自分は、なぜ音楽を選んだのか

以下に書き連ねるのは、一般論ではなく私個人の内面に過ぎない。

最近ネット上で、作者と受け手が作品の解釈をお互いにぶつけ合う姿をよく見かける。作者が「こういう受け取り方をしないでください」といった表明をしたり、受け手が作者に作品の方向性に関する批判を投げつけたりといった具合である。それらに対してどうこう批判的意見を語るような立場を自分は持ち合わせていないが、そこから僅かながらに感じとった違和感を通して自分の創作(物)、音楽に対するスタンスについて少し考えていた。

昔から、自分にとって音楽とは、気分を高揚させるエンタテインメントでも、自己表現の方法でもなく、外的環境から自己を保護するための見えないベールのようなものだった。自分は大抵内向的な人間である。このような欝々とした考え方は、昨今では特に流行らないだろう。昔はそうでもなかったように思うが、最近では現実はおろかインターネットを見ても、手際よくなんでもこなせ、SNSもコミュニケーションも上手なスーパーマルチクリエイターのような人間が目立つ。しかしエネルギーが外に向かない人間というのも、一定数存在している。街の喧騒から一人になりたいとき、静寂の中で不安に襲われたとき、志望校に落ちたとき、アイデンティティを喪失したとき……何度も音楽に救われたように思う。

音楽とその表象には、他ジャンルの創作にはあまりない特性がある。
それは、物体が存在しない物理現象であるということだ。
その特性は、作者と創作物、受け手の間に常に存在している。

以前、新曲を発表した後、リスナーから以下のようなメッセージをいただいたことがある。

SoundCloudを漂っていたらたどり着いたのですが、「Laguna Verde EP(※私の作品)」はどこかで購入できますでしょうか?(中略)
基本的にInside My Loveネタに弱いんです。なので「Laguna Verde」にまんまと釣られました。twitterでつぶやいてるのを見ましたが、Just the two of usやFeel like makin' loveもお好きなようなので、このあたりのネタものも期待します。

当然、わざわざメッセージを送ってきて次回作まで期待してくれるほど自分の作品に興味を持ってもらえたことは大変ありがたく、感謝がまず先にくる。聴いてくれる人には全員一人残らず感謝を述べたい。
内容をよく読んでみると、なるほど、近年では広く一般的に浸透してきた「アーティストを別アーティストに例えて褒めるな」論に大きく抵触しそうな内容だ。Inside My Loveという楽曲に私の曲と似たフレーズが存在するらしいが、その楽曲は聴いたことがなかったため、元ネタであるかのような言及をされても正直反応に困った。しかし、私自身は怒りを感じるようなことはなく、むしろ有名アーティストの作品について自分がそこまで詳しくないこと、理解してあげられないことに引け目すら感じた。楽曲のコンテクストは自分が決めることではないし、楽曲に対する解釈が作者とリスナーで異なることはあまりにも当然なことだ、という考えが根底にあったからだ。

作曲というと「メロディが天から降ってくる」と言われるぐらいインスピレーションや才能に直結した行為だというイメージがあるかもしれない。実際そういった側面は大きいだろうが、私の場合、Laguna Verdeを作曲した際に脳裏にあったことは、以下の図形パターンである。

 ××  ×× ××  ××
×  ××  ×  ××  ×

鍵盤上のAbメジャーキーを表している。ここから自動的に、近親調、ダイアトニックコード、ドミナントの裏コード、使用可能な3つのペンタトニックスケールなどが連想され、集中すればメロディが浮かんだりコード進行のパターンを考えたりもできる。しかし、当然ながら、これら一連の作曲プロセスは聴き手が受ける印象とは一切関係がない。

音楽の数学、音響物理学的側面と音楽作品については色彩理論やパース法とアート作品よりも薄く、不確実な関係だ。音楽には形がなく、個人の内面にのみ表象するからである。
作品がもつコンテクストへの解釈ですら、いかに作者といえども絶対的に正しいわけではない。例えば作者が「〇〇のジャンルを作りました」と言ったとしても、「これは〇〇とは似ても似つかない」といった評価になることは多々ある。自分はこれに対して、自身が創作者であることを差し引いても、「作者がそう言ってるんだから無条件に〇〇だ」といった立場をとることには慎重でありたいと思っている。常に、作者は、特に感性的側面において、作品を絶対的に支配できているわけではないと感じるからだ。

映画、漫画、絵画、小説、音楽……様々な創作物に触れ、感動を共有したいという欲求が働いたとき、音楽から得た感覚の共有ほど難易度が高いものはないだろう。それはつまり、自分自身が生み出した楽曲がそのまま受け手へ伝わることはほぼないということと同義である。

だが、それがいいのではないか。個人の内面と深く結びついているその性質にこそ、魅力を感じたのではないか。それが自分を守ってくれたのではないか…。今こう思い返す。

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