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【4-0725】学びを得る

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。

関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

仕事関係の研修を受けた。言語聴覚士の方の話を聞く。

学びの多い研修だったが、総合的に私が聞き取ったことは、「言葉にしてフィードバックする」ということだった。何か問題があって、それを解決したときなどに、それで終わりにせずに、その時の気持ちを聞くなどして、改めてこちらから「そうだね、○○だったね」と言葉にする。それによって、それが子どもにとって「経験」になる(ようだ、と私は思った)。

研修の頭の方で「自己理解」についても話が出て(自己理解の先に問題解決があるという旨)、その時にも、この「自己理解」というのは人からの評価の集まりだと言われた。だから、大人に長所と短所を尋ねたときに、「長所なんてありません」と言う人が短所ならば沢山答えられてしまうのだという。短所はより多く指摘されてしまうが、長所はよほどのことがない限り、取り立てて言われることがない。大人になればなるほど、そうだ。

総じて、私たちは外的なものも内的なものも、他人の言葉によって知っていくのだ。

今まで自分の感覚を押し付けることにならないかと、子どもの人格、感覚を大切にしようと思うとたくさんの言葉を渡すのを躊躇する感じがあった。今日の研修を受けて、もちろん、その部分は気を付けながらではあるけれど、それでも私が渡せる言葉があれば、惜しみなく渡したいと思ったし、保育士ってそういう仕事だったのかも、と以前から知っていたことをもう一度学び直したような感覚だ。

ありがたい機会だった。忘れずにいたいと思う。


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴