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月面ラジオ { 10: "手作り望遠鏡(2)" }

あらすじ: (1) 30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。 (2) 変な男の子ふたりと出会った月美は、望遠鏡を作ることになりました。

{ 第1章, 前回: 第9章 }

次の日、月美はハムエッグとトーストを食べてから工場にやってきた。

まだ朝の八時半だ。
かなり早く来たのに、一番乗りは子安くんだった。
子安くんは、お父さんから借りた作業服を着て、もう仕事を始めていた。

「なにやってるの?」
 月美はたずねた。

仕事といっても、なんだかよくわからない動作のくり返しだった。
子安くんは、ふたつのガラス盤をゴリゴリ擦り合わせていた。
椅子の上にガラス盤を乗せ、別のガラス盤をさらに上に乗せて、円を描きながら上の方だけ動かしているのだ。
子安くんの表情は険しく、ひたいは汗で濡れていた。
天井にとりつけた扇風機は、轟々と音を立てている。

「ねえ! 訊いてるの?」

子安くんがまったく反応しなかったので、月美は大声を出した。

「え? なに?」
 しばらくすると子安くんが顔を上げた。

「なにやってるのって訊いてるの。」

「『あらずり』だよ。」
 子安くんは答えた。
「鏡の凹面をつくっているんだ。こうやって、ガラス盤をふたつ重ねて間に砂状の研磨剤をいれてすり合わせる。すると下のガラス盤がへこんで、上の方が膨らむんだ。凹面鏡と凸面鏡がいっぺんにできるって寸法さ。まあ、凸面鏡は使わないんだけど……」

「不思議。」

「ほんと不思議だよ。なんでそんな風になるのか僕、よくわからないし……」

「不思議でも魔法でもかまわないさ。宇宙の光を集められるならね。」

二人がふりむくと、ガレージの入り口に彦丸が立っていた。
子安くんと同じ作業服を着ていた。

「子安、望遠鏡をつくるにあたって欲しい材料はなんだ?」
 彦丸がたずねた。

「繊維強化プラスチック。軽くて丈夫な素材だ。それがどうしたの?」

「今から手に入れてくる。」
 彦丸は言った。

「へ? めちゃくちゃ高いよ?」

「それをなんとかするのが僕の仕事だ。あてがあるから行ってみる。」

なにやら自信あり気だった。

「出かけるの? 私も行っていい?」
 月美はたずねた。

「ああ。そのつもりだ。」
 彦丸は笑いながらうなずいた。

その表情があまりに「不適」だったので、月美はイヤな予感がした。

「思いつきで鏡面式をつくるのはいいが、設計はゼロからやり直しだ。材料も新しいのをそろえる必要がある。」

鏡工場を出てからの道すがら、彦丸は説明を始めた。
どこに行くのかも分からないまま、月美は彦丸についていった。
ふたりは工場のそばの川沿いを歩いていた。
このまま山道を行けば、道中にいくつもの町工場がある。

「やり直すのはいいが、問題は予算だ。散々言ってることだけど……」

「お金が足りないのね。」
 月美が引きついだ。

「これっぽっちもね。」
 彦丸は、指と指をすりあわせながら「これっぽっち」を強調した。

「どうする? 働くの?」

「労働も手札の一枚だけど、それだと時間が足りなくなる。」

「なんで?」

「次に彗星が地球へ接近するのは、夏休みの最終日だ。僕たちの望遠鏡でぜひとも観測したい。」

「なら早く完成させなくちゃね。でも働かないなら他にどんな手があるの?」

「人の善意に頼る。」
 彦丸は言った。

人の善意に頼るというのは、要するに頭を下げてお願いをして、場合によっては拝み倒すことだと月美は理解した。
彦丸は目的の工場を見つけ出すと、喫煙所へ休憩しにきた若い工員を捕まえて「社長を呼んできてほしい」と頼んだ。
とつぜん声をかけられた工員はおどろいた様子だったけど、「わかった」とだけ言って工場に戻っていった。

月美もおどろいた。
無断で敷地にあがった挙句、いきなり社長を呼びつけるのだから当たり前だ。
小走りでやってきた社長も「なにごとか?」という顔をしていた。

社長さんは、お父さんと同じくらいの年齢で、顔がまん丸だった。
それに小柄だ。
対する彦丸は大人と比べても体が大きいので、むしろ社長さんのほうが子どもに見えたくらいだ。
彦丸は、望遠鏡に必要な(そして高級な)素材を譲ってほしいとたのみこんだ。
それも格安でゆずってほしいとのことだ。
彦丸の言い値がいかに無茶苦茶かは、相手の顔をみればよくわかった。

「望遠鏡だって?」
 社長は首をかしげた。
「どうしてうちのプラスチックが必要なんだ?」

彦丸は「待ってました」とばかりに、カバンから紙の束を取り出した。
それは、数字と線でいっぱいの図面だった。

「天体望遠鏡の設計図です。」
 彦丸は説明した。
「見てください。有効径二五〇ミリの鏡面式です。十四等星の星まで観測できるはずです。」

「へえ……」
 社長は、設計図をのぞき込んだ。
「ずいぶん大きいんだね。」

「はい。主鏡の経が大きいと、焦点距離も増えます。望遠鏡もそれに併せて大きくしないといけないから……だいたい本体は一四〇センチの規模になります。」

「おお!」
 社長が声をあげた。
「うちの息子よりもでかいじゃないか。」

「だからあなたの強化繊維プラスチックが必要なんです。」
 彦丸はすかさず言った。
「丈夫で軽い素材があれば、大きくても持ち運びやすく、また長持ちします。僕たちは、この望遠鏡で彗星を発見するつもりです。知ってますか? 彗星を発見すると、発見者は好きな名前をつけられるんです。」

「へぇ、そうなの?」

ここで彦丸は、ぐっと感情を込めた。

「去年亡くなった父の名前を彗星に付けたいんです。星が好きだった父のために。」

「お父さんが……それはお気の毒に……」

「はい。でももう立ち直れました。いっしょに望遠鏡を作る仲間たちと出会えて。あ、それと、彗星を発見すれば僕たちは取材をうけるはずです。その時、このプロジェクトの協賛企業として、工場を紹介すると約束します。だから強化繊維プラスチックを譲ってください。」

月美は彦丸の傍らで半ばあきれながら、半ば感心しながら、よくもまあ「死んだ父」だの「取材」だの、口からデマカセが出てくるなと思った。
こんなことで材料が手に入るわけないだろう。
そんな風に心の中で文句を言っていたら、社長は予想外の返事をした。

「よし、わかった。プラスチックを譲ろうじゃないか。」

「え?」
 月美は思わずこぼした。

「すごい望遠鏡を作ってくれ。僕も応援するよ。」

「ありがとうございます。」
 彦丸は頭を下げて言った。

うそでしょ……と月美は思った。

「設計書をもう作ってたのね。」

帰り道、月美は彦丸にたずねた。
ふたりは、プラスチック工場が見えなくなる辺りまで来ていた。

「設計書?」

「さっき見せたやつ。私たちの望遠鏡の設計書なんでしょ?」

「いや、これは他人が作った設計書だ。」
 あっけらかんと彦丸は言った。
「ネットに公開してあったのを、まるごと写しとった。僕たちの分はこれから作る。」

「うそだったの?」

「うそじゃない。自分たちで設計したとは言っていない。『こんな風に作りたいんだ』と説明しただけだ。」

「だったら、お父さんの名前を付けるって話は?」

「そっちはウソだ。あの場で考えた。社長は僕の父さんくらいの年齢だったし、ウケると思ったんだ。」

「でも、本当に彗星を発見したらお父さんの名前をつけられるんじゃないの?」

「いや、ムリだね。」
 彦丸がきっぱりと言った。
「彗星を発見した時の命名権はもう売っぱらったんだ。うちのじいさんに……バーベキューの材料と引き換えに。」

月美は、呆れて物が言えなかった。

「あ、でも、父さんが死んだってのは本当だよ。去年、交通事故で死んだ。母さんも一緒だった……」

なんでもないことのように淡々と語る彦丸に、月美は驚くばかりだった。

「さて、これで何をやるかわかったはずだ。」

「なんの話?」

彦丸がいきなり話を切り替えたので、月美はキョトンとした。

「月美の仕事の話だよ。材料と工具をわけてくれそうな工場は、まだいくつかある。これを手分けしてあたっていく。」

「手分けって……私ひとりでいくってこと?」

「あたりまえだろう。」
 彦丸はやれやれとため息をついた。
「頭下げるのに二人も要らないよ。手分けしたほうが得だ。はい、これが工場の一覧。」

彦丸が月美にメモを手渡した。
この辺りにある工場の名前と、工場でもらえそうな材料がリストアップされていた。

「僕はこっちから回る。」
 彦丸が地図をなぞりながら言った。
「月美は反対からだ。一日あれば、すべて回れそうだな。」

それだけ言うと、彦丸は月美を置いて歩き去った。

「ねえ、ちょっと待って!」
 月美は大声で彦丸を呼び止めた。
「ひとりじゃムリ!」

しかし彦丸は足を止めることもなければ、ふり返ることもなかった。

「冗談でしょ……」

月美は彦丸からもらったメモを見た。

下大沢ガラス製作所、ソーダガラスをもらう。

と書いてあった。

冗談ではないようだ。

午前中、月美は近所の工場を巡ってみたものの、結局くじけてお父さんの工場に戻ってしまった。

ほしい材料のメモを見せ「譲ってください」とお願いしても、「忙しいから」と誰も相手にしてくれなかった。

月美は子安くんのとなりに座ってグチをこぼした。
子安くんは、午前中からずっとガラス盤の「あらずり」をしていたようだ。

「だって見ず知らずの人にいきなりお願いするんだよ? 『材料をわけてください。よければタダで』って。信じられない。」

子安くんは、ガラス盤を磨く手を止めて一息ついた。

「……なにが?」

「彦丸が!」

「どうして?」

「嘘をついてまで、材料を手に入れようとするから。」

「そこが彦丸のすごいところなんだよ。なかなかできないよ。知らない人に頭を下げて回るだなんて。ほとんどは相手にもしてくれない。」

「それはそうだけど……」

「僕は、彦丸に感謝だな。僕だけじゃとても望遠鏡なんて作れない。作ろうとも思わなかった。材料と工具を集めるだけでもすごくたいへんだ。今こうやって鏡づくりに専念できるのも、彦丸のおかげさ。」

「僕は彦丸を尊敬している。」
 子安くんは断言した。
「月美さんはどうして彦丸といるんだい?」

「私は……」
 月美はつぶやくような声で言った。
「私も彦丸を尊敬しているから……始めて会った時から。」

「なんで?」

「あいつは……私がしたくてもできなかったことをできるから。いま子安くんが言ったことも含めて。」

しばらくして月美は立ち上がった。

「そうだね。ここでグチっても意味ないね。もうちょっと頑張ってみる。」

その意気だとばかりに子安くんはうなずいた。

「ところでこのソーダガラスって……」
 彦丸が「調達目録」と呼んだメモを見ながら子安くんが言った。
「これなら、この工場でも手に入るんじゃない?」

「ほんと?」

「多分ね。」

「わかった。知り合いの事務員さんに聞いてみる。ありがとう、子安くん。」

月美は子安くんに笑いかけて、ガレージをあとにした。

「どういたしまして。」
 子安くんはうなずくと、鏡を磨く作業に戻った。


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