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【3-1026】場所を失う

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

おはようございます、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

昨日、扇町ミュージアムキューブ、CUBE05の突劇金魚へ。31日までのロングラン公演、やっと行くことが出来た。

お芝居の内容もさることながら、会場へ入った時の嬉しみったらなかった。劇場内の美術もさることながら、空間の狭さ、人が座るところとお芝居が展開されるところとの距離、靴を脱ぐこと、マスク、サリngさんの佇まい、色んなことが東大阪にかつてあった金魚のアトリエとほぼ同じに感じた。

それがこんなに嬉しいというのがまた不思議なものだ。そんなにもあの場所が好きだったのか、と驚く。

失われた場所について、しばしば考える。今、思いつくのは突劇金魚のアトリエと、かつて花園町にあったcan tutku。なくなってから久しいが、ないと思うといまだにちょっと悲しい。

悲しいけれど、その分記憶の中に一定の輝きをもって残り続けて、その後に出会ったものや作るものに影響を与えている。今回の突劇金魚の洞窟劇場も、初めて突劇金魚を観る人には純粋に楽しい場所になるだろうし、私には一つの懐かしさを孕んだ場所になる。良し悪しはあるが、何かを孕むというのは人生の積み重ねによるものに他ならない。生きているってそういうことなのかもな、と最近よく思う。

今回の観劇では、もう一つ不思議と新鮮に思うことがあったのだけれど、それは明日書こうと思う。

この子を連れ帰りました。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴