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ひとつを極める人って羨ましい!一方、継続のためのバランスも大事って気づいた

「この仕事は、実態のないものを扱ってるから、実態のあるものに触れたくてパン屋でバイトしている」


4年ほど前、社会起業家を育成するプログラムに参加していたとき、スタッフの女性の方がそう話されてて驚いたことがある。その会社は起業家支援をする会社で、結構先進的な仕組みをどんどん取り入れて、多様な人たちが関わってて、副業も自然と行われているようだった。

そして、その女性から「副業でパン屋」話を聞いたときは

なるほどおおおーーー!!!!


と腹の底からぐ〜〜っと地面に打ち付けられるくらい腑に落ちる感覚になった。


それまでの私は、何か一本の専門家にならねばと思っていた。
自分自身が器用貧乏なせいもあってか、好奇心のままいろんなことをやりたいと思っていたし、実際やってきたし、素人なりにやれてしまっていた。
(だから人に仕事を振るのがとても苦手になってしまった……)


ひとつのことをとことん極めている、あるいは極めようとしているギラギラした芸術家や研究者のような人に憧れがあった。その道何十年!!なんて素晴らしいんだ😭!!!継続には敵わねええ〜〜〜!!!と圧倒的敗北を感じる。


いま「熱中」とか「偏愛」とか「熱狂」とかいうワードがそこらじゅうにあって
そういうものがないと、事業において、いや人として突き抜けられないんだろうなぁと感じていた。

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そのときに感じるのは
「あれ、私の中に、何かに対する偏愛ってある…?」だ。
それが見つからないと、ちょっと焦る。原体験とか探っちゃう。そしてなんでも大好きで飽きっぽくてミーハーな自分に凹む。好きなものの抽象度を高めて、分析が始まったりする。書き出したりしちゃう。いろいろな好きなものに一貫性がなければ自分のストーリーが紡げないと自己肯定感が下がりそうになったりする。
むむむ。


それに対して、
「自分自身のバランス」軸で、人生を組み立てる、それでいい、というのはポロリと目から鱗だった。その女性はまさに会社で、事業のコーディネートとか、メンターとか、そんな役割をしているようだった。ふむ、確かに目に見えないものを生み出している。でもそればかりしていると、どこかで自分の体が物足りなくなるのだろう。だからパンをこねる。


そうだ、自分に対するルールや信念や理由があれば、それでいいのだ。
もし、いろんな好きなことや熱中できることがあっても、だ。


自分の中にはたくさんのいろんな自分がいる「分人」の考え方は結構好きだ。
SNSで流れる誰かの暮らしも、その人のたくさんの分人の中のひとつ。
なにかひとつのことに夢中にならなきゃ、極めなきゃもいいけれど、自分が持続可能に続けられるようなバランスも必要。

私のなかにいる、いろんな私に声をかけながら、どの子もご機嫌にしていく方法を考える。

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その解が、今のところ、農業をしながら作家業をする、私のスタイルになってるのかもしれない。
ちなみにこの豪雪地は、半年が雪に埋もれた地域だ。
外に出れない長い期間があるからこそ、雪が溶けてからの爆発的な自然と人間のエネルギーを感じる。環境もまた、ちょうど良いバランスのなかにあるように感じた。

いただいたサポートは、里山農業からの新しいチャレンジやワクワクするものづくりに投資して、言葉にしてnoteで届けてまいります!よろしくお願いします。