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【3-1024】生活のための家

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

そもそも納戸のようだった私の小さなアパートの部屋がいよいよゴミ屋敷になって久しい。結局のところ、朝早くに家を出て、仕事をして稽古をして、夜遅くに帰ったりすると、家の中に生活はなくて、その結果、私の生態のカスみたいなものがたまる場所と化してしまう。

でも、もう本当にこれはダメだというところまで来てしまって、少しずつ少しずついわゆる断捨離という作業をしている。これ以上、ダメが進むと私は家に帰りたくなくなってしまいそうだったからだ。

断捨離といっても、ひたすら、最初からゴミだったものや、もうゴミと呼んでも良さそうなものを捨てるだけなのだけれど、それもまた時間がかかる。物には捨て方というのがあるらしくて、それをいちいち調べるのが、また億劫なのだ。そして、ゴミじゃないと判断されたものを仕舞う場所もなくて、つまり、それを仕舞うべき場所にはまだ他のゴミが残っている、みたいな事態になっていて、本当にわりと地獄。生活のない家にはなんというか、人の動線というものがそもそもないので、色んなところがデッドスペースになっている。

(今日はあえて言葉を大きく、きれいにして書いているけれど、実際はただ単に散らかった部屋で途方に暮れている私がいるだけだ)

生活のない家で、あえて生活をするならばと考えて、動線を生み出して、模様替えをする必要がある。それを同時並行でやらないといつまで経ってもゴミの処理に追われてしまいそうだ。ゴミじゃないものを仕舞う場所を作らないとゴミじゃなかったはずのものもゴミになっていく。

安物買いの銭失いというやつをやりがちな人間だ。改めなければと思っている。これまでは別にこのままでもいいかと思っていた私の生活について、変えたいと思うことが出てきたため、まずは銭失いをやめなければならない。

演劇とか劇団については思い描く未来というのもあったけれど、要小飴じゃない「私」については、本当に現状維持を続けてきてしまっていた。それが、生活を改めたいと思えるようになったのだから、これはいい変化だ。要小飴が忙しくなると、つい放っておいてしまう「私」の生活についても、これからは少しずつ良くしていこうと思う。


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴