井上さんの干支

誰かのために

私の父親は遠洋漁業の船会社を経営しており、会社は北上川河口の川岸にあった。河口に魚市場があった名残で船会社や船具店、造船所、無線や燃料の会社など船や漁業に関する会社、船員が陸に上がった時に向かう床屋や銭湯や飲み屋など、昔は街の中央であり「本町」という名前でにぎわっていた。

うちのお隣は海産物屋さん。私たち一家も私が進学して上京する前まで会社の建物の上に住んでいたので、海産物屋さんには子供の頃から大変お世話になった。学校で絵を描いたら見せに行き、親に怒られて泣いていると慰められたり。大人になり私がガラスを作り始めたと知ると作品を買い求めたりもしてくれた。今よりもご近所さんが近い存在だった。

そしてあの震災---

私たちの地区は川岸でダイレクトに被害を受けた場所だった。父の会社の場所も堤防用地となり元の地で再建は不可能。ご近所さんも皆それぞれの場所で再建をスタートすることになった。

震災後はもう、がむしゃらに日々目の前にあることを一心にこなすので精一杯。やっと落ち着いて来た頃もとのご近所さんに自分で作ったガラスの干支を持って行った。その頃は、ガラスを作っている時は震災のことを考えずにすむ。ガラスが作れていることだけでありがたい。そんな心情だった。

訪ねて行って渡したところ喜んで頂き、何日か後に写真の絵が届いた。うれしくてうれしくて干支を毎年作って届けよう、と思った。自分の無心のために作っていたガラス干支だけれども、おじいさんに喜んでもらいたい、とベクトルが変わった瞬間でもあった。




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