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月面ラジオ {40:ルナ・エスケープ再び(2) }

あらすじ:初恋の人を追いかけ、月で働くことになった月美は、砂漠の僻地に閉じ込められ、脱走しましたが、逃げ場もなく戻ってきました。職場に戻ってくると、行方不明だった社長のアルジャーノンがいました。

{ 第1章, 前回: 第39章 }


「あたしの宇宙でのキャリアは、スポーツ・メーカーで始まった。」
 ホークショットが静かに語りだした。
「月面スポーツ用品の開発部門で働いていたんだ。アルジャーノンと出会ったのは、月に来てから一年くらい経ったころだな。」

教授がこういった話を……つまり、月美にあびせる罵詈雑言以外を口にするのは久しぶりで、月美はわけもなく緊張してしまった。
教授がどうして身の上話を始めたのか、まったくわからない。

月美たちは開発室をはなれカフェテリアまで来ていた。
仕事のジャマになってはいけないと、ホークショットが月美だけを連れてきたのだ。
テーブルのマグカップには、彼女の淹れてくれた紅茶がなみなみと注がれていた。

ホークショットは月のスポーツ用品のメーカーで働いていたらしい。
以前は大学に勤めていたのだけど、宇宙で働くために転職をしたわけだ。
大学をやめて宇宙企業に就職するというのはよくあることで、それは月美もおなじだった。

「私がはじめて月に来た時、月面都市が完成して何年もたっていた。」
 ホークショットは続けた。
「たとえ月のような極地でも、そこにいるのが当たり前になってしまうと、メシかっこむだけじゃ人は物足りなくなるんだろう。当時、スタジアムやらレースコースやらが月で建設されている最中だった。低重力ならではの新しい競技が毎日のように生まれているころでもあった。いわゆる黎明期ってやつだな。三次元サッカー、エクストリーム・バスケット、地平線までかっとぶクレーター・ゴルフ……変わり種でクィディッチなんてのもあったな。ケッサクなのは月の砂漠でやった人類初の野球だ。打ち上げたとたん場外ホームランになるせいでまともな試合にならなかった。」

はるか頭上を通り過ぎていく白球を宇宙服きた外野手が一歩も動けないまま見守るさまを月美は想像した。

「まあ、いろいろあったってことだ。」
 ホークショットは感慨深げだ。
「そのうちのいくつかは今でも人気スポーツだし、いくつかはまったく流行らず消えてしまった。月面スポーツ……『人間どこいってもやることは同じ』というつまらん真理を私に授け、ついでに月での飯のタネを与えてくれたわけだ。まぁそんなこんなで私はとあるスポーツチームに所属することになった。メーカーが所有していたプロのパルクールチームだ。コズミック・ボルトといって、チーム名がえらくダサいのが印象的だった。私はパルクール専用のシューズやスポーツウェアを開発するスタッフのチーフとして抜擢されたんだ。」

「パルクールって、何でしたっけ?」
 月美はたずねた。

「それくらい自分で調べろっておばあちゃんに教育されなかったか?」
 ホークショットが言った。

「私のおばあちゃんは教授よりずっと優しい人でしたよ。」
 月美は言い返した。

「街や専用の障害物コースを駆け巡って、速さや巧みさを競うスポーツだよ。」
 粗茶二号がそっと耳打ちをしてくれた。
「重力の軽い月なら怪我の心配が少ないし、地球じゃぜったいムリな動きもできるから、こっちではとくに人気なんだ。」

月美はビルとビルの間を飛ぶ人影のことを思い出した。
月に着いた日にタクシーからそれっぽいものを見た気もするが、もしかしてあれは仮想空間の幻じゃなかったのか? 

「コズミック・ボルトは、月面都市の大会で何度も優勝している強豪だった。」
 ホークショットは続けた。
「だがそのシーズンは、成績がイマイチふるわなくてな。不思議なことに、私が就任した直後から負け始め、勝てない日々が何ヶ月も続いていた。するとマネージャー陣が不調をいよいよ私のせいにしはじめてな。開発したシューズがイマイチだとかぬかしていたよ。」

ホークショットはここに痰壺があればペッと吐き出していただろう。
そんな顔をしていた。

「もちろんそんなわけがない。あたしのせいじゃない。そうだろ? だから、勝つためには相手のチームに一服盛るべきだと提案したちょうどその日のことだ。アルジャーノンがあたしの職場を訪れた。」

ここではじめてホークショットはマグカップに手を伸ばし、紅茶をぐびっと飲んだ。

「あいつは当時たったの13歳だったが、パルクール選手としてすでに名をはせていた。なにしろ生まれたときから月にいるんだ。月で歩きはじめ、月で走り方をおぼえた。低重力であいつほど巧みに動けるやつは他にいなかった。」

月美はすでに空いた自分のカップの底を眺めながら、ホークショットが一息つくのを待った。
話はまだまだ続くようだった。

「アルジャーノンの要求はつまりこうだ。」
 ホークショットはマグを置いて言った。
「自分専用のパワードスーツを開発してほしい。重力が月の六倍もある地球で活動するための補助装置としてだ。」

「それがいま開発中のスーツなんですね。」

「なかなかするどいじゃないか。」
 ホークショットはうなずいた。
「いまさら説明するまでもないが月の重力はよわい。月面空港にはじめて着陸したときの感覚を今でもおぼえているだろ? 羽が生えたどころか、羽そのものになったようなあの感覚だ。この低重力のせいで、月で育ったあいつの筋力は、地球の子供と比べて弱くなる。心臓や肺、骨、すべてがおどろくほどもろい。人間の体ってのは不思議なものだ。鍛えなければ衰えてしまうし、まともに成長できない。ルナリアに言わせれば、あたしらは地球という超重力惑星でつねにトレーニングしてたってわけだ。今もしあいつが地球に行ったら、大気圏へ突入した時点で押しつぶされてしまうだろう。けれど、それでもあいつは地球に行くと言った。私は大いに興味をもったね。だってそうだろ? どんなに月が退屈だとしても、ぺちゃんこになりに行けるか?」

「行けるわけない」ということで私と教授の意見は生涯初めて一致した。

「わたしは目の前にいるガキの行末を見てみたいと思ったね。」
 別にぺしゃんこになるのがみたいわけじゃないよ、とホークショットは補足してから続けた。
「危なっかしくて、ほおっておけないんだ。あいつをみていると、死んだ息子を思い出す。」

「あぁ、そんな!」
 月美は声をあげた。
「いつ、亡くなられたんですか? 以前お会いした時はあんなに元気だったのに……」

月美は哀悼の意を示し、お悔やみのことばを加えた。

「私、いままで知りませんでした……」

「そりゃそうだろう。死んだってのは私の妄想だからな。」
 ホークショットはさらりと言った。
「そう思った方が、アルジャーノンに感情移入しやすいだろ?」

月美があっけにとられていると、「一本とられたね!」と粗茶二号が言った。

「それからは話が早かった。」
 ホークショットは何事もなかったかのように話を続けた。
「私は『食べ合わせによっては食中毒を起こす食材のリスト』のかわりに辞職願をコズミック・ボルト経営陣に進呈した。そしてとくに紆余曲折を経ることもなくルナ・エスケープを創設し、今この場所にいる。」

「スーツの開発費はどこから出ているんですか?」

月美はたずねた。
ここに来てからずっと気になっていることだった。

「あいつにはスポンサーがいる。月で一番のパルクール選手だといったろ。コマーシャルにだってしょっちゅう出演している。月面都市をうろついたときに一回くらいあいつの出演作を見なかったか? 宇宙水族館のコマーシャルなんてとくに評判で、だいぶ昔のやつなのにいまだに放映されてるぞ?」

「あ……」
 月美は声を漏らした。
「それ、さっき見たかも……」

あのオーバーオールの少年だ……
あの子がルナリアで、しかもアルジャーノンだったなんて。

「金はそのスポンサーから必死こいてアルジャーノンが集めている。ルナスケープもそのうちのひとつだ。あそこの重役のひとりは、あいつの養父だしな。」

「すごい。まだ十代なのに。」
 月美は感心して言った。

「月は特別な世界なんだ。」
 ホークショットは言った。
「何かを成し遂げないと、あっという間に自分の居場所をなくしてしまう。たとえ月生まれだとしてもな。あんたにもわかるだろう?」

「わかるだろ」と訊かれれば、「わかる」と答えたかった。
でも、それがわかっていたとしても、強くそう思い続けることは難しいし、逃げ出したくなることもある。
たとえ怒鳴られていなくても、月美はホークショットに怒られているような気がした。
だから黙って曖昧にうなずくしかなかった。

「パワードスーツが完成すればアルジャーノンは地球に降りられるんですか?」
 月美はたずねた。

「ムリだな。」
 ホークショットは言った。

「無論だ」くらいの答えを期待していた月美は思わず「え?」とこぼした。
あっけらかんとムリのひと言で、自分が質問をまちがえたのではと疑ったほどだ。

「あいつの野望はまだまだ実現できない。体が徹底的にもろいんだ。月美、あんたは百二十キロの重りを持ちあげることができるか?」

百二十キログラム……
地球なら絶対にムリだ。
でも月ならまったく問題はない。
事実、月面ラボの日課のトレーニングでもそれくらい持ちあげている。

月ではじめて重量上げをしたとき、バーベルやダンベルがあまりに軽くておどろいたものだ。
せいぜい小麦粉の袋を運んでいるくらいにしか思えなかった。

「アルジャーノンは、その重りを持ち上げていたときに怪我したんだ。スクワット中に足を折ってしまい、そのまま月面都市の病院に運ばれ手術を受けた。あんたが月面ラボにやってきた日のことだ。」

「それですれ違いになって会えなかったわけですね。今日までずっと……」

「あいつの足をへし折ったのは百二十キロのバーベルだった。あたしらにとっては、スーパーマーケットで買い出しした食料品くらいの重さだ。でもあいつにとっちゃ百二十キロってのは、文字通りの百二十キロなんだ。」

「だがあと五年もすれば、あいつの体はみちがえるものになるはずだ。」
 ホークショットは続けた。
「その時までにスーツが完成していなければ話にならない。いや、完成させるだけではだめだ。欠点を見つけ、改良し、さらに鍛えあげていかなくちゃならない。アルジャーノンとパワードスーツ、どちらもだ。」

ホークショットは紅茶のマグに手を伸ばした。
けれどとっくに飲み干したのを思い出し、取っ手をつかむ前にひっこめてしまった。
長い付き合いなれど、教授とこれだけ話しこんだのははじめてかもしれない。

「月美、あんたが別の目的を持ってルナ・エスケープに来たのはわかっている。」
 ホークショットは言った。
「責めてるわけじゃない。あたしだって月にきたかったからスポーツメーカに就職したんだ。成し遂げたいことがあって来たわけじゃない。」

ホークショットは、背筋をピンと伸ばして月美の目を見た。

「でも今はちがう。あんたにとっては通過点のひとつでしかない会社だが、ここには目標がある。アルジャーノンを地球に降り立たせるんだ。だから辛くても協力してほしい。あんたの力が必要なんだ。」

ひとしきり言い収めると、ホークショットは椅子をひいて立ちあがった。
マグカップをふたつともつかみ、カフェのサービス・カウンターへと向かった。
月美の反応も待たずに話を終わらせてしまった。

「今日はもう休め。」
 ホークショットは途中でふり返り、座ったままの月美に言った。
「疲れただろう? 私も疲れたし、今日はもう休む。じゃぁな。」

月美は粗茶二号と顔を見合わせた。
世間一般ではありふれた気づかいも、ホークショットが口にするとなると驚天動地だった。
ふたりとも唖然としながら教授の背中を見おくった。


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