観測の時間だけでじゅうぶんなのだ。

というわけで電気は余る。
これを使わない手はなない。
何をかくそう天文台のドームにはコンセントがあった。
彦丸は分電盤を通してコンセントにも電気を供給できるようにしていた。

電気を手に入れてからというもの、月美たちの廃虚生活は大きく変わった。
まさに劇的に。

「劇的」の代表事例は、扇風機を動かせるようになったことだ。
屋根をまるごとひとつ回転させられるのだから、扇風機くらい揚々というわけだ。

天文台は山の上にあるので元来涼しい。
それでも夏の盛りはりっぱな暑さだ。
扇風機で風の流れをつくるだけで、かなり過ごしやすくなった。
ついでにいえば、空気をかき回したおかげで虫も寄り付きにくくなった。
蚊や蝿や、なんだかよくわからないその他の羽虫などなど……

月美は、廃虚の天文台での生活が充実するように努めた。
おかげで、月美が天文台に持ち込んだモノは、かなりの点数にのぼった。
ソファー・クッション、ジュースを冷やす小型の冷蔵庫、お茶を入れるポット、コーヒーミル、三人分のマグカップ、砂糖やビスケット缶、音楽プレーヤー、手のひらサイズのスピーカー、ティッシュ、トイレットペーパー、替えのタオル、その他たくさんの生活雑貨だ。
紅茶の葉は安い時に買いこんだ。
天文台に元々あった棚はいつの間にか月美の茶葉のコレクションであふれていた。
月美はコーヒーが飲めなかったけど、彦丸が好きだったのでコーヒー豆も一種類だけ持ちこんだ。

彦丸も子安くんもこの場所に思い思いのものを持ってきた。
彦丸の場合、本と本棚だった。
彦丸は本が好きだったので、天文台でもソファーに座ってよく読書をしていたけれど、なんでこんなところまで本棚を持ちこみたかったのかは、ついぞ理解できなかった。

さらにとんでもないのが子安くんだった。
子安くんは、お父さんの工場だけでは飽きたらず、この天文台をガレージ工場の出張所に仕立てあげようとした。
天文台の一画は完全に子安国の領土となり、壁と床は工具でうめつくされた。
糸鋸、金槌、ドライバー、オイル、ペンチ、色々な大きさののこぎり、電気のこぎり、携帯小型発電機、見たこのもない形をした定規、小箱にしまわれたネジの数々……
他にも、子安くんが買ってきたり、譲ってもらったり、どこかで拾ってきたりしたジャンクの製品が転がっていた。
「どこにいても自分の部屋と似たような環境にいたいんだ」というのが子安くんの言だが、子安くんの部屋がいったいどんな有様なのかは月美の想像の及ぶところではなかった。
ここまでやったのならいっそ屋上に木を植えて、ハーブの菜園も作りたいと月美は本気で考えた。

もともと小さかった天文台だが、すっかり手狭になった。
天文台の貴重な空間を占領する子安くんに対して彦丸は何か言いたげだったけど、自分も本棚を持ちこんだ手前、強く言えない様子だった。
とはいえ、月美たちが子安コレクションの恩恵に預かったのも確かだ。
発電機の調子がおかしい時は、子安くんが率先して修理をしてくれた。
定期メンテナンスだって子安くんがやってくれた。
みんなで団欒するための簡易的なテーブルと椅子だって子安くんは作ることができた。
おかげで、三人とも思い思いの場所にすわり、好きなものを飲むことができた。

すてきな時間と場所だった。
二年間かけて、ここを私たちの二つ目の家に仕立てあげたのだ。
月美は陽光差し込む天文台に、月球儀など小さなインテリアを吊るした。
そして、夜になったら星を観測した。

そんな日々が続いた。
永久に続けばいいのにと思った。
終わりはあっけなかったが。

彦丸が逮捕された。

彦丸は廃虚の天文台に侵入しようとした時に捕まってしまったらしい。
とある団体がこの天文台の調査にやってきて、月美たちの侵入の形跡(生活の跡と言いたい)に気が付き、通報されたというわけだ。
彦丸は運悪くその時に天文台を訪れていた。

問題は、その団体が天文台を調査しに来た目的だった。
たぶんだけど、建物の老朽具合、雑草のおいしげる程度、廃材の搬出路、周囲の道路の状況を確かめにきたのだろう。
地質学的な調査だってしていたはずだ。
ほかにも作業員の休憩用のハブや仮設トイレはどこに置くべきかなど、そんな議論をしていたにちがいない。
これらは工事計画に必要だからだ。

要するにこういうことだ。

天文台の取り壊しが決まったのだった。

「取り壊し……」

これまで何十年も廃虚のままほったらかしにしていたくせに、壊すと決まると行動は早かった。
天文台の取り壊し工事はその年の冬に始まった。

月美たちは、一度だけその工事現場を訪れた。
そのころ彦丸は、高校を停学になっていた。
もともと学校も休みがちだったので、そのことを気に病む様子は見受けられなかった。

月美たちの持ちこんだモノは、天文台に残されていた。
いまさら取り戻せるわけでもなく、あきらめるしかなかった。

「せっかくフォションの紅茶を仕入れたのに……」

天文台は無残にも削り取られ、かつて彦丸たちが議論をしていた講義室もむき出しになっていた。
そんな有様を眺めながら、月美は冗談交じりでつぶやいた。

かたわらの彦丸は、とても寂しそうだった。
寂しそうな彦丸を見たのは、これが始めてだった。
お父さんとお母さんの亡くなった話をしている時も、こんな顔はしなかった。

「まだやりたいことはたっくさんあったんだけどな……」

彦丸は天文台再生計画の計画書をクシャクシャに丸めた。
そこには、空調設備と上下水道を復旧するための予算案、食堂・図書室・池のある庭園・ジム・入浴場・気分転換できるレジャー施設などの新設案が描かれていた。
正気の沙汰ではないけれど、彦丸は全部やり遂げるつもりだったのだ。


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