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【3-0816】酒の泡に溶ける

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。

関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

誰も読んでないつもりで書くけれども。

自分のことを、世界で、とは言わないまでも、この周囲一辺で最低だと思うようなことは実はよくある。最悪ではなく、最低ね。この二つには大きな違いがあるけれども、実際最悪よりも最低のほうが最悪な時もある。

そういう気持ちは沼のようなもので、一度はまると抜け出るのは難しい。難しいだけで、抜け出れないわけではないけれども……いやいや、これは誰も読んでいないはず。ならば、言おう。抜け出る方法がわからないパターンは往々にしてある。

こういうことは、恋人とか友人とか、ましてや家族とかそういう「存在」みたいなもので解決できることではない。そういう存在は在るだけで意味が出てくるもので、そこに効果を期待するのは間違っていると思う。

で、そんな状態に対症療法としていいなと今日思ったのは、お酒と表現の組み合わせだ。お酒、私の場合はビールを飲みながら、他人の表現に浸る。そうすると、お酒の力、それからテキストの力、そして演者の力を丸腰の状態で受ける。今のこの時間、この瞬間に至るまでの過去の時間、もし自分が演るならばという来もしない未来の時間。そんないくつもの時間を右往左往する。そうすると、今までの自分の時間軸がぶれて、若干息がしやすくなるような気がする。右往左往しながら、ビールの泡に今までの凝り固まった私が溶けていく。本当に対症療法だが、気が楽になれば、頭ももう少し働くだろう。

以上は酔っ払いの戯言だ。誰も読んでいないだろう。

でも、今日の朗読Barは素晴らしく私を癒してくれた。それは紛れもない真実。山田さんの朗読で泣いてしまった私だった。他にも、読んでみたいなあと思う本との出会いを与えてもらえたり、即興の底知れない力強さ、世界を楽しむ力を感じた。



いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴