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不安になったとき、自分を置き去りにしないために【金曜の夜エッセイ】

8月に生まれた長男が、笑うようになった。

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なんなんだこの天使は!!!(親バカ)


今まで焦点が定まらず、まだ世界の全貌を把握できていない様子だった。最近は見えるようになったのか、世界はどうやら面白いものがあるようだと気づき、キョロキョロみたり、笑ったりするようになった。


そんな息子と事務所にいるときは、授乳しながらなんとか仕事の玉を打ち返している。
zoomなどオンライン会議のときは、涼しい顔をしながらも大抵は画面の下で子どもに乳をくわえさせている。そんな荒技ができるのも、オンラインが進んだ今だからこそ……

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加工所稼働まで2週間を切り、いろんなものが佳境になってきた。
いや、先月も、先々月も佳境って言ってたかも……(汗)

工事が進み、加工所らしくなってきた空き家に、機械が少しずつ揃っていく。
「新潟行」ラベルを貼られ、どんぶらこ新潟までやってきたお芋様の蒸し庫。

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パカッ。ふむふむ、ここでお芋様が一度に100kgくらい蒸せるのね。

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そしてお芋様の乾燥機。しっとり干し芋専用の特別仕様でござる。

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そして私の就農1年目の年収くらいのビックリ価格でいらっしゃった軽量機。ずっとずっと欲しかったやつ。干し芋を1枚1枚グラムを合わせていた時代(しかもなかなかグラムが合わない)を考えると、涙が出るやつ……

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1日1日、メンバーや工事現場の方々含め、いろんな方々のおかげで物事が前に進んでいる。
ゼロが1になっていっている。


干し芋産地である茨城の干し芋農家さんたちは、大安の日に干し芋加工を始める人が多いのだと聞いた。そんな話を聞いて、加工業とは言え、同じ農家の香りを感じた。
気象や予期せぬものの影響を受けやすい農業は、祈りの文化と近いところにある。暮らしのそこかしこに、祈りや願掛けの文化に出会ってきた。

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ここから始まる。
始まりは、いつも大切なのだ。
稲作をしていたとき、春のすじまきを大安に定め、カレンダーに丸をつけていた隠居さんを思い出した。

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気持ちだけでもならって、ワタクシも加工所の試運転を18日(大安)に定めた。
多分、もしかしたら、進行状況によって前後するかもだけど、私もマルをつけてみる。でもそのマルは心穏やかに線を引くマルというより、心の底の底の沼下から這い上がるがごとく、

何事もなくっ!!無事に!!シーズンを終えれますように…!!!


と、すがるような叫び声だった。笑


そのとき気づいた。
ああ、私は怖いのだ…。
加工所にひとつひとつ高額な機械が設置されるにつれ、さらに融資に入れてなかった必要な物たちのどんどん増えてく見積書の紙が積み重なっていくにつれ、責任の重さもいっこいっこ増えていくようで、怖くなる…。責任というより、不安?

やだやだ!不安なんて言葉使いたくない!

農業を始めて、誰よりも努力してきたじゃない!就農したとき貯金はなかったけど、度胸と負けず嫌い気質だけでなんとか乗り越えてきたじゃない!


……でも、全然成長できてないかも、と不安になる。


気持ちがワクワクと不安とで、上がったり、下がったり。


等身大の自分以上の抱えきれないものがいま、動こうとしていて、始まってしまったら止まれなくて(そんなことはないと思う)、だから消しては増え続けるto doリストのチェックボックスを、とにかく毎日どんどん潰してくことで、不安も消していってるようだ。


心の中に雨の降らない、黒雲が広がる。


そんななか、先日は資材発注のために、現在貯蔵庫に収まっている芋の全量からできる、干し芋やスイーツの量を割り出していた。


自分たちが作った芋、そして生産者さんたちの芋、名前をみながら、計算してく。その数字を、過去の生産記録と照らし合わせていると、何百、何千、何トンといった数字も、手触りのある数字となって、立ち上がってきた。

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数字が出ると、少しだけ見えてくる景色にほっとした。
漠然とした不安たちが、分解されて数字になると、少しだけ不安が和らぐことに気づいた。それは漠然とした不安の大きさが分かったり、数字が次の行動を明確にしてくれるからかもしれない。


もうひとつ、不安を和らげるコツを先日知った。
定期的にコーチングを受けているのだが、その人が教えてくれたのは
「自分で自分を置き去りにしないために、今自分がどんなことを感じているのか、気持ちを体験してみるといいよ」とのことだった。


気持ちを体験する???


頭はハテナばかりだった。
でもそれは、自分自身の体や心の声に、集中する、ということだった。


目をつむって、
私はいま、どんなとこにいて、どんなことを感じているのか言語化し、それをイメージするのだ。

「今、暴風雨の中にいて、でも荒れ狂う風の隙間からボールがどんどん飛んでくる。私はそれを必死に打ち返している」

「そんな私は、どんな気持ち?」

「無、な気持ち」

「無な気持ちなのね。どこに痛さやイライラを感じる?」

「胸?」

「そう感じる部分に集中してみたらどう?」

「辛くて、悲しい」


✳︎  ✳︎  ✳︎

そうして自分の辛い気持ちに浸っていると、いつの間にか暴風雨は止んでいて、足元に水たまりに雲の隙間から差し込んできた光が映り込んできた。

自分のまわりがしんと、音が大地に吸い込まれたように静かになった。


不安も吸い込まれていったようだった。

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自分を置き去りにしないって、こういうこと?


忙しいという感じは、心をなくすと書く、
とはよく聞いてきた。

確かに、忙しくなると、自分自身も置き去りにしてしまう。


楽しみだね。
不安だね。
辛いね。
でも、嬉しいね。ワクワクするね。
楽しみだね。


いろんな気持ちを自分自身と一緒に経験しながら、今を生きている。
今を生きるって、こういうことなのかな。

いただいたサポートは、里山農業からの新しいチャレンジやワクワクするものづくりに投資して、言葉にしてnoteで届けてまいります!よろしくお願いします。