【3-0526】呼び声
日々耳にする声の中で一番好きなのは呼び声かもしれない、とふと思う。それは、道の向こうから私の姿を見つけて、両手をぶんぶん振りながら「せんせー!」と大声で呼ぶ声。稽古場までの道のり、後ろから追いついて「要さん?」と呼ぶ声。記憶を引っ張り出すと、朝寝坊の私の頭上で「お嬢!いいかげん起きんね!」とちょっと怒る母の声。
どんな呼称を使われるのか、ということにその人とどんな関係を築いているかがわかることが、とても嬉しいのだと思う。何者でもない私をこの人はこの名前で認識してくれているのだということへの喜び。
演劇をするための名前をつけてもらって、その名前で活動している。いわゆる芸名というやつだ。なぜそういう、特別な名前が欲しかったのかというのは、
このnoteにちらっと書いているのだけれど、本名は父と母のための名前だという感覚がものすごく強かったからだ。ただ、この感覚はある日突然降って湧いたもので、私自身もこの感覚のワケはわかっていなかった。
でも、呼び声が嬉しいのだと気付いたのと同時に、だから私は新しい名前が欲しかったんだなと思った。この人生で新しく出会う人と関係を結んで、私を今の私として呼んでくれる名前を。逆に、本名は母や祖母、おじおば、記憶の中の父、それくらいの人数で、ちょうどぴったり、十分で、これからはそれとはまったく違う場所で、まったく違う人たちに名前を呼んでもらうと思うと、それに相応しい名前が欲しくなったのだろう。やはり私はそういう儀式的なことが好きなのだ。
おかげさまで今、二つの名前に、その二つがさらに枝分かれした呼び名など、色んな呼び声を聞くことが出来ている。その喜びは私だけの特権。そのために私は私でいられるのだと思う。
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