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月面ラジオ {61 : コスモジャック }

あらすじ:月美は、木土往還宇宙船の完成式典に(無断で)参加していた。

{ 第1章, 前回: 第60章 }


完成式典の夜、ユエは木土往還宇宙船の支配者となった。

もし「いつから船を乗っとるつもりだったのか?」と聞かれたら、「船を作り始める前から」と、ユエは答えるだろう。乗っ取りを決意した日のことは、今でもよく憶えている。なぜならグルアーニー先生が、ユエと彦丸のもとを去った日だからだ。ラジオの電波にのって変テコな歌が地球から届いた日でもある。その日、ユエは、彦丸と先生の会話をテーブルの下で盗み聞いていた。「たとえ君を裏切ることになっても、僕はルナスケープに行く」と彦丸は言った。

彦丸が宇宙の冒険に取り憑かれていることは、子どものユエにもわかっていた。船が完成すれば、ユエを置いて旅立ってしまうことだって、かんたんに想像できた。その想像がまちがっていなかったのは、十年後の今となって証明されたわけだ。

「また家族と離れ離れになるだなんて、絶対にイヤだ!」

幼い頃のユエはそう思ったし、おとなになった今でもそう思っている。だから船を盗まなければならないのだ。船さえなくなれば、すべてが解決する。十年間心血注いでつくった船がなくなれば、彦丸だってくじけてしまうだろう。百年に一度のプロジェクト、もしくは民間の公共事業と呼ばれ、お金のムダ遣いだという世間の非難の果てに作り上げた船をもう一度つくるだなんて、もはや人類には不可能だ。少なくとも向こう百年は、叶わぬ夢となるだろう。執念のお化けのような彦丸だって、きっと諦める。

外惑星に行けなくなったら、彦丸は悲しむだろうか? 悲しまないわけがない。そんな彦丸の姿、ユエは見たくなかった。彦丸の仕事を身近で見てきたユエだからこそ、彼の無念をだれよりも理解できる。だけどしかたのないことなのだ。

音波サイバー攻撃で宇宙船を乗っとれることは、ルナスケープ三〇七型機で実証できた。その対象が、小型の貨物船でなく、木土往還宇宙船のような巨大船だとしても大した問題じゃない。なにしろ同じシステムを搭載しているわけだし、そのシステムを作ったのはユエなのだ。

ユエは、宇宙船の管制システムに予め細工をしていた。セキュリティに穴をあけておくのは、ユエにとって目玉焼きをつくるほどの作業にすぎない。難しいのは、その穴を十年以上だれにも見つからないよう隠しておくことだった。穴をあけても、塞がれてしまったらすべてご破産だ。

その点で、音波サイバー攻撃はうまい手だった。センサーに関する専門的な知識があれば、簡単にできる攻撃手法ではあるけれど、マイナーなハッキングで、わざわざ試そうとする人がいないからだ。そんなことで宇宙船を乗っ取れるだなんて、だれも思いつかない。そこに穴があることを知らなければ、穴にたどりつけない。そういうわけだ。

他にもやるべきことはあって、そっちのほうが苦労したくらいだ。いちばんの問題は、いつも誰かが船に乗っていることだった。ユエは、宇宙の果てにこの船を捨てに行くつもりだけど、他人を乗せたままそれをやるわけにいかない。それに、ユエが犯人だとばれたら、彦丸やアルジャーノンと暮らせなくなってしまう。

だから船に乗っている人たちをみんな追い出さなければならなかった。船の完成式典は、その最大のチャンスだった。パーティーに先立ち、建設作業員たちは例外なく下船させられる。船に残るのは、機関士と設備管理士、保安要員くらいのものだ。普段とはちがう特別な作業シフトが組まれ、そういう時だからこそ、シフト表にも細工のしがいがある。自分たちの就業時間に不自然な点があっても(部屋を最後に出る人は、部屋を空っぽにしてしまうことに何か引っかかるものを感じたことだろう)、それでも気づかれにくいというのがユエのねらいだった。

式典の招待客は、ほおっておいても船を降りてくれる。彼らは、作業員たちといっしょに、月面港行きの送迎船に乗ることになる。この船に招待客のための表玄関、作業員たちのための裏口なんてものはない。ポートデッキが、普段いない人たちでごったかえす中、本来下船してはいけない人が紛れていても、それを指摘できる人はいなかった。

やれるだけのことはやったと、ユエは言い切れる。それでも、計画がうまくいくかどうかは賭けでしかなかった。不確定要素が多すぎる。もしユエが逆の立場だったら、このくらいの裏工作、すぐに見抜く自信がある。でもうまくいったようだ。船の操舵室に入ったとき、部屋に誰もいないのを見て、ユエは賭けに勝ったと確信した。

操舵室は、暗くて丸い部屋だった。いや、暗いというよりも真っ黒な部屋だった。ユエは、黒い球体の内側にいた。

ユエが部屋の中心で待機していると、ちょっとずつ光があらわれた。花が咲いたように鮮やかな光だった。壁に備え付けてあるディスプレーは、すべてスカイブルーに輝いている。起動音とともに、アップルグリーンの光が計器に灯り、オレンジの光がスイッチの上を走った。そして、ローズレッドとカナリアイエローのメッセージがひっきりなしに黒い空間を流れていった。

つぎの瞬間、拍手喝采が鳴った。操舵室には誰もいなかったはずなのに、クルーたちがいつの間にかディスプレイの前に座っていた。ユエを除いてクルーは十一人いた。操舵室の上下と左右に陣取って、みんなユエの方を向きながら出迎えてくれた。

「ようこそ、船長!」

「おかえりなさい!」

ユエは手をふって応えた。それが船長として最初の仕事だった。

彼らは、ユエが秘密裏に集めたクルーたちだ。一流の技術を持つ素人たちで、仮想空間越しに船の操縦を手伝ってくれる。誰もお互いの正体を知らないけど、ユエの予想では、半数が月面大学の学生だ。みんな、これから本格的なシミュレーションゲームやると思いこんでいる。本物の木土往還宇宙船を自宅から操縦しているだなんて、夢にも思っていないのだ。

「ゴホン……」

ユエは、もったいぶって咳払いをした。そして号令を出した。

「さあみんな、気を引き締めて。まずは船内設備の報告を。」

全員が同時に壁に向き直ってディスプレイを見た。

「船内気密を確認。問題ありません。指示の通り、生命維持装置を最低レベルのまま維持しています。こちらも問題ありません。」
 三等航宙士のヨハンが報告した。

「航路!」
 ユエは声を張った。

「レーダー確認。航路を妨げるものなし。問題ありません。」
 二等航宙士のピョートルだ。

「さすがルナスケープってとこね。造船所跡だってのに、ゴミひとつ落ちていない。天気は?」

「予報確認。太陽フレアの兆候なし。問題ありません。」
 テクラ二等航宙士が言った。

「ルートヴィヒ機関長、報告を。」

「磁気スラストチャンバー・エンジン、問題なし。第一、第二、および第三発電機、すべて正常稼働。待機系エンジン及び発電機、テスト完了。いけます。」

「フレデリック一等航宙士。予め提示した航行計画のとおりにいくわ。なにか問題は?」

「ありません。」

「月軌道を脱出できるまでの加速を得るのに丸一日が必要よ。それまで月の管制を騙しきれるかどうかが最大の問題ね。まかせたわよ、ハルル通信技師長。」

「承知しました。」

「準備ができたわ!」
 ユエは叫んだ。
「最初の目的地は木星。エンジン、出力開始!」

「エンジン、出力開始!」
 ルートヴィヒ機関長が叫び返した。

木道往還宇宙船のエンジンに火が灯り、船はほんのわずかに加速した。それはほとんどゼロに近い加速だった。ゾウの体をアリが押し出す程度のものでしかない。ただし根気よくエンジンを動かしていれば、そのアリは時間を追うごとに増えていく。一匹が二匹に、二匹が四匹に、やがて千、万、億と増えていき、いつしかだれも止められない速さを船は得る。

船が本当に動いたことを知る者は、この世界でユエだけだ。すべてが順調だった。たったひとつ見逃していた「あること」を除いて……

「報告です!」
 ハルルがいきなり声を上げた。

「どうしたの、ハルル通信技師長?」
 ユエは言った。

「何者かが無許可の通信を始めています! 格納庫からです。」

「はい?」
 ユエは、生まれて初めてスットンキョウな声を上げた。

誰もいないはずの船にまだ人が残っていることなど、ユエは知る由もなかった。


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