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月面ラジオ {56 : ユエ }

木土往還宇宙船のクルーに選ばれて当然と自負するユエだが、いまだクルーの試験の合格通知が届いていなかった。

{ 第1章, 前回: 第55章 }

会議室ではネルソンの声が響いていた。まるでゴムタイヤから出てきたような野太い声は、いつもより格段に穏やかで、喋り方も歩くようにゆっくりだった。記者会見が終わったからだろうか、ネルソンは機嫌がよかった。十六人にのぼる会議参加者も、記者会見が無事に終わったことにではなく、先週まで獣のように吠えていたネルソンが、こちらを睨みながら迫ってこないことに安堵していた。

「ひきつづき三〇七型機の行方についてだ。」
 ネルソンは言った。
「これは最新の調査報告をエミリアから……」

「報告? 『最新の調査でも、船を発見できませんでした』のひと言で十分でしょ? よくもまぁ、これだけの人が集まって、見つけられもしないモノについてグダグダと話せるわ。時間のムダね。」

ユエは心からそう思う。そう思うからはっきりと口に出して言ってやった。みんながユエに注目した。それはそうだろう。今までいなかったはずのユエが、円卓のど真ん中に出現したのだから。

ユエが訪れたのは、天下のルナスケープ社、そのボードミーティングだった。ネルソン肝いりの「アフリカの自然」とやらを背景にした仮想空間の会議室だ。滝の水面に円卓が浮かんでいて、その円卓にルナスケープの面々がずらりだ。いまだ行方不明のルナスケープ三〇七型機について調査会議だった。当初、ユエもこの会議体に招集をかけられていたけれど、欠席を続けているうちにいつのまにか呼ばれなくなっていた。もちろん今日だって呼ばれたわけじゃない。でも、ユエは呼ばれていない会議に出るほうが好きだった。

「ユエ……セキュリティを破ったことは不問にするから、出なおしてきてくれないかな。見ての通り会議中なんだ。」

ユエはふり返った。ネルソンの反対側に彦丸が座っていた。木土往還宇宙船で姿を見ないと思ったら、こんなところにいたのか。

「合格通知がまだ届いてない。」
 ユエは言った。
「出し忘れ? そうじゃないならシステムの故障でしょ。直してあげる」

全員、シーンとなった。顔見知りの何人かを見たけど、すかさずユエから目をそらした。

「その話はあとにしてほしい。君を招いた覚えはない。」

再び彦丸が言った。体を前のめりにして机の上で両方の手を握っていた。彦丸にはめずらしい仕草だとユエは思った。

「招かれていないなら来てはいけないというルールはないわ。」

「たしかにね。」
 彦丸はうなずいた。
「だからはっきり言うよ。ジャマだから出ていけ。」

「お断り。この程度で引きさがるくらいなら、そもそもこんなところに来ない。」

彦丸がこちらを見た。いや、ちがう。見ているのはユエじゃない。その後にいるネルソンだ。ユエがふりかえると、ネルソンはうなずいているところだった。

「通知を送らないようにしてもらったんだ……君にだけは。」
 彦丸が言った。
「僕の口から直接つたえたくてね。この話は、レストランでするつもりだった。人のいる場所なら、君が取り乱すことはないと思ったんだが……」

彦丸はユエを見つめて言った。

「ユエ、君は不合格だ。船には乗せられない。」

「わたしが……なに? ふ……」

「不合格です。」
 ハルルが補足した。

「ありえない!」
 ユエは叫んだ。

「もう決定したことだ。選考委員もみんな承諾している。」

「わたしは認めない。」

「君の承諾は必要ないんだ。」
 彦丸の声もどんどん大きくなっていく。
「君は若すぎる。」

「私よりたった四つ歳上の学生が二次試験に合格した。そいつに、わたし以上の経験があるっての? わたしはルナスケープの主任エンジニアよ。」

「実力が認められた上での合格だ。」
 彦丸は言った。
 声は大きく、とても冷たかった。
「それに癇癪をおこす君に比べれば、彼女はおとなだ。ユエ、君は経験のほかにも足りないものがいっぱいある。もっと修行をつんでから次こそチャンスをつかむんだ。」

「そんなクソみたいな御託はいいわ。だれ? だれの差金なの? わたしを手元において、働かせたいだけでしょ。まさかネルソンとつるんでるんじゃないでしょうね?」

「やめるんだユエ。木土往還は命をかけたプロジェクトだ。クルーの選考に社内政治の入る余地ははない。正当な審査をして、君は不合格になった。それだけだ。」

ユエはふるいていた。ここに彦丸以外の人がいなければ、子供のように泣いていたかもしれない。この世でいちばん信頼していた人から無能よばわりされたのだ。こんなにひどい仕打ちはない。

「どうして? どうしてあなたがわたしを裏切るの?」

「いつも君のためを思って僕は行動している。」

うそをつくな! 他人を思いやってたことなんで一度もないくせに。その言葉をユエはやっとの思いで飲みこんだ。

作戦を変更しなければならない。まだギリギリ残っていた冷静さが、ユエを次の行動に移させた。怒りをぶつける先を変えるんだ。私の選考結果に社内政治が関わっていないわけがないのだ。私をルナスケープに留めるのは当たり前のことなのだ。月で私の右に出る者はいない。三〇七型機の件だってそうだ。音波で誤作動を起こすセンサーがあることを、調査班の人たちにヒントを与えたのはこの私なのだ。

この中で気の弱そうなやつを問い詰めて、ボロを出させないと。うまくいけば、私がこの場を支配できる。ユエが、「私を見くびるあなたたちは揃いも揃ってマヌケだ」と罵倒し、自分こそが船のクルーにふさわしいんだとぶちかましていると、彦丸がギュッと握りしめていた手をついに離し、拳でドンと机を叩いた。ユエはビクッと体がこわばらた。その場にいた誰もが唖然としながら彦丸を見ていた。

「いいだろう……」
 彦丸が言った。
「そこまで言うなら、今ここで再審査をしてやる。この中で誰かひとりでもユエがクルーにふさわしいと思っているなら二次選考を合格にする。全員、自分の本心にしたがい投票して欲しい。それなら僕もユエも納得するだろう。賛成のやつは、いますぐ手をあげろ。」

まるで手をあげるなといわんばかりの強い口調だった。さからう余地のない声だ。ユエでさえ、その余地がないほどの。

一瞬で空気が凍りついた。ユエは、すがるような目で親しい人から順に見つめた。みんな一様に目をそらし、うつむくばかりだった。

誰かが口火をきった。ユエが名前も知らない誰かだ。

「私は……手をあげることはないだろう。思い通りにならなかったからって、こんな風に癇癪をおこされたらたまらない。ユエ、あなたがどんなに優秀だろうと、クルーの一員として迎えいれたくない。」

「あ……あなたはどうなの、ミレナ?」

ユエは、この中で最年少の女に目をつけた。ミレナは、まだ二十九歳の東欧系のエンジニアだ。指折りの猛者の中で、丸め込めるとしたらまずは彼女だ。

「あなたが賛成してくれないわけがない。これまでいっしょにやってきたじゃない?」

「私も賛成できないわ。」
 ミレナは言った。
「あなたの力はここにいる誰よりも知っているつもりよ。だけど、心と身体は成熟しきっていない。とても十年の旅に耐えられるとは思えない。」

「仲間だと思っていたのに……」
 ユエは言った。
「全員裏切り者だ! 月にいる人間はみんな身勝手だ。要らなくなったものはすぐ捨てる。わたしは捨てられるんだ!」

ユエは、会議室を飛び出した。

赤色・橙色・白色の斑紋が、星の上を回っていた。木星の模様としてだれもが知るその渦は、嵐だ。四〇〇年も昔からおなじ場所にとどまっているらしい。木星は嵐の星だ……音速をしのぐ爆風の嵐、地球をも破壊できる雷の嵐……衛星エウロパの氷の大地に寝そべり、天を占める巨星にユエは見入っていた。

太陽系にある物質の半分がこの星に集約しているそうだ。重力はひたすらすさまじく、大気はポタージュのように濃厚らしい。それを知った彦丸は「僕は木星へダイブする最初の人類になる」と言った。「そして最後の人類になるわね」とユエがいったら、彦丸が子供のようなしかめっ面をしたのを覚えている。私たちがまだ月面ラボに住んでいたころの話だ。

「ばからしい……」

ユエは目に指をいれた。ネットコンタクトをひっぺがして両方とも床に捨てた。氷の大地も嵐の星も消え、あたりはうす暗い部屋に戻った。

しばらく何も考えないでソファーに寝そべっていた。すると、ふいに部屋が明るくなった。ユエが体を起こすと、ソファーのうしろにアルジャーノンが立っていた。

アルジャーノンの視線が、部屋のそこかしこに移った。命の次に大切にしているヒールやジェケットをユエが投げ捨てていることに驚いているようだ。

「なに?」
 ユエは言った。

「せっかくだけど、これは要らないよ。」

アルジャーノンが、ユエに何かを差し出した。でも、手の上には何も乗っていなかった。

「何をしているの?」
 ユエはたずねた。

「クルーの応募用紙を返そうと思ってね。」
 アルジャーノンは答えた。

「勝手に消去すればいい。そんなのいるわけないじゃない。」

ユエはまたソファーに寝そべった。

「ユエ、 もしかしてネット・コンタクトをはずしているのか?」

「そうよ。」

「わお!」
 アルジャーノンがソファーの正面に回りこんできた。
「何年ぶりだい? カソ中の君が寝る時以外にコンタクトをはずすだなんて。」

「もう知ってるってわけね。」
 ユエは、アルジャーノンの反対側に体を向けた。

「なんのこと?」

「私がクルーに落ちたことよ。」

「さっき彦丸から聞いたよ。」
 アルジャーノンは言った。
「おどろいた。まさか君を連れていかないだなんて。」

「ほんとはおかしいんでしょ?」

「そりゃあ、あれだけ自信満々だったのを思い出すと笑っちゃうけど、やっぱりショックだよ。君ほど力のある人はいないのに。」

「能力があったて、私はどこにも行けない。」
 ユエは言った。
「この狭い月で生きていくしかないんだ。私は牢獄に囚われたお姫様よ。」

「わかってる。」

アルジャーノンはソファーに座った。手をユエの頭にのせてなでた。普段はそんなこと絶対にさせないけど、でも今は怒る気になれなかった。

「君は、自分の力を見せつけるために船に乗りたいんじゃない。家族といっしょに過ごしたいだけなんだ。大丈夫さ。僕も月にいるんだから。ユエをひとりにしない。それと、お姫様というのは勘違いだよ。檻に閉じ込めた虎より怖いってみんな言ってるよ。」

「外惑星が無理でも、地球ならすぐそばさ。」
 アルジャーノンは続けた。
「僕の研究が完成したらユエだって地球にいける。月を見上げながら二人で旅をしよう。」

「ばかじゃないの?」
 ユエは言った。
「あんな薄っぺらなスーツで超重力に耐えられるわけないでしょ。それに、私は地球なんてどうだっていい!」

「はは。さすがユエだ。こんな時でも、いつもの憎まれ口だね。」

アルジャーノンは、おかしそうに言った。まるで彦丸みたいな笑い方だとユエは思った。

「そうね……いつもとなにも変わらないわ、私は。」
 ユエは体を起こした。
「その通りよ。」

それからアルジャーノンを押しのけてソファーから立ち上がった。

「どこに行くんだい?」
 と、アルジャーノン。

「仕事の続き。」

「お、元気を取り戻したね……ってことかな?」

「そうよ。この程度のことで私はくじけたりしない。仕事だって投げ出したりしない。彦丸にもそう伝えておいて。」

そう言うと、ユエはリビングをあとにした。

「そのとおりよ、アル、私はいつもどおり。欲しいものは必ず手に入れてきた。今までも、これからだって。」


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