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「早期に何者かになろうとすること」は幸福に繋がるのだろうか?(2/3)

前回のインタビューでは『「早期に何者かになろうとする」風潮に対する認識』についてお話を聞いてきました。今回は『「早期に何者かになろうとする」風潮はなぜ生まれたのか』について詳しく聞いていきます。

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2.「早期に何者かになろうとする」風潮はなぜ生まれたのか

2-1. 「早期に何者かになろうとする」風潮の背景

岡山:昨今は不確実で将来が見渡せない時代と言われており、将来への不安感から、早期に何者かにならねばならないと感じている人もいるのではないでしょうか。「早期に何者かになろうとする」風潮が生まれた理由をどのようにお考えでしょうか
 
竹内:もちろん様々な要因があると思いますが、まず思い出せる印象的なきっかけの一つとしては、2011年の東日本大震災がありますね。企業様でたくさんの方々と関わっていますと、震災をきっかけに世の中の雰囲気が変わったように感じました。

例えば、自分にとって本当に大切なことは何だろう?とか、自分の人生はどうあれば良いのだろう?など、そういった方向の悩み方をされる人が増えたという実感があります。

また、まったく別視点になりますが、最近の若い方々のもともとの資質として、感受性の豊かな人が増えているように思います。

もし、今の若い人達が、今からタイムマシーンで30~40年前に戻って、昭和の時代の若い人達と話すと、感受性の部分で、随分とギャップを感じるのではないでしょうか。

今の人の方が繊細と言えば繊細ですが、私はその敏感さは健康的で良いことだと思っています。しかしその分、社会に対する怖さや不安も感じてしまいやすいでしょう。さらに、ご自身の望みや願いもあるため、両者のギャップを感じて、敏感に悩んでしまう人も多いように思います。

また、情報量も圧倒的に変わりましたね。インターネットのない昭和の時代では、多くの人は自分の近辺の狭い世界で生きており、情報源は新聞、ラジオ、テレビくらいでした。

平成や令和では、得られる情報量が格段に多いので、他者との比較する機会がどうしても多くなり、物差しが相対評価になってしまうのが昨今の傾向かと思います。

他人の人生をよく見ることができるようになったのは良いことかも知れませんが、比べ過ぎている気はします。

いずれにしましても、感受性の豊かな人達に対して現在の情報量の多さですからね。「自分は何者になれば良いのか?」という問いを持つのは自然なことだと思います。 

ITSUDATSU社顧問•アドバイザー 竹内直人氏

2-2. 「早期に何者かになろうとする」風潮が人々に及ぼした影響

岡山:昭和と令和で感と感の違いがあり、令和では感受性が豊かであるが故に、将来への不安も感じ取りやすいというのは重要な視点ですね。情報量が増え、視点が増えたことで、人の気持ちを考えるようになったことは喜ばしいですが、一方で相対評価に囚われ過ぎて自分を見失うのも、現代らしい悩みだなと思います。「早期に何者かになろうとする」風潮は人々の行動にどのような変化を与えたと思いますか
 
黒澤:様々な情報をただ鵜呑みにするようになったのが1番大きいと思います。思考停止状態になり、情報に反応されてしまうようになったかと思います。

反応するものはやはり表面的な感情が多いので、例えば焦りや不安から皆が選ぶから自分も同じ選択をする方が多く見受けられます。

例えば、新卒就活では外資系コンサルティング業界が人気ですが、大前研一氏や南場智子氏が活躍されていた頃は、コンサルティング業界はいかがわしく、冒険家の学生が就職する業界でした。

しかし、昨今では学生の就職先人気ランキングの上位を外資コンサルティング業界が占め、その人気がさらに学生が同業界に流される動きに拍車をかけているように感じます。
 
あとは、「待てなくなった」というのも大きな変化なのではないかと思います。今は良くも悪くも何でもスマホ一台ですぐに手に入る時代なので、我慢強さ・辛抱強さは弱まったのではないかと思います。

それと同時に、今の40代・50代の人材とZ世代の若手人材を比較すると、時間軸の価値観の違いも大きな差が出ているとも感じます。

例えば、40代以上はキャリアを考える時には10年という時間軸で考えるのに対して、Z世代は2,3年という時間軸で考えます。

リクルートワークス研究所の調査によると、新卒世代に「いつまでこの会社にいますか?」と問うと半数近くは「3年未満」と答えるとリリースされていましたが、まさにこういったところでも変化が起きているかと思います。

ITSUDATSU社代表取締役 黒澤伶氏

竹内:私が20代だった3〜40年前に比べて、今の時代は自分が流されるきっかけがとても多くなったように感じます。

また、自分を振り返る機会が増えています。しかし、自分を適切に振り返ることができるかと言えば、それは結構難しいことですね。

結局、自分という人間がよく分からず、答えを求めて、インターネットで検索したり、本を読んだりして、情報を入れるのだと思います。

しかしそこではあまりに情報量が多く、もしくは、中には安直で浅薄な情報も入り乱れていますので、余計に混乱してしまいます。

昔は正直、ここまで考えている人は少なかったようにも思います。考えるにしても、今ほどの情報量はないので、自分でじっくり悩み続けた印象ですね。もちろん人に相談することもありますが、視界は狭いですね、今に比べて。

今の人達は、視界は広いかも知れませんが、その分、より混乱し、情報に呑まれ、流されてしまっている印象ですね。じっくり悩んで考える前に流されてしまうイメージです。
 
岡山:お話を伺いながら、昭和も令和も情報があるかないかの違いだけで、実はどちらの時代も自分という人間の本質をしっかり突き詰められている人は案外少ないのではないか、と思いました。他方で、昨今の40~50代の方々は、いかがでしょうか?もちろん私にはまだよくわからないのですが、それくらいの年齢になってから人生の軌道修正をしようと思っても、なかなか踏ん切りをつけるのが難しいのではないかとも思うのですが。
 
竹内:私には50代以上のクライアントさんも多いのですが、二極化している印象です。50代以上になってもさらに自分を成長させたり変革させたりする人はいます。

しかし、逆に今さら頑張っても意味がないと諦めている人も結構多いです。しかし、人生100年時代と言われる現代では、50代の人でも残り50年あると考えると、まだ諦めるのは早いとも考えられます。

50代になっても定年後の人生をまったく考えていない人も結構な割合でいます。例えば、大企業でかなりの活躍をした人でも、ビジネスでは力があるのに、人生という視点に立つと全く自分の未来が見えない、と不安がる人もいるのです。

一方で、先程も申し上げた通り、50代以上でも若い人達に負けないくらいに成長意欲・挑戦意欲の高い人はいます。その違いは何だろう?とよく考えますが、現時点での私の結論としては、「内側からの矢印で生きてきたか?外側からの矢印で生きてきたか?」の違いかなと思っています。

「内側からの矢印」というのはつまり、自分自身の本当の意志に基づいて生きるということです。「外側からの矢印」とは、外部環境から与えられたものにただ反応して生きるということです。

「外側からの矢印」で生きる人は、どれだけ経験を積んでも「自分の意志で自分の人生を創り出す」という部分が育ちません。

今の若い方は人生を真剣に考えるきっかけがたくさんあるからこそ、「内側からの矢印」を育ててほしいですね。

つまり、外側にある安直な攻略本に答えを求めるのではなく、真剣に自分と向き合い、自分の意志を丁寧に確かめながら進んでほしいですね。

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黒澤:攻略本と言えば、高校生の頃にセンター試験の攻略本を購入したことがあります(笑)。

例えば、国語なら設問の書き方によって2択までは絞れますよ(設問の書き方によって残りの2択はあり得ないと判断)という類の本です。ところが、本番では痛い目にあって、成績が伸びませんでした(笑)。

浪人時代で予備校の伝説と呼ばれた古典的な参考書との出会いがあり、様々な角度から考察して勉強し、本質的な思考力が身に付いたと感じました。

まさに、「リベラルアーツ」としての教養の面白さに触れた瞬間でした。

この瞬間しか役に立たない、その場をやり過ごすようなテクニックではなく、真本音に基づいて本質的な行動を考える人が増えて欲しいと思います。

若手社員が人生について真剣に考えるようになったのは良いことですが、現代病のせいなのか本質の追及度合いは弱いというも特徴です。周囲に流されず、本質を追及することが求められています。
 
岡山:いかに自分の人生を真剣に考えるかが重要ですが、答えのない問に挑み続ける意志の強さも必要だなと感じました。
 
竹内:私は若い頃は会社の上司や幹部などに時間を取ってもらって人生体験談を聴いて回っていました。そういえばその頃から、50代以上の人は二極化しているんだな、と感じていたかな(笑)。

大変失礼ながら、この人はあんまり真剣じゃないなと失望してしまったこともありました。でも、失望するという経験も重要で、そのおかげで、安易に意思決定するということもなくなりました。

それこそ、昨今では、若い世代は40~50代に失望しているように感じます。かつては、上の世代はベールに包まれていて、それなりに尊敬の対象だったように思うのですが、今では「外側からの矢印」で生きている人については、考えの浅さみたいなものが露呈されてしまって、尊敬されていないと感じます。

クライアントさんの企業でも上司に相談することなく辞めていく若者を目の当たりにしてきました。

でも、本当は若い人達には、もっと上の世代の人達と1対1で向かい合ってほしいのです。たとえ、失望があったとしても、人と向き合いながら自分の意志を確かめるというのは、とても重要なことです。

インターネットで検索する前に、人と1対1で向き合ってほしいですね。その方が自分自身の真本音は見つかりやすいと思います。


次回の第3話は、『「早期に何者かになろうとする」風潮に対する課題感』と『「早期に何者かになろうとする」風潮に対して、本来あるべき姿』について詳しく説明します。

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