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月面ラジオ {67: 最終決戦 }

あらすじ:強奪された木土往還宇宙船で、月美は彦丸と再会した。強奪犯のユエをとめるため、ふたりで船の操舵室に乗り込もうとしている。

{ 第1章, 前回: 第66章 }

ハザードランプの赤い光が操舵室を錯綜し、警報ブザーがキれた赤ん坊のように鳴っていた。なにが起こったのかわからず、ユエはその場で固まった。

「火災警報です。」

というハルルのひと言で頭が真っ白になった。火事になるだなんて想像もしていなかった。もし火の手を止められなかったら、私はどうなるのだろう? 

「ば、場所は?」

「左舷側の大広間です!」
 頭上にいるヨハン航宙士が答えた。

あの女のいる場所だ! と、ユエは声を上げそうになった。まさかとは思うけど、あいつが船に火をつけたのか? 

「人はいるの?」

「だれもいません。大広間は無人です。」

やっぱりあいつの仕業だ。火をつけて逃げたってわけね。

「なら消火が最優先よ。火災時の通常オペレーション通りにいく。部屋の密閉を確認した後、酸素を排出して。」

「了解!」

「ハルル、警報がうるさいわ。いますぐ止めて。」

「承知しました。」

まもなく警報が止んで、元の静かな部屋になった。クルー全員がディスプレイに目を戻し、自分たちの仕事をつづけた。ユエは、消火の経過報告に耳を傾けながらも、一方で火災のワケを考えていた。

ルナスケープに限らず宇宙企業というのは、他の惑星へ行くこと以上に、船を燃やさないことに命をかけている。火器の持ちこみ禁止は当然として、換気用のパイプから靴下にいたるまで、持ち込むものはすべて耐火性能を備えなければならない。消火設備だって毎日点検をしている。安全こそが、宇宙開発の最優先命題なのだ。だから宇宙船が事故で発火するだなんてゼロに等しいし、仮に火をつけようと思ったところで、そう簡単にできないのが現実だ。

それでもこの操舵室が、ハザードランプで真っ赤に染め上がったのは確かだ。あの女、度胸と行動力が思ったよりもあるようだ。気絶させたらさっさと月まで送り返せばよかった。減圧症を回復させるための予圧は、大広間でなくても、三○七型機の気密室でできたのだから。

火を点けた理由は、なんとなくわかるけど、もしそれが本当なら恐れ入る。まさか自分が黒焦げになるかもしれない方法で、中庭への扉をこじ開けるだなんて。

「消火が完了しました。」
 ヨハン航宙士が報告した。
「火の手はもうありませんが、安全が確認されるまで広間から酸素を排出します。」

「他の場所に燃え移っていないか監視を続けて。」
 ユエは胸をなでおろした。
「こっちはなんとかなったようね。ハルル、あの女の居場所を特定して。」

「中庭です。」
 ハルルが答えた。
「監視映像に映っていました。」

「やっぱりね。」

「中庭にはふたり人がいます。」

「は?」
 ノドの奥から自分のものとは思えないすっ頓狂な声が出てきた。
「ふ、ふ、ふたり? まだ人が残っていたの?」

「はい。」

「映像うつして! いますぐ!」

ユエの視界から操舵室がまるごと消えた。気がつけば、ユエはずぶ濡れの遊歩道に立っていた。

「水?」
 おどろいて顔を上げた。
 シャワーのように水が押し寄せたので、ユエは思わず退いた。
「こ、これが雨ってやつね。初めて見た。」

そういえば、無重力降雨装置の開発を中庭でやっているとロニーが言っていた。

「もうここまでできているんだ……」

宇宙では、火と同様に水は災害の元だけど、この技術が実用化すればその見方も変わるだろう。ユエは無重力降雨の開発に期待を寄せていたけど(なにしろ宇宙船でシャワーが浴びられるようになるのだ)、今はそれどころじゃなかった。

木の根元に人影がふたつ。ふたり並んで立っていた。ひとりは西大寺月美、もうひとりは……

「彦丸! なんで?」

女はともかく、彦丸は下船したはずだ。ユエ自身の目で彦丸が帰っているところを見たのだからまちがいない。

「月から戻ってきたってこと?」

三○七型機の通信装置を使って、あの女が助けを求めたのだろう。となると、アルジャーノンやホークショットもこの近くまで来ているはずだ。ポート・デッキに他の船が着船した記録はなかった。船長の私が許可していないのだから、そもそもデッキの入り口が開くはずもない。なら彦丸はどうやってここに乗りこんだのだろう? 

「船外活動のハッチだ。あそから入ったんだ。」

船から船へと飛び移るだなんて、考えただけで身の毛がよだつ。宇宙遊泳の苦手な彦丸が、よく生きてたどり着けたものだ。そうまでして、私を連れ戻しにきたのだろうか? もしそうなら、素直にうれしい。それとも、この船を取り戻しにきただけだろうか? もしそうなら、ますますこの船を処分してやろうという気になる。

「どっちにしても、もう終わりってわけね。」

彦丸を木星に行かせないための計画だったのだ。このまま木星に行くことはできない。

「なかなかうまくいかないものね。さっさとエンジンをとめなくちゃ。」

「なぜですか?」
 ハルルが言った。

「なぜって……彦丸が乗ってるんだから。もう私ひとりで出発ってわけにもいかないの。」

「まだユエの目的が叶わないわけじゃありませんよ?」

「ハルル、あなた何を言って……あっ……」

ユエはハッとなった。たしかにハルルの言う通りかもしれない。これは千載一遇のチャンスではないだろうか? このまま出発してしまえば、なんと、家族いっしょに外惑星に行くことができるのだ。アルもこの近くまで来ているはずだから、あいつもこの船に乗せてあげればいい。それなら、私と彦丸の対立する理由がなくなるじゃない。

「いい考えね!」
 ユエは、自分のアイデアに飛び上がりそうなほどおどろいた。
「やってみる価値はある。それにしても……」

ユエはふたりに視線を戻した。彦丸と例の女が、木のそばでまだ雨をやりすごしていた。なにも喋っていないのに、ふたりとも笑っている。少なくとも女の方は、この再会をこれでもかというくらい噛みしめている。やっぱり友だちだったんだ。もしかしたら恋人だったのかも。

新しい計画へ移るにしたって、まずは女を追いだす必要がある。でも、わざわざここに乗り込もうとするくらいなのだから、説得するのは難しいだろう。

「いったいどうすれば……」

ユエが悩んでいると、ふいに声が聞こえた。よく知っている声だった。

「ユエ、のぞき見は良くないよ。」

ユエがふりむくと、すぐそばにアルジャーノンが立っていた。パーティーの格好のままで(それを言うならユエもドレスのままだけど)、彼はパワードスーツを着ていた。ユエの仮想空間から中庭の遊歩道と植物園とが消え、もとの操舵室に戻った。暗い操舵室の中、ユエはアルジャーノンと向き合った。

「私は船長なの。船の監視映像をチェックするのも仕事のうちよ。」

「おどろかないんだね。」
 アルジャーノンは言った。
「びっくりさせたいから、こっそり近づいたのに。」

「彦丸が来たんだから、あなたがこの船に乗っていたって不思議じゃない。念のため訊いておくけど、いったい何しに来たの?」

「忘れ物を取りに来たんだ。」
 と、アルジャーノンは答えた。

「意外ね。」
 ユエは言った。
「てっきり私を止めに来たんだと思った。」

「そのつもりだったんだけど……」
 アルジャーノンは、操舵室を見渡して言った。
「ジャマをするのもなんだか悪いしね。」

木土往還宇宙船のクルーたちはユエの仮想空間内で船を操縦しているので、彼らの姿はアルジャーノンに見えないはずだ。でもアルジャーノンは、運転席の前で座っているクルーたちが見えているかのようにフンフンとうなずいて納得していた。

「私、これから外惑星に行くつもりなの。」

「うん、応援するよ。彦丸を連れていけばいい。」

「ほんとに?」
 思わぬ支持者を得てユエは安堵の声をもらした。
「ほんとにそう思う?」

「思う。」
 アルジャーノンはうなずいた。
「いいことではないんだろうけどね。でも、世界中がユエを非難しても、僕は君をほこりに思う。」

「あなたはいつもさっぱりしているのね。」

「僕が楽天的で寛容なのは、ユエがそばにいたからさ。君はいつも正しいか間違っているかの両極端だ。なのに自分のやることが正しいと信じきっている。はっきりいって迷惑だけど、そういう君がうらやましくもあった。だから、ユエにはがんばって外惑星に行ってほしい。」

「ありがとう。」
 ユエは言った。
「でも、あなたも一緒に来てほしいわ。」

「それはできないよ。僕は地球に行くって決めてるから。」
 アルジャーノンは言った。
「月美は僕が連れて帰るよ。パワードスーツも返してもらわなきゃいけないしね。」

「寂しくなるわ。」

「顔を突き合わせることだけがすべてじゃない。」

「すべてではないけど大切なことよ。」
 ユエは言った。
「でも、私たちは慣れあってきたわけじゃない。会えなくても寂しく思うことは少ないかも。」

「ユエ……」

アルが腕を拡げた。ユエは歩み寄って、抱きしめた。パワードスーツはごつくてひどい抱き心地だった。

「地球に行けるといいわね。」

「行くさ。ぜったいに。」


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