コレクティブハウスに住んでみたら、母が元気になった。
2020年の夏、私はコレクティブハウスに引っ越した。
コレクティブハウスとは、北欧発祥の、住民みんなでゆるやかに繋がる暮らし方のこと。
私の引っ越してきたコレクティブハウスは20世帯が住める規模のところで、三十人弱で暮らしている。
引っ越しのご挨拶にと、私は福岡に住む母にケーキを頼んだ。
母はキャロットケーキを作るのが得意で、私がこどもの頃から作ってくれていた。
けれども、その時、私は母に断られてしまった。
母が私のお願いを断るなんて初めてのことだったので、とてもびっくりした。
実は、当時、母は疲れ切っていた。
大事な友達や親戚を相次いで亡くしたばかりだったのだ。加えて、コロナ禍のストレス。体調を崩してしまって、日々の家事もつらい状態だった。
意気消沈した母を力づけようにも、コロナが怖くて、とても会いに行くことはできなかった。私がコロナに罹るのはいいとしても、私のせいで、母がコロナに罹ったらと思うと。
仕方なく、引っ越しのご挨拶には別のお菓子を用意した。
そして、母のキャロットケーキを食べることはもうないだろうと諦めた。
けれども、それから1ヶ月ほど経った頃、母は疲れたからだに鞭打って、キャロットケーキを作ってくれたのだった。
私はびっくりして、お礼を言い、コレクティブハウスのみなさんにケーキを食べてもらった。
そして、もしよかったら、と、少しだけ勇気を出して、みなさんにお願いをした。
このケーキを作ってくれた母に、ひとこと、メッセージをいただけませんか、と。
厚かましい新入りだと思われたらどうしようと不安だったけれど、先輩居住者のみなさんは喜んでメッセージをくれた。
コレクティブハウスの庭で採れたユスラウメで作ったジャムを「これ、おかあさんに」と下さったひともいた。
私は貴重なジャムと、みなさんからのメッセージを母に送った。
そうしたら。
小さな奇跡が起こった。
電話をする度に、力ない声で、意気消沈していた母が元気を取り戻したのだ。
母は、ありがとう、ありがとうねと何度も言った。
「びっくりしたっちゃが。あげん、いっぱいメッセージもらってから。それに、あのジャム、手作りやろ。丁寧に作ってあって、美味しかったあ」
それまでだって、母の自慢のケーキが送られてきたら、私は自分で食べるだけではなくて、会社のひとや友達にお裾分けをしていた。
そして、会社のひとや友達の喜ぶ様子を伝えてはいたのだけれど、それは、私が口で伝えるだけで、メッセージを送ったことはなかった。
それが、今回は、包みを開けると、何枚も何枚もメッセージが出てきて、母は、ほんとうに驚いたらしい。
「あんたはよか所に引っ越したねえ」
しみじみと言った。
そうして、私は思った。
母は今まで、一度にあんなにたくさんの「ありがとう」をもらったことはなかったのだろう、と。
もちろん、私や私の弟や、孫たちに「ありがとう」と言われたことは何回もあるけれど、身内以外のひとたちにあんなに感謝されたことは、なかったではあるまいか、と。
加えて、私はみなさんに、もうひとつお願いをしていた。
母の名前は美代子と言います。もしよかったら、メッセージの中に、美代子さん、と、母の名前を書いてくださいませんか、と。
母は、○○ちゃんのお母さんとか、○○さんとこの奥さんと呼ばれることがほとんどで、名前を呼ばれることがないから、きっと喜ぶと思うんです、と。
メッセージの束は、今では母の宝物となり、時々取り出しては、読み返しているそうだ。
元気を取り戻した母は、数ヶ月に一度、突然、キャロットケーキを焼いて、送ってくれる。しかも2ホール。1ホールでは足りなくて、食べられないひとがいると言ったら、次から必ず2つ、焼いてくれるようになった。
ありがたく頂き、みなさんにお裾分けしながら、これが最後のケーキかも、と毎回思うが、そのことは母には内緒だ。
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