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【4-0418】粗忽者世にはばかる

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

眼鏡のせいか、ありがたいことに几帳面とか真面目とかそんな印象を持たれがちなのだけれど、その実、私は結構粗忽者だ。新しい環境に身を置き、毎日がキャパ越えの日々を過ごすと、それが如実にあらわれる。

一日に一回は、「あ、あれをこうするつもりだったのに」と思っている気がする。本当に最近忘れっぽい。

忘れっぽいと思っているのに、メモをとることをしていないのだ。していないというか、とる隙がないというのが本音なのだけれど、これもちょっとした私の雑さと言える。

最近、こういう愚痴めいたnoteが多くて嫌になる。

けれど、私は知っている。こういうキャパ越えの思考を書きつけているうちに、私は軽率にそれを飲み込むことが出来る。書きつけられた思考は、既成事実になる。既成事実になれば、私はそれを認めることが出来る。良くも悪くも致し方なし、というやつだ。

あくまで個人的見解だが、生きる上で私が一番必要としていることは是認なのだ。

あ、これは前にも書いた気がする。

書いていた。この過去のnoteの論旨とは少しずれるのだけれど、私は私の心の中にも是認の状態を求めているようで、自分に悪いところがあるのではないかと何かモヤモヤと感じている状態に耐えられない節がある。心の中でお腹が痛くなるような感覚。これが、「私のこれこれこういうところはイマイチ」と書きつけて事実にしてしまうと受け止められるし、お腹は痛くなくなって、「うーん、じゃあ、ちょっとこれは助けてもらうか」とか「そこは捨てる」とか次のことを考えられるようになる。

書くだけでそうなるというのは、やはりちょっと軽率なんだろうなと思うけれど、粗忽者だからこその処世術とも言えるかなと、そんなことも思う。そんな思いもこうやって書きつけることで私は今事実として飲み込もうとしている。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴