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【3-0803】昨晩の朗読Bar

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

改めて、昨日無事に私の八月の朗読Barが終わった。

出演メンバーは私の他に、

是常祐美(シバイシマイ)
佐々木ヤス子(サファリ・P)
二朗松田(カヨコの大発明)
西原希蓉美
水木たね(りゃんめんにゅーろん)

という豪華版だった。豪華かつ、何となく見知った方々というメンツ。見知っているから、その素敵さがわかるという。最初に出演者を知らされたとき、「oh…」と英語圏の人みたいな声が出た。

共演者の豪華さに加えて、昨日はかねてより書きたかった西行法師の人造りの話を初めて人前に出すと決めた回だったので、正直なところ不安が勝っていたのだけれど、その上トップバッターになってしまい、開演前は共演者に苦笑されるほどナーバスになっていた。控えで皆さんが、それでも微笑んでくださったのがありがたかった。まあ、おかげで後の皆さんの朗読をすべて安らかな心で聞くことが出来たのは、トップバッターであったことの恩恵だったのだけれど、本当にガチガチに緊張した。

五人の共演者の皆さんの朗読はどれも素晴らしかった。朗読Barの出番というのは、やっぱりその読み手のパーソナリティがそのまま出し物になるというのを、改めて思う。何かを読む、あるいは語る、歌う。その内容だけでなく、その行為を通してその人そのものの魅力が物を言う感じがする。恐ろしい舞台だ。五人の共演者の方々は本当に五者五様、味わい深くて、惚れ惚れするね。
(ああ、別件だけれど、是常さんにNetflix最高でしたって伝えそびれた)

今回の私の出番は、撰集抄の西行の人造りのエピソードについて、私なりの解釈というか、ifの世界みたいなものを書いたものを読んだ。西行法師が作って捨てた人造人間がずっとずっと生きていて、言葉を覚えて、手紙を書いたという設定。物でさえ長く使っていると付喪神になるという。人として作られたものなら尚更、魂が宿ることもあるだろう。というか、本当に最初から魂(心)がなかったなんてことがあるだろうか、とそんなことをグルグルと考えた末のお話だった。

終演後の宴で、お客様からこの解釈に共感してもらえたり、作品の構成について褒めていただいたりして、すごく嬉しかった。やっぱり自分で書いたものは、どんなに添削しても、意味不明になっていないか、相手に伝わるものがあるのか、心配になる。(実際今回の話は、実は前日の深夜に構成を変えたり、思い切って省いた部分がもあるし、「てにをは」なんかは開演直前まで直していた。)結局、いろんなところが荒削りな状態ではあったけれど、「よかったよ」と言っていただけて、「こんなに幸せなことが平日の夜にあるなんて……!」と思った。

書いてみて、私は例えば演劇とか、そういう物語を軸にした作品について、この世界にある「言えなかった言葉」をすくいあげるようなものが好きだし、そういうものであってほしいと思っているのだということを改めて思った。「言葉が話せなかった人造人間からの手紙」というのはそれをかなり直接的に書いてしまっているのだけれど。根本的に、そういうものに目を向けたいと思っているのだなと、自分の思考がまた一つ整理された。

自分で書いたものを演るということは朗読Barでしかやっていないので、私にとって朗読Barは大切な創作の場となっている。お客様に「次も楽しみにしてる」と言ってもらえたので、また何か書きたいし、同時に今回の本も前回の本も、朗読をもっとブラッシュアップして自分の作品群として持っていたいなと思っている。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴