{ 48: 一日楽医院(4) }
◇
「なるほど……悪夢の話といい、血の話といい、君には秘密があるようだ。シュオではない人間の君に、特別な秘密が……」
塔に連れて来られた経緯、それとカンパニータワーでユウナ博士から聞いた話を春樹が伝え終えると、ヒトヒラ先生は背もたれに体をあずけ、天井を仰ぎ見て息を吐いた。それから椅子に深く座り直した。
「教えてください、先生」
春樹は言った。
「そもそも、シュオとはいったい何なんですか?」
「ふむ、難しい質問だが、私ならこう答える。シュオとは私たちのことだ」
「答えになっていないです」
春樹は言った。
「あなた達はいったい何者なんですか、って訊いているんです」
「逆に聞くが、人間とはいったい何者なんだろうか。人間を知らない者に、君ならどう説明する?」
「え? それは……その……」
「答えてくれたまえ」
「人間は……人間です。僕たちのことです」
「そのとおりだろうね」
先生はにっこり微笑んだ。
「人間とはシュオではない別のなにか、シュオとは人間ではない別のなにかだ。私たちはシュオで、君たちは人間だ。私たちの目は真っ赤で、君たちはそうじゃない。いまは、その答えで十分だろう?」
「どうして、シュオはみなこの塔で暮らしているのですか? この黒い塔はいったい何なんでしょうか?」
「歴史的経緯だけを説明するならば、シュオが人間との戦いにやぶれ、この塔で暮らすことを余儀なくされているからだ。ただ、建築のお化けのような黒い塔が、どうしてこの世に存在するのかは、私も知らない。いったい誰が、いつ、何の目的で建てたのか、誰も知らないんだ」
「ロウもそう言っていました」
春樹は言った。
「でも、本当にだれも知らないのでしょうか?」
「さぁ、どうだろうか……」
ヒトヒラ先生は首をふった。
「そうだな……もし知っている者がいるとすれば、『塔の主』がそうなのかもしれない」
「ニショウが、『あるじさま』と、誰かのことを呼んでいたのを聞いたことがあります。いったい何者なのでしょうか?」
「黒い塔の支配者だよ」
先生は言った。
「この塔の最上階に君臨し、人間たちに戦いを挑む指導者でもある。ケモノの戦士たちでさえ、主の命令を受けて働く兵士でしかないんだ……私が知っているのは、そこまでだ。実際に会ったことはないし、その正体を知る者も少ない。性別すら不詳で、塔の住民たちの間では、半ば伝説と化している存在なんだよ」
塔の主……塔の主……春樹は、その言葉を頭の中で反復させていた。塔の主の正体をいま知るすべはなく、会うことだって一生ないのだろう。でも、春樹の頭の中にはなにか予感めいたものがあった。黒い塔に来てから、一度だけ見た夢のことを春樹は思い出していた。その夢の中では、白い装束を来た赤い目の女が、死にかけの春樹に対してこう言った。
ここに塔を建てろ、と。できるだけ高く、雲さえもこするほどに……限界を超えても、なおその上を目指せ、と。
夢の中で殺された春樹の分身は、塔の主、もしくは塔の誕生の秘密となにか関係があるのかもしれない。根拠はないのだけど、どうしてかそう思うのだ。春樹は、このことを先生に話すべきか迷ったが、結局やめることにした。こればかりは、秘密にしておいたほうがいいような気がした。
「先生は、あの夢が、ケモノ化する前兆だと言っていました」
春樹は続けた。
「ロウは、ケモノの戦士になってしまうのでしょうか?」
「そうだ」
「どうなるんですか?」
「まずは外見的な変化があらわれる。髪が血のような赤色になるんだよ。それから数週間かけて、肉体が成長していくんだ。体つきが動物のように大きくなり、肌が鉄以上に頑強になれば、不死身の戦士の完成だ。不死身とは文字通りの意味で、とある条件下の攻撃を除いて、彼らの体を傷つけることは不可能となる。変化というよりもはや変身と呼ぶべき類のものがだ、肉体の変化は本質的なことじゃない。特筆すべきは、思想から考え方から、何から何まで、別のものに置き換わる点だ」
「なんとなく、わかります」
春樹は言った。
「人間を……憎むようになるんですね?」
「そう……彼らの根底にあるのは人間に対する憎しみだ。その活動目的はすべからく人間との戦いとなる。塔の主こそ絶対の指導者とみなし、戦士として活動するようになるということだ。それまでの記憶を失うわけじゃない。なのに、さながら別の生き物にでもなったかのようで、事実、シュオの多くは、ケモノの戦士を自分たちと同族だとみなしていない。春樹君、これはとてもいいにくいことなのだが……君は……」
「僕は、ロウに殺されるんですね?」
口ごもった先生の言葉を継いで春樹は言った。
「ロウは抵抗するだろう。しかし塔の主の意思は戦士にとって絶対なんだ。正直なところ、どうなるか分からない。春樹君、君はロウのもとから離れるべきだ」
「でも、あの状態のロウをほってはいけない」
「ロウなら、いつもどおり生活できるよ」
先生は言った。
「とはいえ、君が心配するのも当然だ。だから、私からひとつ提案があるんだ……しばらくの間、仕事を休んで、ロウをミドに預けるというのはどうだろうか?」
「ミド?」
「ロウの母親だよ」
「ロウにお母さんが? ロウは、孤児だって……」
「血縁というわけじゃない。ミドは、かつて孤児を引き取って育てていた女性で、いわばロウの育ての親だ。老齢の彼女はいま、ひとつ下の二十一階の街でひとり暮らしをしている。彼女ならロウの世話をしてくれるだろう」
「帰って、ロウと相談してみます」
春樹がそう言うと、ヒトヒラ先生は笑ってうなずいた。
「それがいい」
それから先生は、うしろの棚に目をやった。たぶんロウの薬が置いてあるのだろう。話を切り上げる前に、先生にもうひとつだけ聞いておかなければならないことがあった。
「イサミという探窟屋を知っていますか?」
先生は、ふいに警戒した目つきになって、僕を見た。塔で暮らしている限り、人間とのつながりを他の者に知られるのはまずいのだろう。事実、ロウだって春樹のことをご近所さんに紹介することは絶対になかった。ただ今回に限っては、春樹自身が人間なので、二人の関係を知られたところで問題はないはずだ。先生もそう結論づけたようだ。
「古くからの知り合いだ……彼がどうかしたのかな?」
「塔に連れ去られたとき、イサミさんが助けてくれたんです。それから、『ヒトヒラ先生を訪ねろ』と僕に助言してくれました。だけど僕たちはすぐに離れ離れになって……」
「おそらくだが……君を私の庇護のもとに置いて、あとで自分で迎えにくるつもりだったのかもしれない。確かに探窟屋の彼なら、君を塔の外に連れ出せる。ただ、彼は目下ケモノの戦士たちに追われている身だ。残念だけど、君の助けとなることはないだろうね」
「先生とイサミさんは、どのような関係ですか?」
春樹は尋ねた。
「ちょうど、君とロウの関係に近いだろうな」
ヒトヒラ先生は答えた。
「私は、彼を救ったことがあり、腫れぼったい言い方を許してもらえるなら命の恩人だ。彼は、今でもそのことに恩義を感じてくれているようだが……そうだな、私は彼のことを友人だと思っている」
「人間とシュオにも友情は生まれますか?」
「私はそう信じている」
ヒトヒラ先生は、棚から薬を取ると、春樹に手渡した。そして、夜寝る前と、うなされて目が冷めた時にロウに飲ませるよう説明をした。
「ありがとうございました」
去り際に春樹は言った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?