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【0829】適度に連絡を取る

こんばんは、要小飴と申します。

今日は祖母の誕生日でした。思いがけずしばらく帰省が出来ておらず一年ほど会えずじまいなので、先日母がおめでとうの電話をしてあげてほしいとメールをくれました。

母がこの用件をメールで伝えてきたことからもわかるように、私たち家族はめったに電話をしません。ワンラリーで終わるくらいのやりとりを携帯電話会社キャリアのメールでするだけです。なので、ああそういう手があるか、と変に感心するような感覚がありました。

実際に話してみると、久しぶりに聞いた祖母の声は昔より元気がないように思いましたが、お互いに誕生日おめでとうを言い合い、しばらくお喋りをすると少しずつ笑みがこぼれているような声に変わっていき、電話してみて良かったと思いました。母にも代わってもらい、メールのお礼と電話してよかったと思った旨を伝えました。メールでも電話でも「あまりの音沙汰のなさにびっくりする」と呆れられているのですが、母の変わらぬ声を聞いて安心しました。

常日頃、私はあまり色んな人と連絡をとることをしませんし、誰かと会ったりすることも稀です。だからこそ、人と会うときは特別楽しみにしています。そして、そんな日々の中で、ただ元気かを問うようなLINEを送ってきてくれる人もいて、そのことにも、その距離感にもすごく感謝しています。

これは、向かい合うような形でない、例えばTwitterのようなSNSで、なんとなく近況を窺い知れているような、そんな気がしているからなのかもしれません。いや、不意なLINEが嬉しいわけですから、窺い知れているというのは錯覚なのだという自覚がありつつも、それでも全く知らないわけではないという、そんな環境のおかげなのかもしれません。(そもそも、私が小さい頃から、目の前の人たちで手いっぱいになるタイプの人間だということも、もちろん関係しているとは思いますが)私の感覚では、この環境下であればこの距離感が適度な連絡の取り方なのです。

一方で、母と「冬は帰れるかなー」「インフルエンザとかもあるから、冬の方が厳しいかなー」「もう帰ってこられんやろねー」という会話をしたときに、背筋がぞわっとしました。年に二回は会うものだという感覚でいましたので、これから帰省をする見通しが不透明になったことで、急に故郷が遠くなったような気がしました。そもそも、家にパソコンがなく、母も祖母も持っているのはガラケーで、ほとんど使っていない私の家族にはこの私の連絡間隔は、適度ではないのかもしれません。そのことに実家を出てもう10年以上経ちますが、やっと気づいたような気がします。

いつもの「時々は連絡してよ」にこれまでより少し重みのある「うん」を返しつつ、電話を終えました。これからは時々は電話などしようと思います。

それでは、今日はこのへんで。

【今日の自撮り】お月さんとツーショット

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また明日!

要小飴🍬


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴