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【4-0125】是認を求める人生

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

おはようございます、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

まだ固まり切っていない思考の整理を。

ふと思い浮かんだ。私の人生のテーマは「是認」なのかもしれない、と。

初めから「人生のテーマは…」と思ったわけではなく、そもそもはこのnoteや朗読Barのような私個人の表現活動についての考えだった。時々、noteの内容や朗読の文章、つまり私が書いたものに対して、「共感しました」「わかる気がしました」「もしかしたら、あるかもしれないと思いました」と言っていただく。それが私はとてもとても嬉しい。

それはなぜなのか、というのを問うたときに、私が創作や表現をする側として求めているのは、何かを強く訴えることや影響を与えて観た人を変えることではなく、「こういう人もいる」と思ってもらうことだからかもしれない、と思い至った。よく考えると、自分で書くとき以外、つまり役者として演じ手である場合も、結局は自分を使って作品中に登場する人物に声や肉体を与えて、人として成立させることに喜びを感じている。「書かれたこの人も存在し得るということを証明したい」みたいな欲求があるように思う。

そして、気付いたのだけれど、結局保育の現場で私が大切にするのも、子どもの訴えや行いを一旦そのまま受け止めるということだ。これから成長したり、変化したりしていくこともあるだろうけれど、今一旦この子のはこういう状態だということになるべく肯定的に反応する。どうしても集団保育なのですべてに応えられるわけではなく「なるべく」という前置きになるけれども。これはどこかでそうすべきと習ったというよりは、小さい頃の私がこうしてほしかった(ような気がする)という記憶から、私がそうしたいと思っていることだ。

言葉でいうと、「是認」になるのかなと思う。「それでよいと認める。そうであると認める。」という意味。許すとか判断するとか同意するとかそういう要素は二の次でよくて、まずは「そうであると認める」。それを欲している。

これは、小さい頃、一人でいることが多かったからかもしれないと思う。まず、11歳まで育った昔の実家が、田舎の昔ながらの大きな家で、視界に入っていなければ、家族がみんなどこで何をしているのかわからない、のが普通だった。両親は昼間は家にいなかったし、祖母は納戸にこもっているか、庭先の畑に出ていた。過疎地域で近隣に子どもは少なく、私は伽藍堂みたいな家の中で一人で本を読んだり、絵を描いたり、テレビでアニメを見たりすることで一日を過ごすことが本当に多かった。

その頃は何とも思わなかった。それが普通だったから。誰からも見られていないという状況は私の心を自由にした。歌を歌ったり、一人でごっこ遊びをするのにも恥ずかしくなくて、ちょうど良かった。

でも、多分、私は寂しかったのだと思う。見られていないことの実感は少しずつ積もっていった。確か、10歳くらいの時に、一度だけ、何とも言えない気持ちになって、台所に立つお母さんに抱きしめてほしいとお願いして抱きしめてもらった。母はもちろん抱きしめてくれた。でも、きっと私の気持ちまではわからなかったんじゃないだろうか。その頃の私は、両親の目には大いに人生を謳歌しているように見えていただろうし、実際私もそう思っていた。感情の発露というのは本人の自覚とは離れた場所で起こる。

私が、今「是認」に心を引かれるのは、こういう記憶が原因なんじゃないかと思う。私は私一人分の人生を生きているから、きっとあと二、三十年したら、これも変わるのかもしれない。私の人生の文脈が変わるのを楽しみに生きている。


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴