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月面ラジオ {69: 最終決戦(3) }

あらすじ:強奪された木土往還宇宙船で、月美は彦丸と再会した。強奪犯のユエをとめるため、ふたりで船の操舵室に乗り込もうとしている。

{ 第1章, 前回: 第68章 }

彦丸が操舵室に突入すると、ユエはそこにいた。でも、そこは操舵室じゃなかった。

「これはなんだ?」
 彦丸は言った。

真っ暗な部屋にユエがひとりで漂っていた。ユエがいる、それだけだ。

「何も見えないぞ?」

うしろをふりかえると、なんと入り口の扉が消えていた。

「まずいな。ネットコンタクトを乗っ取られたのか?」

しばらくすると仮想空間に巨大な星が映った。星はふたつあった。木星と土星だ。ユエの背中側に木星が、彦丸の背中側に土星が浮かんでいる。でたらめだ。でも、こんなにも大きなものに挟まれるとやはり圧倒される。映像なのに、吸いこまれて落ちてしまいそうだ。

彦丸は宙を蹴ってユエへ近づこうとした。けど、どういうわけか体が前に進まなかった。もういちど両足を構え、ていねいに動かしたものの、足は宙をスかしてしまう。ユエが磁場コントロールシステムに細工をしているようだ。船の床や壁を蹴れば、ユエのところまで行けるけど、ユエは磁場を蹴れるはずなので、なんなく逃げられるだろう。それに、ネットコンタクトを乗っ取られたせいで、どこが床でどこが壁なのかもわからない。

ユエが彦丸を見た。それから、月美とアルジャーノンを見た。

「アル、裏切ったのね?」

「気が変わったんだ。」
 アルジャーノンは言った。
「やっぱり僕たちはいっしょにいるべきなんだ。」

ユエは、歯を食いしばってアルジャーノンを睨んだ。怒鳴りつけたいのをこらえているかのようだった。

「ユエ、月へかえろう。」
 彦丸が手を差し伸べて言った。

「いや。殺されたってエンジンはとめない。」
 ユエは言った。
「これから末永く一緒に暮らしましょう。宇宙の果てに辿り着くまで。」

「ユエ、どうしてこんな馬鹿なまねを!」

「置いて行かれる者の気持ちをあなたに思い知らせたかった!」

「その気持ちはよくわかる。」

「うそよ。置いていかれたことなんてない。あなたが捨てたのよ。」

「ほんとうだ。」
 彦丸は言った。
「僕は妻を喪った。失恋したこともある。」

「それでもあなたは私を置いていくのよ!」

彦丸は差し伸ばした手を引っこめた。

「取り繕う気はないよ。ユエがクルーになれないと決まったとき、僕はホッとした。心配事はなにもかも忘れて、外惑星に行けると思ったからだ。でも、それはまちがいだった。」

彦丸はユエを見た。それからアルジャーノンと月美に目を向け、またユエに視線を戻した。

「僕は月に残る。」

月美とアルジャーノンは、おどろいて彦丸を見た。ユエは腕組みをしたまま固まっていた。

「口だけじゃないって証拠はあるの?」

彦丸は手に持っていたあるものを見せた。

「これが証拠だ。」

ペンのような器具だった。ペンではないのだけれど、それ以外に言い表しようのない器具だ。ある目的のためだけに、わざわざ作ったのだろう。ペン先でなく、丸ボタンのスイッチが先端に着いていた。親指でギュッと押しこめば、この船のどこかで爆発が起こりそうなスイッチだった。

彦丸はその器具を掲げながら言った。

「自爆スイッチだ。」

全員がギョッとなった。まさか本当に爆発するとは。これが彦丸の言っていた「最後の手段」なのだろう。月美は彦丸からすこし離れようとしたけど、今はマグネティック・ソールが機能しないので、宙を蹴っても足が空回りするばかりだった。

「船を乗っ取られたときに備えて、システムの強制停止スイッチがあるんだ。このことは、ルナスケープでも限られた者しか知らない。」

ユエも初耳だったようだ。胸の前で組んだ腕の中で指をトントンと動かしながら、スイッチを見ていた。

「ムダよ……」
 しばらくしてユエは言った。
「システムは私の配下にある。停止なんてさせない。」

「いや、必ず止まる。」
 彦丸は言った。
「本当に爆発するからね。機械そのものを壊して、誰にも船を動かせないようにするんだ。システムが乗っ取られていようと関係ない。」

「うそよ!」
 ユエは声をあげた。
「そんなスイッチがあるわけない。もしあったとしても、それが本物だという証拠は?」

「君と駆け引きする気はない。」
 彦丸は言った。
「うそだと言い切るなら僕は押すまでだ。でも、できることなら君の手でこの船を止めてほしい。」

「もしそのスイッチを押したら彦丸はどうなるんだい?」
 アルジャーノンが尋ねた。

「僕はこの船に二度と乗らせてもらえないだろう。」
 彦丸は答えた。
「月に残るって言っただろう? 問題はない。さぁ、どうするユエ? 僕を信じてくれるなら、船を止めてほしい。信じてくれないなら、僕はこのスイッチを押す。」

ユエは固まっていた。目だけが泳いでいて、彦丸と自爆スイッチとを見比べていた。ウソかホントかわかりかねているようだ。あるいは、エンジンを止めるか迷っているのか? それとも、彦丸から自爆スイッチをうばう方法を考えているのか……

月美は、足を伸ばせるだけ伸ばしてみた。コツッとヒールが床に当たるのを感じた。よかった……ぎりぎりだけど、床に足が届くようだ。

「彦丸。」
 月美は、つま先でなんとか床を蹴り彦丸の前に出た。
「ユエとふたりきりで話させてほしい。いいかな?」

月美がユエのそばまで行くのは簡単だった。彦丸の体を押せば、ユエの方に自分の体が飛んでいった。その反動で彦丸の体は、入り口に向かっていくことになるけれど、彦丸にはここから出ていってもらいたかったので、それでよかった。アルジャーノンは、月美がしたのと同じように、なんとかつま先で床をさぐり、彦丸についていった。ふたりが操舵室から出ていくと、月美とユエはすこし距離を置いたまま向かい合った。

「消えて部外者!」
 ユエが言った。

「部外者じゃない。」
 月美は言った。
「関係者だ。この船はわたしの船でもある。」

「私をどうする気? 説得でもするの? それとも殴るの?」

「いや。さっきまでその気だったけど、もういいかなと思ってる。」

「いいってなにが?」

「お前たちと一緒に宇宙の果てまですっ飛んでいくこと。楽しそうじゃないか。」

「この船は強制停止させられるわ。」

「ウソだって言ってたじゃないか?」

「でも……」

「でももカカシもない。これから何年も四人で暮らしていくんだ。仲良くしようじゃないか。」

ユエは顔をしかめた。目の前にいる女がわけのわからないことを言い始めたと思っているようだ。

「安心して。」
 月美は続けた。
「あんたたち家族の間に割って入ろうなんて思っちゃいない。私はもうあきらめた。参った。降参だ。あいつはどうあっても私に興味を持たないし、ユエの気持ちと行動力には勝てそうにもない。」

「あなたはそれでいいの?」

「いいさ。諦めることは過ちじゃない。何もしないことだって重要な決断だ。次に歩く道を決めさえすればね。」

「納得できない。私は、欲しいものは全てほしい。諦めるなんてできない。」

「だから連れて行ってしまえばいいんだよ、彦丸を。私は、ついでにこの船に乗せてほしいって頼んでいるだけだ。話をごちゃまぜにしないでくれ。」

「私は……」

ユエは黙ってしまった。なにかを言おうとしているけど、言葉が出てこないようだ。月美も口を閉じ、ユエの次の言葉を待った。

「ねえ、あなたはなぜ月に来たの?」
 しばらくしてユエが尋ねた。
「ここは人の夢と希望を煮詰めてつくった地獄よ。」

「彦丸に会いに。」
 月美は答えた。

「会えたからもう満足してるってわけ? でも彦丸は月そのものよ。月は、私たちなんて見向きもしない。いつもこちらを見守るふりをして、じつは反対側を向いているの。」

「ユエとって月は地獄かもしれないけど、私にとってはやっぱり憧れの世界なんだ。あいつが故郷を捨てて作った月の街にずっと来たかった。月に立てば、あいつと肩を並べられると思ったんだ。」

「肩を並べたいだけ? 彦丸を好きなんでしょ。」

「好きだよ。」
 月美は言った。
「二十七年前からずっと好きだ。だけどそれ以上にあいつのことを尊敬しているんだ。私は、彦丸みたいな人間になりたかったんだ。だから私は彦丸の足を引っ張りたくないし、ユエにもそうしてほしくない。」

「私もそんな風に思える時が来るかしら?」

「私は二十年以上かかったな。」

「とほうもないわ。まいっちゃう……」

ユエは顔を上げると、月美には見えない誰かに向かって叫んだ。

「船長命令よ! エンジン緊急停止。」

操舵室の外側の廊下で、彦丸とアルジャーノンは肩を並べて、月美たちを待っていた。月美は、ユエと何を話すつもりなのだろうか。どうして僕たちを追い出したのか。彦丸は、黙って腕組みをしなしながらそんなことを考えていた。

「訓練が始まるんだ……」

ふいにアルジャーノンが口を開いた。

「ん?」
 彦丸は顔をあげた。
 すぐそばにアルがいたことを忘れていた。
「なんだって?」

「高負荷重力訓練の許可がおりたんだ。三ヶ月後からその訓練が始まる。」
 アルジャーノンは言い直した。

「すごいじゃないか。」
 彦丸は言った。
「おまえの野望もやっと本格化してきたな!」

「そうだね。」

「どうした? 気のない返事だな。」

「こわいんだ。」

「なにが?」
 彦丸はキョトンとした。

高重力負荷訓練は、地球へ降りるためには必ず必要な訓練だ。アルジャーノンの念願でもあるのに、訓練に対して後ろ向きなのには驚いた。

「重力がこわいんだ。」
 アルジャーノンは続けた。
「自分の体がほんとうに耐えられるか不安だよ。きっと痛い思いをする。死んでも地球に行きたいと思ってた。なのに、いざ始まると足がすくんでしまうんだ。」

彦丸は、これまでに何度もその訓練を受けていた。だから、「たいしたことはないよ」と言ってやりたかったけど、それがアルにとって何の慰めにもならないことはわかっていた。

「ねぇ彦丸。僕たちは宇宙に住んでいる。そして、これからも宇宙で生き続けるんだ。でも宇宙はとてもこわいとこだよね。たったひとつの事故でたくさんの人が死んでしまう。空気がなくなり、助けも来ないで、恐怖に震えながら最後を迎えることもある。彦丸は初めて宇宙に来たときは怖くなかったのかい? これから長い旅を始めて、宇宙をさまようのはこわくないのかい?」

「こわいよ。」
 彦丸は言った。
「旅はいつだってこわい。」

今度はアルジャーノンがキョトンとする番だった。彦丸の答えが期待はずれだったのだろう。

「どうした? 『恐れることはない』って言ってほしかったのか?」

「そういうわけじゃないけど……」

そういうわけだったんだろうな、と彦丸は思った。

「たどりついた先が望んだような場所とは限らない。」
 彦丸は言った。
「それでも人は、どこか別の場所に行かなくちゃならないんだ。未知こそが、人を成長させる道標だからだ。成長しないということは、ゆるやかに死んでいくのと同じだよ。人も、国も、企業も、すべてがそうだ。同じ場所にずっと閉じこもっている人間にはぜったい理解できない。もちろん僕の生き方をアルに強制するつもりはないんだ。怖かったらやめればいい。」

「ねえ彦丸。地球はほんとうにすばらしいところなの?」

「もちろん。なにしろ空と海と大地があるんだ。僕の故郷は、この宇宙で一番うつくしいところだ。」

「だったらどうしてずっと月にいるんだい? 宇宙で生きると決めて、後悔したことはないの?」

「後悔がない生き方なんてありえない。あるとしたら、欲しいものがまったくない人生というだけだ。急にどうしたんだ?」

「だって、もし彦丸が僕たちふたりのために、一度も地球に帰っていないんだとしたら……」

「アル、そんなことお前が気にする必要はない。」
 彦丸は言った。
「後悔よりも楽しいことの方がずっと多かった。三人で一緒に歩いてきたじゃないか? アルにもユエにも感謝しきれないよ。」

「でも彦丸はいつも寂しそうな顔をしている。」
 アルジャーノンは言った。
「僕たちのことを気にかけて、彦丸が月から出られないからじゃないのかい?」

そんな覚えは全くなかった。けれどアルジャーノンが言うのだから、もしかしたらそうなのかも、とも思った。それでも彦丸は首をふった。

「寂しいことなんてない。でも『もしあの人が生きていたら』と思うことはあるよ。」

「僕とユエのお母さんだね。」

「一度でいいから、四人で一緒に歩いてみたかったな……」

そこで、彦丸は止まった。冷水を浴びせかけられたような気分だった。今ごろになってやっとユエの気持ちが理解できただなんて。

「お笑い草だな。」
 彦丸は言った。
「君たちと過ごす日々を失ってでも、木星と土星に行きたいと思っていたのにな。」

「まって!」
 アルジャーノンは声を上げた。
「彦丸、なにをする気だ!」

彦丸は、自爆スイッチを懐から取り出した。アルジャーノンの静止も聞かず、ボタンに指をかけた。

あたりが急に暗くなった。月美は顔をあげた。

「木土往還宇宙船を停止します。乗員のみなさまは、速やかに船を退去してください。」
 というハルルのアナウンスが船内中で鳴った。


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