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【3-0114】いるかHotelのお手伝い

【このnoteを開いてくださった貴方へ】


こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。


このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

遊気舎の先輩に谷省吾という人がいる。その谷省吾さんが主宰しているのが、いるかHotelという劇団だ。

昨年には私も客演として呼んでいただいて、お世話になった。そのいるかHotelさんが今、新長田のアートシアターdB神戸という劇場で公演をしている。公演名は「風に画かれたクロニクル」で、『破稿 銀河鉄道の夜』という作品の回と『Bitter&Sweet』という作品の回がある。そういう公演だ。私は、今日明日と受付のお手伝いをしている。

今日、二作品とも観せていただいた。どちらもぽろぽろ泣いた。

どちらも、高校の演劇部の部室が舞台。大会とか、そういうものにはほぼ無縁の田舎の演劇部員だった私だけれど、あの頃に入り浸った部室というのは、どこも同じ感じなのだろうか。そこに果汁100%みたいな人生の味を感じる。それが高校生のような気がする。(部室に関して言うと、バス停の大道具って全国の演劇部部室にあるんか、と思って笑ってしまった)

『Bitter&Sweet』はその名の通り、にやついてしまうような高校生の輝きとそこに確かに存在する自分の未来とか才能とか、そんなものへのほろ苦さがある。何年も何年も、何十人何百人分のその輝きとほろ苦さを湛えてきた「部室」という場所がもつ物語の力強さを感じる。私は、それこそ高校生の時から、いわゆる「演劇部もの」(「劇団もの」も)というのがちょっと苦手だった。そんな私も、素直に楽しめた。私も大人になったのだと思うし、作品が実は「演劇部もの」ではなく大河ドラマだったからだと思う。愛おしい大河だった。

『破稿 銀河鉄道の夜』は、これが等身大の高校生であることの凄み、みたいなことを思った(この本が高校演劇で繰り返し上演されている、という前情報を踏まえて)。誰かと誰かの悲しみを比べることはしてはならないと思っている。それは他人の生命を比べるのと同じことだと思うから。だけれど、事実として、こんな悲しみを抱えた人が当時たくさんたくさんいて、それは大人だけじゃなくて、高校生やもっと小さい人たちもいて。そういうことを考えると、胸が押しつぶされそうだ。前に進むために何をするのか、ということに関して、そういう悲しみを物語にすることは、忘れたり無かったことにするのではなく「終わった芝居にする」という方法なのかなと思った。

感想がまとまらないけれど、これくらいにしておこうと思う。

公演は明日まで。明日も受付に立つ。この公演の入り口に立たせていただくのを嬉しく思うので、明日も頑張ろう。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴