見出し画像

【3-0822】ママと言わなくなった日

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

母親に対する呼称というのは、「ママ」「お母さん」「母ちゃん」「おかん」など様々だが、何となく喃語からの流れで、最初期には「ママ」と呼ぶ人が多いのかなと思う。(もちろん、両親の方針として違う呼び方を決めて、最初からその呼び方を耳から慣らしていって習得する人もいるだろう。)でも、みんないつから「ママ」と呼ばなくなるのだろう。

保育園に勤めていると、子供とその子の母親について話すことはよくある。子供が母親の話をしたがるからだ。そういう時は私も「それでママはなんて言ったの?」とか「今日頑張ったよってママに言おうね!」とか、受け答えをする。だんだんと学年が上がっていくと、いつのまにか子供が「ママ」ではなく「お母さん」や「母ちゃん」と言っているのに気づく。そうなれば(子供が「ママ」と呼ばなくなれば)私も「お母さん」呼びをすることにしている。普段乳児クラスにいるので、勢いで「ママ」と言ってしまう時もあるけれど。

みんな何をきっかけに「ママ」を卒業するのだろうか。この疑問に、私は一つ明確な答えを持っている。それは「私の場合……」のきっかけについてだ。

私の「ママ」をやめるきっかけは、端的に言うとイキりだった。

「私もうお姉ちゃんだから、ママって言うのやめる」

ある日、私はそう高らかに宣言した。あっけにとられた母の顔を覚えている。多分、幼稚園の頃か、幼稚園に入る少し前だと思う。

別に妹が出来たとか、年長さんになったとか、そんな出来事もタイミングもなく、ある日突然、稲妻に打たれたかのように、“そう”思い、実行した。自分をお姉さんだと思いたかったのだと思う。一家の中で一番小さい私は、少しでも早く大人の仲間入りをしたいと思っていたし、仲間入り出来るとも思っていた。イキっていたのだ。

後から聞くと、この時、母はとても寂しかったようだ。それ以来ずっと、母のことは「お母さん」と呼んでいる。もう少しママと呼んでほしかったと言っていた。

言葉が人格を作る。私はイキって早々に“お姉ちゃん”になってしまった。

今思うと私も、もう少し長い間ママと呼んでおけばよかったかなと思う。そうしたら、もう少し、わがままの言い方や甘え方がわかったかもしれない。





いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴